kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

鳩山由紀夫首相辞任は鳩山由紀夫と小沢一郎の「内紛」だった

動画で孫崎享を見ると - 一人でお茶を

私の脳裏には「一杯のかけそば」で一時流行ったオヤジの映像がフラッシュバックしてくる。そのせいで、孫崎にうなずいている田中康夫玉置宏に見えてきたりもする。

『戦後史の正体』のPR動画を見ればわかるが、孫崎享が主張しているのは「鳩山由紀夫小沢一郎を再浮上させよ」それだけである。対米自立を目指したが故に由紀夫と小沢は失脚させられた、彼らに落ち度はなく、再浮上させることこそわが日本のためになるのだ、そう言いたいだけなのだ、孫崎は。

その言い分を通すために、戦後の政治家の失脚劇はすべてアメリカの謀略によるものだったのだと虚実を織り交ぜてもっともらしく語って聞かせるのだが、一部で話題になっている岸信介再評価も含めて、それらすべては目くらましのためのギミックだ。

「つまらん」で切って捨ててよし。

鳩山由紀夫が自身の軽率な振る舞いで信用を失い、小沢一郎がかねてより疑われていた金の問題でつまずくのは、べつにアメリカのせいではない。身から出た錆。


鳩山辞任は「アメリカのせい」どころか、鳩山由紀夫小沢一郎の内紛が原因だった。当時のことをブログに記録したのでよく覚えている。
きまぐれな日々 鳩山由紀夫首相の辞意表明に、ほっと安堵した(2010年6月2日)より。

この期に及んで、まだ「鳩山首相は官僚にやられた」と鳩山由紀夫を庇う人に言いたいが、昨日の『報道ステーション』では、「ゴールデンウィーク明けには、鳩山首相は、社民党を切ったら小沢さんに政局にされる、とプレッシャーを感じていた様子だった」と伝えられたのである。だが、鳩山由紀夫は最終的に沖縄と社民党小沢一郎を捨てて、日米安保をとる道を選んだ。つまり、連休明けには、鳩山由紀夫社民党を切る腹を決めて、小沢一郎と正面衝突する覚悟を決めていたということである。普天間基地移設先の「腹案」だとか沖縄への「思い」などは口から出まかせにすぎなかった。そして、自らの強いリーダーシップで福島瑞穂を罷免し、小沢一郎に宣戦布告したのである。


つまり、普天間基地移設問題をめぐって鳩山由紀夫小沢一郎の意見が食い違い、それが鳩山由紀夫の辞任につながったのである。「アメリカのせい」どころか、鳩山由紀夫アメリカに追随しようとして辞任に追い込まれた。そういう冷厳な「事実」があるにもかかわらず、鳩山由紀夫を庇い立てようと「陰謀論」をかましているのが孫崎享というわけである。自滅しておきながらどっかの強者がたくらんだ「陰謀」のせいに片付けてしまうのでは、人間はまったく成長しない。孫崎としては「敬愛する鳩山一郎の孫」鳩山由紀夫への思い入れがそれだけ強いのだろうが、そんな孫崎が開陳するトンデモ論は、日本の政治にとって百害あって一利なしだ。

余談だが、この鳩山・小沢の「内紛」の際、私は小沢一郎を応援していた(この二人の争いにおいては、という意味だが)。しかし、小沢が鳩山を追い落としたあとの戦略を全く描いておらず、菅直人松下政経塾が組んで起こした「クーデター」にいとも簡単にしてやられる失態を演じるとは全く想像していなかった。ところがさらに呆れたことに、松下政経塾に担がれた菅直人に対抗するために、小沢一郎はなんと新自由主義者樽床伸二を担いだのだった。私が小沢一郎を完全に見限ったのはこの時だが、この小沢の妄動によって民主党代表選は実質的に「松下政経塾の傀儡」菅直人対「生粋のネオリベ樽床伸二という、新自由主義同士の争いになってしまった。小沢は同様の妄動を昨年の民主党代表選の時にも起こした。原発推進派の野田佳彦への対抗馬として、同じ原発推進派の海江田万里を担いだことである。

以上の小沢の行動からは、とどのつまり小沢は民主党を「新自由主義推進・原発推進の党」という性格に固定したかったとしか思えない。で、小沢自身は最初は党内野党、今では本当の野党の政治家になって、表向き(新自由主義政策は変えていないが)「脱原発」のポーズをとっている。こんな政治家に騙される人々が後を絶たないことが日本の政治に与えた害毒は計り知れない。


小沢派が陰謀説に感染しやすいのは - 一人でお茶を

■小沢派が陰謀説に感染しやすいのは

小沢一郎が“歩くオカルト”だからだ。

小沢一郎幻想というのは「小沢にやらせてみるとぜったいにすごいはずだ」というものだ。これまでの実績がすごいからというのではない。未だ隠されたままのスゴいもの、という点で、彼はオカルトである。政治家としてこれからの展望を語るといつも抽象的なことしかいわず、しかしそこがマスコミ文化人と似ていて、結果としてマスコミ文化人の一部が小沢と親和性が高くなる。オカルトに魅かれやすい体質は陰謀説とも親和しやすいだろう。

小沢は何か事があると身を隠す。居場所がわからなくなる。彼がかんじんなときに何をしていたのかは見えず、幻想だけが膨らむ。べつにたいしたことはしていないですよというのが週刊文春に載った奥さんからの証言だったのだが、低級なゴシップだとして小沢派はまともに取り合わなかった。

次の選挙でオカルトのまま政界から消えるのが、小沢一郎伝説が信者の間で後の世まで語り伝えられるためにはいちばんいいのではなかろうか。オカルトが蠱惑的なのは、隠されているからなのだ。すごいままでいたいなら、もう隠遁したほうがいい。


この記事には爆笑した。本当にその通りだ。