kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

そもそも湯浅誠インタビューには「橋下批判」が含まれているのだが、橋下はそれを自らの持論であるかのようにすり替える。それが「橋下流」。

橋下、今度は湯浅誠の取り込みに走る? 「反貧困」までもが「ハシズムに回収される」嫌な予感 - kojitakenの日記 に、橋下が湯浅誠を持ち上げるTwitterを発信した件を書いたが、朝日新聞(4/13のオピニオン面)に載った湯浅誠インタビューには橋下への批判的な言及がある。該当部分を抜粋して紹介する。

まず、

どんな立場になっても、やっているのは結局『角のないオセロ』のようなものだと実感しています。オセロでは角を取れば一気に多くのコマをひっくり返せますが、現実にはそんな角はない。一個ずつ地道に反転させていくしかないのです。

と言う湯浅誠に対して、聞き手の朝日新聞政治記者高橋純子は

オセロの盤そのものをひっくり返そうという闘い方もあるのではないですか。機能不全に陥っている『あっち側』とオセロを続けて、本当に社会がよくなるのでしょうか。

と聞いた。

これは、明らかに橋下徹を念頭に置いた質問であり、高橋記者のこの聞き方に私はイラッときたのだが、湯浅誠は冷静に答えている。

 少なくとも私は、コマを一つ一つひっくり返す積み重ねの延長でしか、盤をひっくり返すことはできないと思っています。既成政党、議会制民主主義が機能していないからといって、見限ってしまうことがよい結果をもたらすとは思えません。

 1億2千万人が住んでいるこの社会はそもそも複雑なものです。議会制民主主義は、10ある利害をできるだけ切り捨てないようにして玉虫色の結論を出すシステムです。一方で今待望されているのは、10の利害から1をとって9を捨てられる強いリーダーですね。しかしそこで切り捨てられるのは誰か。おそらく私たちでしょう。

 議会制民主主義には改善すべき点が多々ありますが、複雑なものを無理にシンプルにしよう、ガラガラポンしてしまおうという欲求の高まりには危機感を覚えます。

この答えを受けて、高橋記者は

橋下徹現象、ですね。

と橋下の名を出す。それに対する湯浅誠のコメント。

 橋下さんが支持を集めているのは『決めてくれる人』だからで、その方向性は問われません。『おまかせ民主主義』の延長に橋下さんへの期待がある。『あっち側』に期待するか、批判するかの違いはあれど、決定に至るまでの調整を誰かにまかせて、観客のような、評論家のような気分でいるという点では、橋下さんを支持する人たちと社会運動はともすると同じ図式にはまりこみかねない。どちらも民主主義の形骸化という意味で問題です。


上記のように、湯浅誠の発言には「橋下流」への批判が込められているのだが、そんな湯浅の主張をまるでオセロの石をひっくり返すように自らの主張に取り入れてしまうのが橋下一流のテクニックなのだ。大阪ダブル選挙の時、橋下を倒すために共産党が候補を立てなかったことを「大政翼賛会」にたとえたことが思い出される。あの時には自らに向けられた批判を相手陣営への批判にすり替えたのだが、今度は自らに向けられた批判を、昔からの自分の主張であるかのようにすり替えてしまっているのである。

脱原発」では飯田哲也のみならず、原発のコスト計算で知られる大島堅一なども橋下に取り込まれた。「反貧困」陣営は果たして大丈夫だろうか。