kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「小沢信者」、孫崎享、ゾルゲ事件、それに伊藤律

id:redkittyさん、驚かれたようですね。そう、あの人こそ「小沢信者」の「生きた標本」なんです。かのお方は、2010年をピークに『きまぐれな日々』のコメント欄に多数のコメントを投稿されてました。

http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1491.html#comment21065

驚きました。すごい信仰告白

 話で聞いていた小沢信者ってほんとにいるんですね。初めて遭遇しましたよ。最初、ジョークか自己戯画化かと思ったんですが、真面目に本気なんですね。

 それに「対米従属」「自主独立」って、1950年代から1960年代の左翼のスローガンですよね。

 何歳くらいの人なんだろう? 時間が止まっているのか。

2017.10.27 05:56 redkitty


その「風太」氏の「信仰告白」のコメントは下記。『きまぐれな日々』の最新エントリ(といっても23日月曜日の公開)には、他にも同氏からのコメントを多数いただいているが、その中でも一番すごいやつ。

http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1491.html#comment21060

河口さん位わかっておられる方でも、小沢一郎は「自身の利権と権力を拡大させるのに日米関係をも利用してきた政治家である」という事になってしまうのですねえ。
逆に言えばそれはまた小沢の存在が、権力の側から見たら、リベラル系の政治家たちを萎縮させる効果もあったということになるのです。

小沢一郎の周りに集まる政治家は、そのほとんどは小沢が世間から忌み嫌われバッシングされるのを見て、慌てて逃げ去っていくのです。
まさにここ数年の小沢一郎とは、そうしてリベラル派を萎縮させ転向させる効果を持つ政治家だったのかもしれませんね。

おそらくそんな政治家の大半は、小沢一郎をこの体制の枠内での権力闘争をしている人物とみていたのだろうと思います。
しかし小沢はその枠を破壊しようとしていたのです、そんなことをしたら命が危うくなると、半端な気持ちの政治家は小沢から逃げ去ったわけです。
そしてその時の言い訳は、小沢は汚いとかで、いわばマスコミが作った小沢イメージを共通言語として利用したわけです。
すべては彼らの保身の為です。

例えば大阪地検特捜に危なくはめられるところだった石井一も、その後は盟友小沢から離れていきました。
最後まで逃げなかったのは、羽田孜くらいではないかな。
あの細野豪志も、小沢バッシングの最中でも小沢を擁護しつづけていたのに、いまではすっかり小池百合子の子分で、ジャパンハンドラーズの配下に成り下がっています。

つまり見方を変えれば、日本を本気で自主独立に向かわせるためには、小沢一郎という、存在をどう評価するのかが、この霞が関間接統治下の日本で、覚醒できるかどうかの境目になるのです。

私は、小沢一郎には過度に期待する必要もなく、ただ彼が歩んできた歴史の中で、彼がどんなことをやろうとしていたかを、きちんと検証することだけは、しなければとならないと思うのです。
マスコミが大量に報じた情報に惑わされて、世間と同じように小沢を忌み嫌っているだけでは、小沢イメージの陰に隠されたこの国の本質から、目を背ける事になります。

検証をする事で、日本の政治の裏表、否、対米関係のなかで霞が関保守政党革新政党の果たしてきた役割と、どうして今も米軍が治外法権の力を持ち続けるのかがわかるはずです。

最近は色々な研究者やジャーナリストたちがこの問題に取り組むようになっています。
この流れが大きくなってくことが大切だと思います。
いつまでも小沢を単なる利権政治屋として認識しているようでは、せっかくできた立憲民主党を育て支えることなど不可能だろうと思います。

いずれ必ず枝野や長妻などの立憲民主党のメンバーたちは、この体制を守ろうとする勢力から叩かれるときが来ると思います(もうその準備が始まっているのかもしれませんよ)。
その時にこの国の本質をしっかりと見抜けないと、結局は小沢鳩山の時の様に、彼らを見殺しにしてしまい、日本の自主独立の試みは頓挫してしまうでしょう。


そんななか、今朝放送されたテレ朝のモーニングバードの中の、「そもそも総研」の中で、おそらく地上波では初めてでしょうが、この保守=対米従属 リベラル=自主独立の構図の解説が、玉川ディレクターの手で放送されました。
その中では小池の例の踏み絵の意味がしっかりと解説され、専門家の解説も入り、わかりやすく日本の本当の姿が暴かれたのです。

但し、こんな番組を流すのはなかなかできる事ではなく、またあの番組を見た多くの人たちは、残念ながら何が何だかわからないというところだったかもしれません。
でもそれでもこういう試みこそが、国民の政治への関心を呼び起こすことになり、誤った流れを変える手段になると思います。

私も、知らず知らずに張り巡らされた罠に迷わされることなく、常に事の本質を見抜けるようにしていかないとと、自戒を込めて深く感じています。
でもあの共産党ですら、あの政治と金の問題で小沢が追及されている時に、市田あたりは小沢への的外れな批判をしていましたからね。
それが今や小沢と志位は、にこやかに語り合う程の関係で、今回の選挙でも共産党は小沢を支援していました。
もっともそんな共産党だからこそ、立憲民主を支援したのでしょう。

日本はこれからドラマチックに変わっていくのでしょうね。
その変化が国民にとり良い方向に変わるようにしたいものです。

長文失礼しました

2017.10.26 20:05 風太


衆院選の選挙戦中、「小沢信者」の動向を把握する絶好のサイトとして、一昨年(2015年)4月に「生活の党と山本太郎となかまたち」を離党した、三宅雪子衆院議員のツイートをヲチしていた。三宅氏は離党したものの現在でも小沢一郎を支持しているが、いわゆる「オザシン(小沢信者)」批判の筆鋒はなかなか鋭い。私はそこで「極オ」(極端な「小沢信者」)なる言葉を知って噴いてしまった。

私は三宅氏のツイートやいくつかのブログをヲチしながら、「小沢信者」も「オザシン左派(枝野派)」、「オザシン右派(前原派)」、「極オ(小池派。ユリシンとも)」の3つに分裂したと見ていたが、立憲民主党に好意的な風太氏は「オザシン左派(枝野派)」の範疇に括るにはあまりにも過激だ。風太氏のような人は「極オ左派」、小沢一郎に一時再接近したと思しき小池百合子を支持する「ユリシン」は「極オ右派」と分類し直して、左から順番に「極オ左派」、「オザシン左派(枝野派)」、「オザシン右派(前原派。オザマエハラシンとも)」、「極オ右派(小池派。ユリシンとも)」の4つに分類し直した。

「極オ左派」なら、「1950年代から1960年代の左翼のスローガン」を持ち出すのも理解できる。

ところで、「対米従属」「自主独立」で直ちに私が思い出すのは孫崎享だ。この人の著書『戦後史の正体』はどんなに酷評しても酷評しすぎることはないくらいの世紀の悪書だと私はみなしている。なにせ、あの岸信介佐藤栄作、それに小沢一郎鳩山由紀夫らを「アメリカと敢然と対峙した『自主独立派』の政治家」として称揚しているのだ。しかし孫崎自身は1993年に山本七平賞を受賞したことのある右翼だと私は認識している(右翼でなければ岸信介を持ち上げたりなどしないはずだ)。

由々しきことだと思ったのは、昨日だか一昨日だか知らないが、『しんぶん赤旗』が孫崎のコメントをとって紙面に大々的に掲載していたらしいことだ。そんなことをやっているうちは、絶対に比例区共産党には投票してやらないぞ、と改めて思った。

しかし私は現在、図書館で偶然見つけた孫崎の「ゾルゲ事件」に関する本を読んでいる。この本の存在は全然知らなかったのだが、今年7月に出版されたばかりらしい。



この本は、『戦後史の正体』のような「世紀のトンデモ本」とはいえないが、東条英機を徹底的に悪者にして近衛文麿を庇おうとする孫崎のつまらない意図がミエミエで、そこが本の価値を大きく下げている。

この本を読み始めたきっかけは、かつてゾルゲ事件摘発のきっかけを作った人物と(特高によって)喧伝され、戦後日本共産党を除名されたものの現在ではスパイ疑惑は冤罪だったとの説が強まっている伊藤律に関する本を2冊立て続けに読み、伊藤律とその妻の凄絶な人生に言葉を失うとともに、ゾルゲ事件への関心が喚起されたことによる。本当は政局が起きて以後1か月半ほど更新を止めている読書ブログに書くべきかもしれないが、話の流れでこちらの日記に読んだ本に関するアマゾンのサイトへのリンクを張っておく。但し、『伊藤律回想録』はどういうわけかアイコンの画像がおかしい。リンク先のアマゾンのサイトに飛べば正しい画像が表示される。但しもう四半世紀近く前の1993年の本だ。私は図書館で借りて読んだ。2冊目の伊藤律の次男・伊藤淳氏の本は昨年出たばかり。私は『伊藤律回想録』を読んだすぐあとに『父・伊藤律 ある家族の「戦後」』を読んだので、後者には初めから引き込まれて一気に読んだ。一方、『伊藤律回想録』の初めの方はものすごく読みにくい。しかしそれを我慢して読み続ければ、あとは徐々に引き込まれていく。


伊藤律回想録―北京幽閉二七年

伊藤律回想録―北京幽閉二七年


父・伊藤律 ある家族の「戦後」

父・伊藤律 ある家族の「戦後」


既に上記2冊を読んでいたので、孫崎の本のうち伊藤律に関する記述には新しい発見は全くなかった。ただ、孫崎が一番言いたいことは、ゾルゲや尾崎秀実など大したスパイではなく、特高やのちにゾルゲを英雄扱いしたソ連などの思惑によって大スパイとの虚像が確立されただけだ、そして東条英機ゾルゲ事件を近衛内閣打倒に利用したのだ、といったところだろう。このあたりの孫崎の意見には異論はないが、気になってたまらないのは、孫崎が近衛文麿を庇おうとしているように読めて仕方がないことだ。東条に関しては、ここ数年読んだ数々の本によって、小心で謀略好きな人間だったとの認識を持っているし、特に東条が好んだ、政敵に赤紙を出させて死地に送り込む手口などは到底許せない卑劣さであって、あんな奴を総理大臣にした戦前の日本は何を考えていたのかと呆れるほかないが、近衛文麿の罪も東条と同じくらい重いと私は考えている。特に近衛には鳩山由紀夫とキャラクターが被る。東条に被るのは安倍晋三だが。もちろん私は鳩山由紀夫安倍晋三も大嫌いで、鳩山は紛れもなく安倍政権を復活させた元凶の一人だと考えている。

まあ以上はまだ孫崎の本を半分しか読んでいない時点での感想ではある。しかし孫崎は「伊藤律特高のスパイ」説の確立に寄与したとされる松本清張の『日本の黒い霧』(1960)には言及しても、清張に先立って伊藤律スパイ説を流布した尾崎秀樹の『生きているユダ』(1959)にはなんの言及もないのはどうしたことだろうかとの疑念も持った。

いつの間にか「小沢信者」の話からゾルゲ事件孫崎享の話に脱線してしまったが、今日はここまで。