kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

ある原発推進論者の末路

涸れないか - Living, Loving, Thinking, Again より。

Tommyという人曰く、

山下俊一は悪人だが責任はない。責任は、無学で無教養で無見識で無自覚の福島県民にある。究極の自己責任だ。失うものは大きいだろう。http://twitter.com/#!/HayakawaYukio/status/68050749355073536

・・・とも言っているけど、そのころ盛んに山下俊一を叩いていた人々のなかから 早川センセイ擁護の声・・・「権力」に逆らえばだれでも いいってか! 元阿具根市長でも鈴木宗男でも 小沢一郎でも・・・そのうち 橋下徹だってこの人たちの英雄になる日が来るんだろうね

http://www.freeml.com/bl/8513681/45463/

まあ〈中二病〉の一種なんでしょうか。メジャーなもの、メインストリームなものには取り敢えず反発しろということで、逆に、メインストリームに刃向かうポーズを取っている奴、メインストリームにいじめられているふりをする奴にはいかれてしまう。早川に溺れた〈脱原発派〉とは方向がちょうど逆になるのだが、311の後に「非国民」を自称する馬鹿が突如〈脱原発〉をdisり始めたことがあったけれど、その後どうしているのか。私はこいつに対して以前から嫌悪以外の感情を殆ど持ったことがなかったので、そう驚きはしなかった。311を契機に〈脱原発〉がメジャーになりかけた、これは気にくわねぇ、disってやれ、ということでしかないんじゃないか。


そうか! そういえば「小沢信者」系の「脱原発」論者と元「共産党信者」系の原発推進論者ってコインの表裏みたいなものと言えるかもしれないなと妙に納得した。それとともに、最近『非国民通信』って何を書いているのかと思って見に行ったら、昨年を総括した記事が見つかった。
2011年のまとめ - 非国民通信


私は、「はてなブックマーク」のコメントを「ある原発推進論者の末路」の一語で片づけたが、他の方のブクマコメントには、なかなか辛辣なものが多い。
はてなブックマーク - 2011年のまとめ - 非国民通信


ところで、上記sumita-mさんの記事の引用部分の最後に、「この自称「非国民」に関しては、濱田桂一郎氏のような大人の知識人が冷や水を浴びせるどころか逆に本人をいい気にさせたということの罪の方が大きいと思ってはいる。」との註がつけられている。

それで思い出したのは、昨年7月に、私が『非国民通信』の記事を批判したとき、私が批判した記事を濱口桂一郎氏が高く評価している、というコメントをいただいたことだ。それに関して下記の反論記事を書いた。
なぜ「反感を買う」ことを恐れる必要があるのだろうか - kojitakenの日記


これに対して、コメント主のid:crossfire19さんからさらにコメントをいただいていたのだった*1

crossfire19 2011/07/27 03:49
私のコメントにわざわざ長文のエントリーで応答してくださりありがとうございます。

まず濱口桂一郎氏が書いた『非国民通信』の記事への批評を持ち出したのは,管理人さんの批評の参考になるかもしれないと思って持ち出しただけで,
決して濱口氏の見解に従ってもらいたいと思ったわけではありません。
そして私が「『左』側の『脱原発批判』論者が問題にすること」に言及する必要があるのではと述べた理由は,属人的なことがらではなく私なりの批判の作法として,他者の意見を批判するならばまずはその意見の主張,すなわち何を問題にしているかを理解して,それに対応して論を展開するべきではないかと思ったからです。
私は管理人さんが取りあげたエントリーの主張は「今の脱原発・反原発はムードで動いていないか?」と受け取っていましたし,その主張には付き合う価値があると判断しました。
他の脱原発批判の主張をいろいろ紹介したのも,彼らを批判する際には彼らの問題意識につきあうべきではないかという私の批判のやり方に沿ったものです。

このエントリーを読んで感じたのは,管理人さんと私では恐らく批判のやり方が違うのだということです。
繰り返しになりますが,私は批判とは,批判対象の人物が何を考え何を問題にしているのかをまず理解し.その主張と問題意識をどう判断するか,或いはそれらに従った場合その人物の文章は妥当性を有しているか,それを考察し判断するのかが批判だと思っています。
つまり,他人を批判するならその人の問題意識に付き合うことを重視しています。
一方で管理人さんは,他人を批判するときもその人物の問題関心よりも自分の問題関心に合わせようとする,言い換えるなら他者批判の際も自分の問題関心を優先させるべきだと考えているのだと思います。
私はその手法は自分の主張を組み立てるならともかく,他者の意見を批判する上では有効ではないと考えているます。
相手の主張に興味を示さない批判は,果たしてどれだけ有効になりえるのか,個人的に疑問があるからです。


このコメントは気にはなっていたのですが、時間がとれなかったこともあって再度の応答はできませんでした。半年ぶりの亀レスをすると、『非国民通信』管理人氏の真意が本当に「今の脱原発・反原発はムードで動いていないか?」という問題提起であるなら、crossfire19さんのご意見は正しいと思います。しかし、sumita-sさんの言われるように、「311を契機に〈脱原発〉がメジャーになりかけた、これは気にくわねぇ、disってやれ、ということでしかない」のであれば、表向き掲げている「今の脱原発・反原発はムードで動いていないか?」という論調は、「反・脱原発」を正当化するための食いつきでしかなく、その後現在に至るまでの『非国民通信』の記事を見ていると(といっても私の運営するブログ『きまぐれな日々』からも『非国民通信』へのリンクを外したし、昨日久しぶりに見たのですが)、後者に該当するとしか思えません。同ブログは、何かと屁理屈をこね回しては、「原発」や「東電」を正当化するばかりですからね。


というわけで、2011年は『非国民通信』管理人氏の「化けの皮が剥がれた」年でもあったと思う。