kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

岩瀬仁紀(中日)が星野仙一の目の前でセーブ日本タイ記録

昨日のプロ野球交流戦楽天対中日戦で、中日の岩瀬仁紀投手(36)がセーブを記録し、元ヤクルトの高津臣吾の持つ通算セーブ数日本記録(286セーブ)に並んだ。

岩瀬は1999年、中日に入団したが、時の監督があの星野仙一。星野は、入団1年目の岩瀬を酷使してこの年の読売リーグを制覇した。

ただ、当時の岩瀬は中継ぎ。抑えは韓国プロ野球で英雄視されていた速球王の宣銅烈ソン・ドンヨル)が務めていた。

岩瀬の年度別記録を見て驚いたのだが、クローザーに転向したのは落合博満が監督に就任した2004年のことだった。もっと前からクローザーだったようなイメージがあるのだがそうではなかった。ただ、記録を見るとクローザー転向前の2002年が防御率1.06、翌年が1.41と素晴らしく、確かにこの頃から「岩瀬=打てない投手」という印象を持つようになっていた。この2年間、中日の監督は山田久志だった。星野監督最後の年だった2001年、岩瀬は防御率3.30と不調だったから、星野が監督を去ってから岩瀬の才能が本格的に花開いたといえるかもしれない。

落合監督時代の最初の2004年は防御率が2点台だったが、2005年と2006年にはまた1点台。この頃までが岩瀬の全盛期だった。その後は防御率が毎年2点台に落ちており、「打てない投手」という感じではなくなった。

特に防御率が悪いのは2008年の2.94だが、この年岩瀬は北京五輪の日本代表に選ばれ、監督を務めた星野仙一が、当時絶不調だった岩瀬を毎試合のように救援に起用しては打たれる繰り返しだった。結局岩瀬は北京五輪で3敗を喫したが、不調の選手にいつまでもこだわった星野の采配ミス以外のなにものでもなかった。星野は、阪神時代の2003年の日本シリーズでも絶不調の伊良部秀輝にこだわり、3勝2敗と王手をかけた第6戦に、第2戦で打たれて13対0の惨敗を喫する原因になった伊良部を再び起用して負け、これで流れが変わって日本シリーズに敗退した。なお、北京では打たれた岩瀬だが、日本に帰って最初の試合となった阪神戦でセーブを挙げた。当時星野仙一阪神のシニア・ディレクターを務めていた。さらに、この北京五輪での岩瀬の起用法に怒ったのか、落合博満は2009年のWBCに中日の選手を出場させることを拒否した。この落合の判断を評価する気にはならないが、星野のトンデモ采配は落合をそこまで怒らせたということだろう。

楽天対中日の4試合は結局中日の3勝1敗で、星野対落合の対決は落合に軍配が上がった。楽天は、このあと広島で2試合戦って週末には甲子園で阪神と対戦するが、甲子園にはボロボロになって戻る形となる。甲子園では土曜日がナイターで日曜日がデーゲームらしいが、関西電力原発依存度は異常に高いことだし、土曜日もデーゲームでやれば良いのにと思う。ふだんは読売戦を除いてはあまり応援しない阪神だが、楽天戦では星野仙一をボコボコにしてもらいたい。