kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

原発とマスコミ、原発と漫画、原発とSF作家

古新聞を処分しようとしていて、ふと6月4日付朝日新聞の別刷 "be" に掲載された連載「サザエさんをさがして」が目に留まった。

1957年(昭和32年)8月27日付の朝日新聞に掲載された「サザエさん」。一コマ目、波平「いよいよ日本の原子炉にも火がついたね」マスオ「そうですね」。三コマ目、サザエが七輪でサンマを焼いているのを見た波平「この原子時代になんたるきゅうへいなものをつかっておる!!」。四コマ目、サザエ「サンマをやくにはこの原始炉がいちばんいいのよ」。


この漫画に添えられた朝日新聞の記事は書く。

 原子力発電の原点となる「原子の火」が日本で初めてともったのは、1957(昭和32)年8月27日午前5時23分だ。茨城県東海村の日本原子力研究所(現・日本原子力研究開発機構)の実験用1号原子炉が、初の臨界に成功した。

 当日の朝日新聞は1面トップ6段抜きの破格の扱いで報道した。社説は「紙の上だけの原始力時代に別れを告げ、実物を備えた新段階へと、記念すべき一歩を踏み出す」と、もろ手を挙げての歓迎ぶりだ。

朝日新聞 2011年6月4日付別刷 "be" 掲載「サザエさんをさがして」より)


ところが、70年代初頭には流れが変わっていた。

 原発安全論のキャンペーンが始まったのは、この70年代初期だ。舘野さん*1は「廃棄物処理の見通しもなく開発に走り、批判する者を排除した姿勢が『原子力村』と言われる閉鎖体質を作り、原子力は絶対安全という安全神話をつくった」と話す。

(前掲記事より)


裏を返せば、70年代初頭には原発の問題点が表に出てくるようになったということであり、当然ながら朝日新聞毎日新聞はそれを批判するようになったはずだ。

先日、元読売新聞の中村政雄が、朝日も毎日も1970年頃まで原発賛成の記事を書いていたのに、その後反対に転じたと著書に書いていたことを紹介したが、朝毎が本当に社論として原発を批判していたかはともかくとして、社会面などに載った記事に関する限りはその通りだったのだろうと思う。私は、原発の黎明期に朝日や毎日が翼賛記事を書いていた時代を知らない。その後、大熊由紀子が書いた原発翼賛記事も朝日をとってなかったから読まなかったし、「原子力が開く明るい未来」などという学校教育も受けなかった。だから、学校で行われていたという原発のポスターコンクールなど、一部の「右」に偏向した学校がやっているだけだと思っていた。かつて学校時代に受けたというと思い出すのは同和教育である。もう少し上の年代であっても、もう少し下の年代であっても原発推進キャンペーンの洗礼を受けたところだったが、それを免れた。私のように原発推進論原発賛成論にあまり晒されずにきた人間は、実は非常に珍しいのではないかと最近になって思っている。


ところで、上記朝日新聞記事にある「廃棄物処理の見通しもなく」で思い出すのは、何度も書くけれども星新一の「おーい、でてこーい」である。この作品は福島第一原発の誘致運動が始まる以前の1958年に書かれたとのことだから、星新一の先見の明はたいへんなものだが、星新一自身の思想信条はむしろ保守的だった。

60年代末、その星新一小松左京筒井康隆らSF作家が東海村の原子炉を見学に行ったことがあった。有名な笑い話だからネットにも出ていないかと思って探したらあった。以下紹介する。


鏡:鳥どりな日常:So-netブログ

(前略)星新一さんがSF作家協会の面々と共に原発を見学に行ったときの話が、何か印象深いw
SF作家だからたぶん科学にウルサイ先生方だろうと思ったのか、原発側では優秀な案内役を用意していたようですが、原発に着いてさっそく星新一さんが言ったことは
「『はらこつとむ』さんはいらっしゃいますか?」
案内役がグダグダのやりとりをしたあと「では、どこからお見せしましょうか」と聞くと
「原子というものを見せてください。この目で見ないことにはどうにも信用できない」
ここで我慢できずにSF作家の先生たち爆笑。
その後、案内役を放っておいて「原子は海でとれるか山でとれるか」という議論をおっぱじめてしまったそうで。
小松左京さんによると、このことで以降SF作家は原子力関係から信用を失ったそうですw
でも今現在、原子力関係者はSF作家よりも信用を失っていますよ、国民からね。


星新一は「原子力」を「はらこ・つとむ」という人名に読んでバカ話を始めたとのお話。私がこの話を初めて知ったのは、70年代半ばに新潮社が星新一全集を刊行していた時で、その別刷に紹介されていた。星新一自身が書いたのか、SF作家仲間の誰かが書いたのかは覚えていない。

ちなみに、スラップスティック(ドタバタ)といえば筒井康隆が得意にする作風だが、星新一は作品では全然ドタバタをやらないのに、プライベートではドタバタが大の得意で、筒井康隆に影響を与えたとの話もある。

だが、上記のエピソードからは特に「反原発」の主張は感じられず、むしろSF作家たちは原発にそれなりに肯定的だという印象を当時から持っていた。「おーい、でてこーい」は、作品が作者を超えてしまったといえるように思える。すぐれた作品というのはみなそうしたものだ。


最近のSF作家の悪例というと、豊田有恒が出した原発翼賛本が挙げられるだろう。


日本の原発技術が世界を変える(祥伝社新書225)

日本の原発技術が世界を変える(祥伝社新書225)


東電原発事故の3か月前に出たこの本は、現在では書店に原発批判本がずらりと並ぶ中に、絶滅危惧種原発翼賛本として異彩を放っている。なかなかの壮観だ。


星新一らが東海村の原子炉を見学した時のメンバーに豊田有恒がいたかどうかは失念した。

*1:舘野淳・元中央大教授