kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

生活の党の森裕子と谷亮子の対立は、参院選への対応をめぐってだった

女子柔道・園田隆二監督体罰問題に見る山口香と谷亮子の落差 - kojitakenの日記 で少し触れた「生活の党」の森裕子谷亮子の対立の話だが、どこの週刊誌が載せていたかも覚えてなかった。昨日、たまたま本屋で右翼週刊誌『週刊新潮』の目次を見たら、その記事が出ていたので立ち読みしてきた。

これは『週刊新潮』にしてはスキャンダル性の稀薄な、穏やかきわまりない記事で、別に森裕子谷亮子小沢一郎を取り合いしているというようなものではなく、参院選をめぐって他党と共闘したい選挙区選出の議員(森裕子)と選挙区を持たない比例区選出の議員(谷亮子)が対立しているという話に過ぎなかった。

参院選の新潟選挙区は、自民、民主各1議席が指定席だったが、民主党の分裂と凋落で様相は一変した。ましてや森裕子民主党でさえなく、分裂劇でおん出た側の生活の党所属である。当然のごとく、民主党は森に刺客を送ることを決めたし、私が推測していた通り、維新の怪も候補を立てようとしているらしい。さらに、記事には書かれていなかったと思うが、上記のような情勢であれば自民党が2議席目を狙ってくる可能性もある。

いまや政党支持率社民党をも下回る生活の党に所属する森裕子にとっては、野党共闘ができなければ議席の維持はおぼつかない。だからその道を模索したいのだが、谷亮子はそこらへんに転がっている「小沢信者」と何ら変わるところがなく、小沢一郎を表に立てるだけで、何百万票か知らないが票が勝手に転がり込んでくると無邪気に思い込んでいるらしい。それで森裕子と対立しているというのだが、この対立は全面的に森裕子に理があることはいうまでもない。とはいえ、小沢一郎を表に立てた生活の党と共闘してくれる野党が果たして存在するか。記事は社民党くらいのものだろうと書いていたと思うが、社民党と生活の党の政党支持率を足しても1%になるかならないか程度である。森裕子にとっては、政党票はほとんどあてにならず、森自身の個人人気頼みの厳しい選挙戦を強いられる。私は歴史修正主義者の森裕子など大嫌いだし、参院選で落選すれば良いとさえ思っているが、それでも少しは森に同情してしまうくらい厳しい情勢だ。一方、谷の能天気さにはひたすら腹が立つ。


そんなことを思っていたところに、トムジィさんと仰る方の「はてなダイアリー」の記事に、当ダイアリーの記事へのリンクを張っていただいた。
政治への苛立ちとか - トムジィの日常雑記(ダイアリー版)


タイトルからも明らかなように、昨年末の衆院選で「日本未来の党」に投票された方の痛憤の思いを込めた記事である。

とはいえ、筆者のトムジィさんは小沢一郎の支持者ではない。それどころか、以下の引用文にあるように、小沢一郎に対してきわめて批判的だ。

小沢一郎については、その胡散臭さ、これまでの変節的動き、なによりも政局を中心にした政治行動等に対して、まったく信を置いていなかった。世に言う彼の豪腕なるものについても、政党のスクラップアンビルド以外でその実をみたことがないという印象だった。そしてなによりも民主党政権が樹立されて以来の彼の動き方は私には失望感を通り越すような思いでもあった。

鳩山政権自体には党幹事長として実権を、なによりも党資金を握ってある種の権力の二重構造を現出させた。陳情を一本化させ、それを元に官邸に乗り込んで選挙公約を捻じ曲げ ガソリン暫定税率廃止を撤回させたのをよく覚えている。鳩山が普天間で失脚するときに疑惑で追求されていた小沢を道連れにして以降、小沢は党中党、党内野党として政権の足を引っ張り続けた。

菅直人に対するそれは異常なまでだったと思う。小沢一郎を特に許せないのは、3.11という国難にあった時、自民党と組んで菅政権に不信任をつきつけようとしたことだ。巨大地震による被災、さらに福島第一原発事故によって、国家存亡の時に政局に明け暮れた。一方で自民党にあってもデマゴギーをからめて菅直人を批判し続け、不信任案可決の方向で動いていたのが現首相の安倍である。

東日本には人が住めなくなるかもしれない、あるいは関東まで大きな影響を受けるかもしれないそういう危機的な状況にあっては、与党も野党も一丸となってことにあたるべきだったはずなのに、巨大地震の被災を政局のダシにした。そういう政治屋であるというのが私の印象だ。私は菅直人などさほど評価もしていないし、政治家としては軽量級だと思っている。でも、あの国難にあっては彼を、民主党政権をサポートすべきだったのではないか。あの当時聞いた話では、自民党の政治家の中でも政府に協力を申し出た方が何人もいるという。森喜朗元首相もその一人だと聞いている。

政局中心の政治行動、権力闘争ばかりというのが小沢一郎に対してのイメージである。さらにいえば彼の様々な疑惑である。例の政治資金報告書への記載を巡る裁判では無罪になった。しかし10件近くもの不動産を政治資金を使って購入したこと、政治団体として購入できないので便宜的に名前貸しをしただけだという弁明ではあったが、それでも名義は小沢一郎本人となっているため、いずれは相続の対象となる個人資産となってしまう点などなど。彼はそれらについてきちんと国民に説明をしていない。記憶では裁判が継続しているときは、係争中であることを理由にしていた。それが勝訴となると今度は無罪となったことを理由として一切の説明をしない。法的責任と政治責任は異なることなど政治のイロハのはずなのだが、彼はそれらについてダンマリを決め込んでいる。


だが、小沢一郎に対してここまで強烈な嫌悪感を抱いている方でさえ、日本未来の党に投票した。再び引用する。

そういう小沢が反原発を持ち出したのである。誰もがその胡散臭さを感じた。私もその一人だったとは思う。でもそれでも、反原発の意思表明として投票した。と同時に小沢一郎も少なくとも原発へのアンチテーゼを全面にして選挙する以上、それを簡単に捨てることはないだろうとも思った。未来の党がどれだけの議席を取れるかはわからないが、それでも確実に当選した議員は原発へのアンチテーゼを是として政治行動を行っていかざるを得ない。それを良しと考えたのである。

選挙結果は大敗だった。準備不足が一番の理由だったろう。さらにいえば反原発を問題意識としていた人々も小沢一郎は敬遠するという部分もあったかもしれない。小沢派からすれば原発は票に結びつかない、失敗だったという意識もあっただろう。何よりも比例で300万以上の票をとったことについても、私のような立場からすれば、少なくとも反原発の意思表明をそれだけの人々が投票行動で示したという風に受け取った。でも小沢に近い筋からすれば、あの300万票のほとんどは小沢一郎への個人票である。原発なんてものをとりあげなければもっと票がとれたと、たぶんそんな思いがあっただろう。

そして日本の未来の党の暮のゴタゴタである。


私が観察する限り、「原発なんてものをとりあげなければもっと票がとれた」と言った(書いた)「小沢信者」はまだ見たことがない。

少し前に書いた きまぐれな日々 「日本未来の党」惨敗の原因は支離滅裂な経済政策にあり(2013年1月15日)から引用する。

(前略)「小沢信者」は私の見るところ二派に分かれていて、開票マシン「ムサシ」を用いた不正選挙にやられた、実は「未来の党」は勝っていた、という「勝ち組」と、敗北を認める「負け組」に分かれているが、後者にしても、敗因は嘉田由紀子を担いで小沢一郎を表に出さなかったからだ、つまり小沢を正面に押し出していれば勝っていたと主張しているに過ぎない。(後略)


つまり、小沢信者の「負け組」は、「脱原発」を打ち出そうが打ち出すまいが、「小沢一郎さえ表に出せばもっと得票できた」と主張しているのだ。谷亮子もその典型例なのだろう。一方、森裕子は自分の議席がかかっているので、「負け組」みたいな能天気な態度をとれるはずがなく、もちろん「勝ち組」の人たちが展開するぶっ飛んだ陰謀論に走るはずはさらさらない。当たり前のことだが、森裕子は「勝ち組」でも「負け組」でもない、その限りにおいてはまっとうな考え方をしているといえる。

「小沢さえ出せばもっと票が取れた」と主張する小沢信者「負け組」の主張を覆すのが、トムジィさんのような方の存在である。トムジィさんと同様に、小沢一郎は決して支持しないけれども、日本未来の党の「脱原発」に期待して投票した方々は決して少なくないだろう。その数は、小沢一郎の個人人気で同党に投票した人と比べると少ないとは思うけれども、決して無視はできず、少なくとも同党に投票した人の1割以上、おそらく2割くらいはいたのではないか。きたる参院選ではそうした人たちの票を失うわけだから、生活の党は昨年暮の衆院選以上に厳しい戦いを強いられることは火を見るよりも明らかだ。

そんなことは当事者の森裕子にはわかり切っているはずで、そんな森にとっては、能天気に「小沢先生さえ表に出せばもっと得票できた」と主張する谷亮子は、そりゃ腹立たしくてたまらないだろう。