kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

安倍晋三首相の辞任(2007年)は「霞ヶ関の逆鱗に触れた」からなのか?

数日前の「きまぐれな日々」のコメント欄より。コメント主は「小沢信者」と思われる。

http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1248.html#comment14155

(前略)
別ブログで古寺さんが腹痛で政権を放り出した安倍元総理が、原発再稼働をもくろんでいると苦言を呈していましたが、あれは別に腹が痛いだけで辞めたのではなく(彼は炎症性腸疾患でしたから痛かったのは事実でしょうが)本当は霞が関の逆鱗に触れて総スカンを食って放棄せざるを得なかったのが真相です。
なんたって官邸にいる各省庁から派遣されていた官僚達が一斉に引き上げてしまったのですからね。
そうなると日頃は威勢のいいタカ派政治家も型なしです。
(後略)


安倍晋三の辞任は、「安倍が『小泉もやらなかった』公務員改革をやろうとして、霞ヶ関の逆鱗に触れてしまったからだ」という言説は、田原総一朗だとか、小沢一郎を「小沢自治労」と呼んでいた屋山太郎らが繰り返し力説していた。事実は、安倍が「新自由主義イカク」をさらに一歩押し進めようとしたものの、参院選惨敗のショックから立ち直れず、体もいうことをきかず自滅したに過ぎない。「小さな政府」を旨とする新自由主義者の基本は、昔も今も「官僚叩き」なのだ。

田原や屋山がその手の妄言をテレビでばら撒いていたのは2007〜08年頃、つまり安倍が辞任に追い込まれてから1年ほどの間だった。当時の民主党代表は小沢一郎であり、「小沢信者」は田原らの妄言など相手にしなかった。

ところが、政権交代がなったものの1年も経たずに小沢一郎は幹事長の座を追われた。その後の小沢一郎は、「国民の生活が第一。」というスローガンに関連する事柄から、「統治機構を変える、霞ヶ関支配を打破する」へと主張の中心に変えた。そのあげく、「橋下市長にお株を奪われた」(笑)のである。

とはいえ、まさか「小沢信者」が4年前には相手にもしていなかった田原総一朗屋山太郎の妄言を、自分から言い出すとまでは想像もしなかった。

「小沢信者」もすっかり落ちぶれたものである。