kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

湯浅誠の言う「戦国武将型民主主義」とは「下剋上(=クーデター)男」橋下徹を擁護する詭弁だ

湯浅誠はもう7年近く前の年末年始に「派遣村」村長として一世を風靡した、かつてのリベラルの「期待の星」だったから、今でも多くのリベラルや「リベラル」が幻想を持っているのはわかる。だが、今の湯浅誠はもはやかつての湯浅誠とは別人だと私は断じる。彼は昔の彼ならず。すっかり劣化した彼の現在の姿を人々は直視すべきだ。

湯浅誠の朝日新聞紙面批評における「1億総活躍社会=ソーシャル・インクルージョン」論は最低だ。湯浅はもはや「強く批判されるべき対象」になった。湯浅は来年の参院選に自民党公認で立候補するのではないか - kojitakenの日記(2005年11月11日)にいただいたコメントより(赤字ボールドは引用者による)。

id:pomme1919 2015/11/11 15:04

最近の言動を見るに、湯浅氏はもはや「括弧付きのリベラル」とすら言えないように思えます。

大阪都構想否決について述べた6月9日付け「朝日紙面批評」もひどかったですね。

(以下に一部引用)

◇「戦国武将型」に一定の支持/切り捨てず少数派尊重を

 あまり公言されないが、政治における闘争を戦国時代になぞらえる政治家は多い。「とるかとられるか。自分たちは死に物狂いの戦いをしている」といった言い方や気分は、政治家において一般的なものだ。

 橋下徹大阪市長は、それを公言する珍しい政治家の一人だった。選挙という合戦に勝利した武将が官軍となり、それに刃向かう者は賊軍とみなす。合従連衡呉越同舟は政治の常であり、すべてが民心を得て合戦に勝利する(選挙で多数を得る)ことにつながっていた。惜敗した大阪市住民投票後の記者会見で、橋下氏は「民主主義は素晴らしい」と持ち上げたが、それは「大層なけんかを仕掛けても命を取られ」ないからだった。

 この“戦国武将型民主主義”モデルを「民主主義の正統な考え方と違う」と“欧米型正統派民主主義”モデルを持ち出して批判することはできる。だが、橋下氏はそれで民心が得られるわけでないことをよくわかっていた。そのように主張する学者などの「すかした物言い」に対する反発をバックに「空理空論」と切り捨てた。

その点、5月19日の社説「橋下氏引退へ 議論なき独走の果て」は、橋下氏や彼を支持する人々に届く言い方ではなかった。「異論を顧みずに独走する危うさ」「丁寧な合意形成をすっ飛ばす『選挙至上主義』」と指摘した上で、「民主主義とはほど遠い」と切り捨てた。そして「有権者も考える必要がある」と諭した。あえて言えば“上から”の匂いのする、反発心をあおる言い方だった。

(中略)

より重要なのは今回、僅差(きんさ)とはいえ、少数派は橋下氏と彼を支持する人々だったことだ。朝日新聞はしばしば少数派の尊重を謳(うた)う。だとすれば、今回は橋下氏の“戦国武将型民主主義”モデルを尊重し、その中から次へと至る回路を見いだす必要があったのではないか。少数派に限界があるのは当然で、大事なことはそこから何をくみ取るかではなかったか。社説で謳った「ともに『答え』を探す」とは、そういうことのはずだ。民主主義とは面倒くさいものなのだ。

どう「答え」を探すのか。そのヒントは橋下氏の会見の中にあった。彼は「僕みたいな政治家はワンポイントリリーフ。権力者は使い捨てがいい」と語った。自分のような風雲児は、混沌(こんとん)とした過渡的時代が要請するものだが、天下をとる器ではないということだろう。裏返せば、真に民心を得るのは、思慮と配慮にたけた武将であり、政治家だということだ。敗将・橋下氏の弁は、戦国武将型の理屈をくぐりながら、同時に正統派欧米型に至る回路があることを示していた。

(引用ここまで)

これに対し、広原盛明氏がそれこそ怒り心頭の記事を書いています。

覇権主義政治家・橋下氏を「戦国武将型民主主義」政治家に喩える論理的倒錯と知的劣化の極み、朝日新聞紙面審議会員・湯浅氏の愚論・俗論を読んで

http://d.hatena.ne.jp/hiroharablog/20150610/1433882793

(以下一部引用)

2015年6月9日の朝日新聞湯浅誠氏の「わたしの紙面批評」を読んでたまげた。住民投票大阪維新の会提案の大阪都構想が否決されたことを受けて書かれた5月19日社説「橋下氏引退へ 議論なき独走の果て」及び天声人語「橋下氏の民主主義とは」に対して、およそ紙面批評と言うには程遠い愚論が堂々と掲載されていたからである。紙面審議会委員という大げさな肩書きなのだから、それなりにふさわしい見識が披露されるものとばかり思っていたら、そこに展開されていた紙面批評は愚にもつかない俗論そのものだった。朝日新聞関係者は(彼を紙面委員に登用したことを含めて)さぞかし恥ずかしい思いをしたに違いない。

 湯浅氏の言いたいことはいったいなにか。要するに都構想住民投票の結果は“僅差”で決まったのだから、橋下氏を一方的に批判するのではなく、橋下氏と彼を支持する人々の主張をもっと尊重した紙面をつくるべきだということだ。そしてそのために持ち出してきたのが、「戦国武将型民主主義」モデルという奇妙キテレツな言葉(ターム、概念)なのである。

彼の言う「戦国武将型民主主義」モデルとは、「選挙という合戦に勝利した武将が官軍となり、それに刃向う者は賊軍とみなす。合従連衡呉越同舟は政治の常であり、すべてが民心を得て合戦に勝利する(選挙で多数を得る)ことにつながる」というもので、少しでも社会常識がある人ならこんなものを絶対に「民主主義」とは言わない。戦国武将の行動様式は武力と謀略(調略)で敵を征圧して支配下に置くことであり、これを「覇権主義」と言うが、橋下氏の政治手法は覇権主義そのものであり、専制支配が橋下政治の本質なのである。なのに、湯浅氏は覇権主義をなぜ「民主主義」モデルとみなすのか。

(引用ここまで)

広原氏は湯浅氏の「覇権主義を『民主主義モデル』の一つとみなす暴論」を批判されていますが、これまさに最近Kojitakenさんがよく書かれている「下剋上」と民主的変革の取り違えです。

かっては反貧困だけでなくイラクへの自衛隊派遣反対運動にも参加した氏でしたが、秘密保護法にも安保法案にも明確に賛否を表明せず、デモについても「デモは憲法で認められた重要な表現形態で、政権は耳を傾けるべきだ。一方で、デモの際のシンプルなスローガンは参加者の求心力を高めるために有効だが、議論が二極化するおそれもある」と述べるあたり、現政権との対立は徹底的に避けるスタンスに徹しているようです。政治とは距離をとって貧困問題にのみ専心したいからではないかという意見もありますが、引用したいくつかの発言は充分に「政治的」です。
リベラル勢力から再度にわたって都知事選への出馬を懇願されながら固辞された湯浅氏ですが、来年の自民党からの参院選出馬はありうると私も思います。


仰る通り、湯浅誠の言う「戦国武将型民主主義」とはまさしく「下剋上」(=クーデター)、さらにはその体質を持った橋下徹を擁護するための詭弁ですね。

これを「下剋上民主主義」とか、ましてや「クーデター民主主義」などと呼んだら、その言葉はおかしいんじゃないか、対義語をつなぎ合わせてるようなものじゃないか、と多くの人が気づくと思いますが、湯浅誠のように一時はリベラル層から「神格化」に近い持ち上げ方をされた「権威」が「戦国武将型民主主義」などと書くと、コロッと騙されてしまう人たちが多いんでしょうね。

6月の湯浅誠の紙面批評は、まだ言い逃れの余地があるために湯浅誠を擁護する人も少なくない今回の紙面批評と比べても、はるかに悪質だと思います。

敗将・橋下氏の弁は、戦国武将型の理屈をくぐりながら、同時に正統派欧米型に至る回路があることを示していた。

などと、よくもぬけぬけとこんなことが書けたものだと本当に、腹が立ちます。世界の歴史のどこに、下剋上から民主主義に直結した例があると湯浅誠は言うのでしょうか。しかもそれが橋下弁護に結びついています。湯浅誠

もはや「括弧付きのリベラル」とすら言えない

とのことですが、元はそうだったという意味を込めて「リベラル」と表記するなら、湯浅誠は「モンスター・橋下を育てた『リベラル』」の一人といえるかもしれません。湯浅誠はひところ、活動の拠点を大阪に移すとか言っていましたが、大阪にいたのはわずか6か月だそうで、しかも大阪滞在中に劣化して帰京したようです。今回の大阪ダブル選挙について、大阪読売のインタビューに答えた湯浅誠は、(大阪人の)「『共助』の地力生かせ」などと言っています。

https://pbs.twimg.com/media/CTNs7nmUwAASzhq.jpg

このていたらくでは、「社会的包摂」の新自由主義政策化に湯浅誠自身が手を貸してもいっこうに不思議はありません。

さて、以下は蛇足。引用された広原盛明氏の記事のコメント欄には、どっかで見覚えがあるようなコメンテーターが2人もいらっしゃいました。

http://d.hatena.ne.jp/hiroharablog/20150610#c1433938800

大阪府民からの伝言 2015/06/10 21:20
橋下氏について、何かといえばその政治手法が話題になるのはなぜでしょうか?
結局は、政策面では何ら見るべきものがなかったから、手法以外に語るべき内容がないということだと思うのですが。
財政再建には失敗、子どもの学力向上もできず、府市の水道統合事業も頓挫、公募校長公募区長の不祥事、中学校給食の異物混入の異常な多さ、などなど。
極めつけで都構想も否決、と。
湯浅氏も、何もあんな無能の人を戦国武将型民主主義などと言って無理して持ち上げる必要はないんですけどね。
橋下氏の支持層に気でも遣っているんでしょうか?
まあ朝日新聞自体が橋下氏推しなのは周知の事実ですけど。
見方によっては産経以上なんですよ、あそこは。
実は四大紙では一番酷いんじゃないでしょうかね。
ざっくり見た感じでは、少なくとも都構想についてはどこよりも好意的なスタンスに見えましたが。

このコメントは広原氏の記事の論旨とは関係ない、明後日の方向を向いています。つまり、つまらない論点そらしのコメント。この方からいただいた、「きまぐれな日々」の最新の記事へのコメントも明後日の方向を向いていました。どこでも同じようなことやってらっしゃるんだなあと。

http://d.hatena.ne.jp/hiroharablog/20150610/1433882793#c1434300503

旅マン 2015/06/15 01:48
は?
まだ、朝日に固執するのか?
あんなバラ売りでも日経と変わらない、高くて中味も日経みたいな新聞を?
私は滅多に朝日を買わない。
朝日に期待するなんて、おバカなことはおよしなさい。
一般紙は一に東京、二に東京、三四がなくて五に毎日だあ(笑)。
東京新聞は、安倍晋三に尻尾を振り続ける長谷川幸洋を除けば、悉くアンチファシズム、アンチ安倍晋三で腹を括った紙面構成である。
毎日は朝日より、ぶれてはいない。
夕刊ワイドは、知的努力を忘れない素晴らしいコーナーであり、産経にかぶれた
岩見じいさん(徴兵制度を礼賛したり
不敗の軍隊を求めたりと、完璧に血迷っていたな、あの爺(笑))が亡くなってから
より、風通しもよくなった。
それはともかく、朝日?
たまに頑張ればいいって感じ?
もう、多くを期待しない。
憲法記念日の朝日を購入したのが最後かな。でもさ、同時購入した東京と毎日の方が、よほど面白い内容だったね。

まあ朝日も確かにふがいないけど、東京新聞もたいがいですよね。「安倍談話」を評価しちゃったり、「新9条」の論陣を張ったり。もっとも朝日も、湯浅誠の「一億総活躍イコールソーシャルなんちゃら」の紙面批評を載せたのと同じ日に、東京新聞を後追いでもしたのか、文化・文芸面に「新9条」特集を載せちゃってましたが。東京も朝日も「改憲派」の仲間入りってことでしょうか。なお毎日は、既に10年以上前、岸井成格が一時右傾化していた頃に、早々と「論憲」に転向しちゃってます(第1次安倍内閣の頃だったか、岸井は自分が論説委員長だった時に毎日の論調を転換させたと言って威張ってました)。

これではそれこそ「一億総9条改憲派」へと「回れ右」しかねません。おかげで危機感をかき立てられ、大枚(?)1512円をはたいて、「左折の改憲」というどっか、じゃなかった朝日の夕刊で見た池澤夏樹が発したのと同じフレーズが出てくる、加藤典洋の下記ちくま新書を買っちゃいました。もちろん、敵を知った上で「左折の改憲」論を批判するためです。まだ全然読んでないけど、巻末に載ってる引用文献に、内田樹だの江藤淳だの小沢一郎(!)*1だの白井聡だの矢部宏治だの孫崎享(!!)*2だのと勢揃いで、読む前からお腹いっぱいって感じですけど。


戦後入門 (ちくま新書)

戦後入門 (ちくま新書)


まあこの本は高いだけあって分厚いし、ほかに読もうと思っている本や途中までしか読んでいない本が何冊かあるので、読むのはいつになるかわかりません。

*1:日本改造計画』(1993,講談社

*2:しかもあの稀代のトンデモ本『戦後史の正体』!!!(2012,創元社