kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

中央集権国家としての日本のあるべき選挙制度

言及が遅れたが、下記記事に書かれた指摘が正鵠を射ているのだろうと思うに至っている。


どのような国を想像するか問題 - Living, Loving, Thinking, Again(2013年4月2日)

http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20130327/1364342914

http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20130328/1364482703


最近昨年末の総選挙における「一票の格差」が違憲であるという判決が各地の裁判所で相継いでいるというのは衆知の通り。中には昨年の総選挙を「無効」とした判決もある。それに対して、「衆議院選挙制度を全国1ブロックの比例代表制にすれば、「一票の格差」の問題などたちどころに解決する」という。また参議院は「改選議席数に対して都道府県あたり各2名(94人)プラス全国区(25〜30人程度)とする」とも言っている。まあそれはそうなのだけれど、問題は〈日本〉をどのような国として想像するのかという問題と関係していると思う。〈日本〉を中央集権国家として想像するなら、「一人一票」に近づけること、或いは「全国1ブロックの比例代表制」というのは当然のことだろう。また〈日本〉を先に〈地方〉があって共有部分としての〈中央〉(国家)が導かれる連邦国家として想像するなら、(人口に関係なく)地域毎に一定数の代表というのが妥当になる。この場合、一票の平等は個人のレヴェルにおいては否定されるが地域というレヴェルでは確保されることになる。日本国憲法連邦国家を想定してはいない。しかしどの国も(アクセントの違いはあっても)中央集権的な側面と連邦的な側面の何れも持っているわけで、(様々なバランスにおいて)2つの原理が併用されているということになる。

一票の格差」問題と同時に議員定数の問題も論じられているようだが、個人的には定数は減らすべきではなく、(例えば)議員歳費を半減しても定数は2倍に増やすべきだとは思う。

ところで、一連の訴訟を仕掛けた「一人一票実現国民会議」、発起人や賛同者には色々な人がいる。「新自由主義者」が多いということが話題になっているようだが、長嶋茂雄の息子である長嶋一茂、それからアーティストの村上隆も入っているな。


過去の裁判所の判決を参照しても、衆議院選挙は言うに及ばず、参議院選挙でも一票の格差に対する「違憲」判決が多く出ている。参院選都道府県あたり等人数プラス全国区制度の思いつきを記事にしたが、「都道府県あたり等人数」については、多くの方に想像がついたと思うけれどもアメリカの上院を念頭に置いた。ネットで調べてみると同様のことを提案した例は過去に枚挙に暇がないほど多数あるようだが、アメリカでそれが成り立ちうるのは「連邦国家」であるという根拠に基づいており、日本ではそのような選挙制度違憲だ、それを実現しようと思えば憲法を改正するしかないとの説がある。現憲法下においては、日本を中央集権的な国家という側面を中心にとらえる他はなさそうだ*1

とはいえ、上記記事の指摘にあるように、「どの国も(アクセントの違いはあっても)中央集権的な側面と連邦的な側面の何れも持っているわけで、(様々なバランスにおいて)2つの原理が併用されている」わけで、それを考慮した上で参議院はどのような制度にすべきかを考え直してみようと思っている。もちろん、参議院に「連邦的な側面」を反映させたいという狙いがある。

衆院選に関しては、「全国1ブロックの比例代表制」ないし、みんなの党が提唱しているような「全国で得票を集計して地域ブロックに割り振る」比例代表制が良いという意見は変わらない。但し、みんなの党が主張する定数削減や一院制、小政党の参入制限には大反対である。共産党が提唱する「全国11ブロックでの比例代表制」でも良いが、それよりもより小政党が参入しやすい「全国1ブロック」の方がベターだと思う。

*1:日本を中央集権国家としてとらえるといえば、某所で議論している再分配の問題についてもいえることで、「再分配を重視する」とは、「いったん分配された富の一部を政府(や地方公共団体)が強制的に取り上げて集め、それを分配し直す」ことを積極的に肯定するという意味である。こうはっきり書けば支持者が減るだろうとは思うが、事実としてそういうことを主張している。つまり、市場メカニズムだけで富を公正に分配することは不可能で、政府の介入が必要だと言っているのである。だから、民間の団体が自発的に行っている「分配」の行為は「再分配」とは全く関係ないと主張する次第。