kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

ダルビッシュ、あと1人で快挙を逃す

MLBの開幕第2戦でテキサス・レンジャーズダルビッシュ有ヒューストン・アストロズ相手に9回二死まで完全試合の好投を演じたが、27人目の打者に打たれて快挙はならなかった。

完全試合というのは滅多にないことで、日本プロ野球では1994年に読売・槙原寛己福岡ドームで広島相手に記録して以来例がない。準完全試合(1失策または1与四死球の無得点無安打試合)さえ非常に珍しく、日本プロ野球では2006年に中日・山本昌が首位攻防戦の天王山といわれた阪神戦で記録して以来久しくなかったが、昨年オリックス西勇輝が消化試合の福岡ソフトバンク戦で6年ぶりに記録した。

だからダルビッシュが記録していたら本当にすごい快挙だったのだが、どういうわけかメジャーリーグは日本プロ野球よりも完全試合の頻度が高いらしく、数年前に相次いで2試合の完全試合があり、そのあと9回二死まで行ったゲームが誤審で完全試合が潰えたことがあった。つまり、審判のミスジャッジさえなければ年間3試合の完全試合が達成されたはずだった。

ところで、メジャーリーグでは野茂英雄が1996年と2001年にノーヒットノーランを記録しているが、制球の悪かった野茂にとってはあるいはノーヒットノーランよりも無四球完投の方が難しかったかもしれない。私自身、もしかしたら野茂は無四球完投をやったことがないのではないかと思って調べてみたが、さすがにそこまでひどくはなく、近鉄時代の1992年とドジャース時代の1995年に無四球完投勝利があった(もちろん、他にも記録しているかもしれない)。とはいえ、野茂は16与四球完投勝利という怪記録も近鉄時代の1994年に記録している。明らかに1試合の投球数としては投げ過ぎになるはずだが、当時の近鉄監督だった悪名高い「投げたらあかん」の草魂男・鈴木啓示は野茂を完投させたのだった。こうした酷使がたたってこの年野茂は故障し、それがもとで首脳陣に不信感を抱いた野茂が渡米を決意したとされる。投球数の管理のしっかりしているアメリカで、野茂は1995年から2003年までの9年間で7度の二桁勝利を記録したのだった。

おそらく野茂英雄の成功がなければダルビッシュの今回の好投はもちろん、イチローの成功もなかっただろうし、そのイチローの成功がなければ「読売の四番」の座を抛ってまでの松井秀喜の渡米などあり得なかった。

ダルビッシュはシーズン最初の敵地での登板だったが、大記録を目前にしては相手球団のファンまでもがダルビッシュの好投に拍手を送っていた。これと全く同じシチュエーションだったのが2001年、ボストン・レッドソックス時代の野茂英雄だ。開幕最初の登板を敵地・ボルティモアで迎えた野茂がノーヒットノーランを記録した時、敵地のファンは野茂を大いに称えたのだった。メジャーリーグでは日本よりもはるかに選手の球団間の移動がさかんなためか、ファンもひいきチームの勝敗もさることながら、相手チームであっても素晴らしいパフォーマンスには惜しみない拍手を送る傾向があるように見受けられる。相手チームに本拠地で優勝を決められたら「帰れ」コールをやらかしたり胴上げを妨害したりする日本の球場とはえらく違うようだ。

ところで日本プロ野球でもヤクルトが開幕戦黒星のあと思いもかけない4連勝で、にっくき読売にゲーム差なしの2位につけている。どういうわけか昨年は開幕戦の記憶しかないが、今年はもう少しくらいは楽しませてもらいたいものである。