kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

立花隆『天皇と東大』を読む - 現代版「蓑田胸喜」は誰だ

3月初めから三度の土日を含む16日間かけて、やっと下記の本を読み終えた。


天皇と東大〈1〉大日本帝国の誕生 (文春文庫)

天皇と東大〈1〉大日本帝国の誕生 (文春文庫)


天皇と東大〈2〉激突する右翼と左翼 (文春文庫)

天皇と東大〈2〉激突する右翼と左翼 (文春文庫)


天皇と東大〈3〉特攻と玉砕 (文春文庫)

天皇と東大〈3〉特攻と玉砕 (文春文庫)


天皇と東大〈4〉大日本帝国の死と再生 (文春文庫)

天皇と東大〈4〉大日本帝国の死と再生 (文春文庫)


ハードカバーの単行本刊行時(2005年)には上下巻だったが、昨年末から今年初めにかけて4分冊で文庫化された。総頁数は文庫本で2000頁を優に超える(単行本でも2冊で1500頁あったらしい)。内容は明治維新直後から先の大戦の敗戦までの日本近代史を、東大の主に法学部と経済学部の学者(右翼系の学者やそれに対抗する立場の学者)、それに東大出身者などにフォーカスしてジャーナリズム的に描いたもの。1998年から2005年まで『文藝春秋』に連載された。

この本でもっとも強烈な印象を残すのは、2007年の正月に読んだ佐藤優魚住昭の対談本『ナショナリズムという迷宮 - ラスプーチンかく語りき』にも取り上げられた蓑田胸喜だ。



まだ私が佐藤優を容認していた頃に、『きまぐれな日々』で『ナショナリズムという迷宮』に書かれた蓑田胸喜のくだりを紹介したことがある。

但し蓑田を取り上げたのは立花隆の方が早く、前記『ナショナリズムという迷宮』にも立花の『天皇と東大』からの引用がある。前記6年前の『きまぐれな日々』の記事にその部分を引用しているので、これを再掲する。

(前略)蓑田胸喜というのは、論理の問題と心情の問題をごっちゃにして言論封殺のアジテーションを行っていた男であるようだ。

蓑田はこの論法で、美濃部達吉の「天皇機関説」を激しく攻撃し、論争を巻き起こした。「ナショナリズムという迷宮」の中に、立花隆著『天皇と東大』(文藝春秋、2005年)の記述が引用されているが、これがとても興味深いので、孫引きになるが紹介したい。

天皇機関説論争は、国会でも取り上げられたのだが、国会で天皇機関説を批判した議員は、美濃部達吉天皇機関説の論文を読まずに批判していたのだった。

当時有名だったジャーナリスト・徳富蘇峰も、天皇機関説の論争に参加したのだが、彼もまた美濃部の著作を読んでいない、と自ら明らかにした上で天皇機関説を批判していた。

立花隆は、以下のように書いている。

 何も読んでいないが、批判だけはするというのだ。これでも蘇峰か、と唖然とするほど堂々たる開き直りぶりである。
 それで何をいうのかと思ったら、要するに、「天皇機関説などという、其の言葉」がいけないというのだ。その言葉が何を意味するのかわからないが、とにかくその言葉がいけないというのだ。「機関」が何を意味するかわからなかったら、天皇機関説の真意がわかるはずもなく、批判などできるわけがない。しかし蘇峰はそれでも構わず論理ゼロの感情だけの議論を続けていく。実は、天皇機関説論争の相当部分が、これと同じレベルの議論なのである。(立花隆天皇と東大』 下巻135頁*1

 議会のやりとりを見ても、首相、大臣などが、天皇機関説に対する見解を問われると、みな反対だといい、日本の国体をどう思うかと問えば、みな尊厳そのものとか、万国無比といったありふれたきまり文句をならべ、あげくにみんなが国体明徴を叫んで終わりという空虚な芝居が繰り返し演じられた。(前掲書、172頁*2

 一つの国が滅びの道を突っ走りはじめるときというのは、恐らくこうなのだ。とめどなく空虚な空さわぎがつづき、社会が一大転換期にさしかかっているというのに、ほとんどの人が時代がどのように展開しつつあるのか見ようとしない。たとえようもなくひどい知力の衰弱が社会をおおっているため、ほとんどの人が、ちょっと考えればすぐにわかりそうなはずのものがわからず、ちょっと目をこらせばみえるはずのものが見えない(こう書きながら、今日ただいまの日本が、もう一度そういう滅びの道のとば口に立っているのかもしれないと思っている)。(前掲書、173頁*3

佐藤優魚住昭ナショナリズムという迷宮 ラスプーチンかく語りき』(朝日新聞社、2006年)206-207頁)

魚住昭佐藤優も、この立花隆の見解に同意しているが、私も同感だ。これを読みながら私の脳裏から離れなかったのが、安倍晋三が好むフレーズである「美しい国」だった。
(『きまぐれな日々』2007年1月14日付記事「年末年始に読んだ本(4) 『ナショナリズムという迷宮』(下)」より)


今で言えば、「アベノミクス」が「ほとんどの人が、ちょっと考えればすぐにわかりそうなはずのものがわからず、ちょっと目をこらせばみえるはずのものが見えない」好例かもしれない。「アベノミクス」はバブル経済の生成には寄与するかもしれないが、失業者やワーキング・プアと呼ばれる人びとの暮らしを良くすることには間違ってもつながらない。そんなことは、ちょっと考えればすぐにわかりそうなはず、ちょっと目をこらせば見えるはずだと思うのだが。

さて、蓑田胸喜とは、一言で言えば国粋思想に凝り固まり、東大(及び京大)法学部に激しい反感を抱く、肩書きは学者(慶応大学予科教授)ではあるけれども、その実態は強烈な「言論テロ」を行ったアジテーターだった。もとは東大で学者を目指したけれども指導教官・姉崎正治に認められなかったことがトラウマになり、強烈なルサンチマンを持つようになったとされる。蓑田の悪行でもっとも悪名高い件は美濃部達吉の「天皇機関説」に対する攻撃であり、これは国論を転換させる重大なターニングポイントとなった。蓑田は「日本のマッカーシー」との異名を取るが、「言論テロ」の対象は何もマルクス主義者に限らなかった。現に美濃部達吉マルクス主義者とはいえない(息子の美濃部亮吉大内兵衛門下のマルクス主義経済学者だが)。

その蓑田のアジテーションに戦前の日本の言論はなすすべもなく屈した。佐藤優魚住昭との対談本で蓑田胸喜田中眞紀子になぞらえているが、私はあまり良いたとえとは思わない。むしろ佐藤自身が言及している山口県光市母子殺害事件に絡んで弁護団懲戒請求アジテーションを行った人間の方がはるかに蓑田胸喜に近いだろう。たまたま『ナショナリズムという迷宮』は、同事件弁護団懲戒請求事件が起きる半年ほど前の2006年12月に出版されているせいか、この件に関して誰かさんが行ったアジテーションへの言及はない。佐藤優魚住昭との対談で例に挙げて批判しているのは、当該事件とは無関係のオウム真理教の裁判を引き合いに出して安田好弘弁護士を貶める読売新聞記事の印象操作だが、その論理を当てはめれば、安田好弘弁護士を含む弁護団懲戒請求をテレビで煽った人間を当然槍玉に挙げなければならないはずだ。

しかし、佐藤はそうはしなかった。それどころか、佐藤がやったのは下記の記事で紹介したようなことだった。


佐藤優は、蓑田胸喜とはタイプも手口も全然違うけれども、日本をとんでもない方向に持って行こうとしている点において蓑田胸喜の同類といえるかもしれない。


ところで、『天皇と東大』の著者・立花隆は、この本の元になった連載を終え、単行本も出版した翌年、2006年8月15日に時の首相・小泉純一郎靖国神社参拝にぶつける形で、東大において南原繁の記念集会を主宰した。また、同年9月1日発売の月刊『現代』2006年10月号で、総理大臣就任前の安倍晋三に「宣戦布告」した。安倍の改憲指向を強くとがめたのだった。本を読み終えて思ったのは、これらの立花隆の行動は、長期にわたった連載の熱がまだ残っていて、その余勢を駆って行った行動だったのではないかということだ。第2次安倍政権発足直後、立花隆が、安倍は今度はそう憲法改正を急がないのではないかとの楽観的な見通しを述べていたことに失望させられた。もっとも立花隆は第1次安倍内閣崩壊のあと癌を患い、70歳を超えてもいるから、前回の安倍政権の時のような「反安倍晋三」の急先鋒としての活躍は望めないかもしれない。安倍晋三打倒に立ち上がるジャーナリストが現れることを期待するものだが、「岸信介は『自主独立派』だ」などという妄言を口走っている連中には全く期待できないことはいうまでもない。

蛇足だが、立花隆蓑田胸喜を酷評し、雑誌連載時に「精神障害者」で戦後間もなく故郷に帰って「狂死」したと書き、蓑田の遺族から抗議を受けたとのことだ。その結果、単行本でも文庫本でもこれらの言葉を伏せ字にした。しかし、立花は伏せ字にすることを余儀なくされたいきさつを、伏せ字が元はどういう言葉であったかをにおわせる説明を書き加えているので、事実上伏せ字の意味をなしていない。だからこの記事では上記のごとく伏せ字にせず書いた。

*1:文春文庫版では第3巻178頁

*2:文春文庫版では第3巻228頁

*3:文春文庫版では第3巻228-229頁