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西武ライオンズの西口文也投手が現役引退へ

西武・西口が引退 完全含むノーヒッター3度逃し“記憶に残った男”― スポニチ Sponichi Annex 野球

西武・西口が引退 完全含むノーヒッター3度逃し“記憶に残った男”

 通算182勝をマークしている西武・西口文也投手(42)が、今季限りで現役を引退することが18日、明らかになった。近日中に正式発表される。入団2年目の96年から7年連続2桁勝利を挙げるなど、西武一筋の大ベテラン。しかしプロ21年目の今季の1軍登板は1試合のみで、白星からも3シーズン遠ざかっている。節目の200勝まで残り18勝だが、ついにユニホームを脱ぐ決断を下した。

 数々の輝かしい記録と忘れえぬ記憶とともに、西口がそのキャリアにピリオドを打つ。42歳の大ベテランは、この日までに球団、関係者らに今季限りでの引退の意向を伝えた。「レジェンド右腕」は12年6月23日のオリックス戦(西武ドーム)での通算182勝目を最後に、白星から遠ざかったままマウンドを去ることになった。

 13、14年は1軍で未勝利。背水の覚悟で臨んだ今季も、大半が2軍暮らしだった。それでも2軍ではローテーションに入り16試合で4勝1敗1セーブ、防御率2・95。若手選手とともに熱心に練習を続け、2軍首脳陣の間では「ここ数年で一番、状態がいいのでは」との声もあった。しかし1軍登板は5月28日の巨人戦(東京ドーム)の1試合のみ。42歳という年齢とも闘いながら節目の200勝までは残り18勝と迫っていた。しかし最後は熟慮のすえに「引退」を決断した。

 立正大から94年ドラフト3位で西武に入団。切れ味抜群のスライダーを武器に96年から7年連続2桁勝利。5度の開幕投手を務めた。97年には沢村賞、MVP、最多勝などタイトルを総なめにした。記録とともに球史に名前を刻んだのが、3度にわたる「幻のノーヒットノーラン」だ。02年8月26日のロッテ戦(西武ドーム)は、無安打に抑えていた9回2死から小坂に中前打。05年5月13日の巨人戦(インボイス)でも、同じく9回2死で清水にソロ本塁打を浴びて快挙を逃した。05年8月27日の楽天戦(インボイス)は9回まで打者27人をパーフェクトに抑えながら、味方打線も無得点で延長戦に突入。延長10回に沖原に初安打を許した。「まあ、(試合に)勝ったんでね。僕には縁がないということで」と話したが、ファンの脳裏に深く刻み込まれた伝説の3試合でもある。

 1メートル82、75キロと細身の体で、東尾、工藤、渡辺ら黄金期を支えた投手陣が抜けたチームを支えた。後輩・松坂が大リーグ移籍後も若い投手陣を背中で引っ張ってきた。21年間の野球人生を駆け抜けた功労者の引退。今後は何らかの形でセレモニーなども行われる見込みだ。生え抜きで輝かしい実績を残した右腕は、将来の監督候補として投手コーチなどで入閣する可能性もある。

 今季は中日・和田、オリックス・谷も引退。「(昭和)47年会」の一員で、同じ72年度生まれで同学年の西口も時を同じくしてユニホームを脱ぐ。

 ◆西口 文也(にしぐち・ふみや)1972年(昭47)9月26日、和歌山県生まれの42歳。県和歌山商では甲子園出場なし。立正大を経て94年ドラフト3位で西武に入団。3年目の97年には15勝を挙げ最多勝沢村賞、MVP、最多奪三振、最高勝率のタイトルを獲得。98年にも最多勝最多奪三振ベストナイン2度、ゴールデングラブ3度。通算成績は435試合で182勝118敗6セーブ、防御率3・73。1メートル82、75キロ。右投げ右打ち。

スポーツニッポンより)


西武ファンの方には申し訳ないが、西口文也とは懐かしい名前だ。それと同時に、これほど「非運」という言葉が似合う名選手もいなかった。

三度ノーヒットノーランを逃したうち、完全試合を逃した三度目は、当時最弱・球団創設一年目の楽天が相手だったが、9回を「完全」に抑えながら延長戦で快挙を逃した(但し完封勝利を挙げている)。その時の相手投手が、なんとあのダメ投手・一場靖弘(のちヤクルトに移籍したが2年間で1勝しか挙げられずに引退)だった。その一場に一世一代、まさかの好投をされてしまうとは、一場も不運だったかもしれないが、西口にとってはもっと不運だった。江夏豊なら自分でサヨナラ本塁打を打った*1かもしれないが、パ・リーグでは投手に打席は回ってこない。なお、江夏も延長10回にあわやホームランの大飛球を打たれたが、その日に限って甲子園球場にはレフト方向に吹く右打者有利の浜風ではなく、ライト方向に風が吹いていたためにスタンド(正確には当時存在したラッキーゾーン)に打球が届かず、九死に一生を得た。そんなところにも人間の運不運がある。

また記事には書かれていないが、日本シリーズでも好投報われず、勝ち星なしの5敗で、元広島の北別府学に並ぶワースト記録を持っている*2。但し西口は選手生活晩年の2011年にクライマックスシリーズで初勝利を挙げており、ポストシーズン勝ち星なしは辛くも免れた。なおポストシーズン勝ち星なしの連敗では、元ソフトバンクの「プロブロガー」斉藤和巳が勝ち星なしの6敗というワースト記録を持っている。

その西口の日本シリーズ最初の敗戦は(2敗目もだが)、1997年のヤクルト戦だった。その試合はテレビ観戦していたのでよく覚えているが、西口と石井一久の投げ合いだった。両投手とも好投したが、石井一が無死二、三塁のピンチを招いた時には(ヤクルト側から見て)やられるかと思った。しかし、8回表に西口はヤクルトの伏兵・テータムに一発を浴びて負けた。その試合のテレビ朝日の中継で解説していたのが北別府だったが、この西口のシリーズ1敗目は、実は北別府のシリーズ最後の5敗目とそっくりの展開だったのだ。ともにホームゲームで0対0で迎えた8回表に、先頭打者にソロホームランを打たれて負けた。北別府の場合は打たれた打者は昨年までソフトバンクの監督を務めていた西武の秋山幸二(1991年)で、秋山は翌年のヤクルトとのシリーズでも岡林洋一からソロホームランを打って1対0で勝ったこともあるなど(第4戦)、文句なしの名選手だったが、西口が打たれたジム・テータムは、調べてみるとこの年打率.309をマークしているものの51試合にしか出場しておらず、この試合でも8番打者だった。そのテータムに打たれるとは、一場に完全試合を阻まれたことと合わせて、西口の勝負運のなさを象徴している。しかし、その試合で解説をしていた北別府の日本シリーズワースト記録に並ぶとまでは思わなかった。

西口は、「2ちゃんねらー」たちに「ぐう聖」と称されるなど、人格者として知られる選手だ。性格が良すぎたために勝負弱かったのではないかとも思える*3

文字通り、「記録より記憶に残る」名選手だった。お疲れさまでした。

*1:江夏は1973年の中日戦で、延長11回に自らサヨナラ本塁打を放ってノーヒットノーランを達成した。

*2:現中日の山本昌が勝ち星なしの4敗で続くが、山本昌も今年で引退かもしれない。なお勝ち星ありでは村山実山田久志がそれぞれ5連敗を記録しており、北別府・西口と並ぶワースト記録である。

*3:勝負強い選手や監督には、野村克也落合博満など、性格が悪いとしか思えない人間が多い。なお、強者に取り入ったり金権を振りかざしたした星野仙一は論外である。