kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「テンノーヘーカのお気持ち」と「東京五輪」

 新型コロナウイルス感染症東京五輪開催の問題に天皇が絡んできた件について、宮内庁長官のコメントが天皇徳仁の意向を反映したものであることは疑う余地がない。

 昨年還暦を迎えた天皇が考えているのは、「東京五輪の開催宣言その他をやらされることによって、海外から批判されたり歴史に悪名を残したりするのは嫌だ」ということだろう。しかしそれと同時に、天皇には現在の象徴天皇制を堅持したい強い欲望がある。このことを見落としてはならない。

 天皇の政治的発言は許されないために宮内庁長官のコメントという形をとったことは間違いないが、これに対して「天皇対菅政権」の構図を描いて天皇に肩入れするという「リベラル・左派」がまたぞろ大勢湧いて出てきた。

 前記の構図は前天皇明仁時代にはもっと顕著で、「敢然と安倍政権と対峙する天皇」の虚像がもてはやされた。これは小沢一郎シンパあるいはオザシン系などに特に顕著な傾向だったが*1、非小沢系や反小沢系にも多く見られた。

 冗談じゃない、と言いたい。

 天皇やその一族に意見を表明する自由を付与したいのであれば、天皇制を廃止すれば良いだけの話だ。ついでに書いておくと、私は天皇制の維持を望まないという理由で「護憲派」の範疇には入らない。

 今後の新型コロナウイルス第5波の感染拡大によっては、東京五輪が開催直前に中止になったり、開催中に中断に追い込まれたりすることは十分考えられるが、開催を中止に追い込むために「テンノーヘーカのお気持ち」を力を借りるようなことはあってはならない。それでは4分の3世紀前と何も変わらない。

*1:一つには、孫崎享式のアメリカに対する「自主独立派」と「対米従属派」の対立構図とよく似ていることが挙げられる。また、小沢シンパやオザシンの間では小沢や山本太郎のようなカリスマリーダーへの依存心が強いことも、彼らが「天皇対政権」の構図に惹かれやすい一因だろう。