kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「『橋下発言』はアメリカからどう見えるか 」(冷泉彰彦)

冷泉彰彦という人に普段そんなに関心はないし、まともなこともまともでないことも言う人だという印象を持っているが、下記の冷泉氏のコラムは「まともなこと」の範疇に属するだろう。慰安婦に関する橋下の発言に対するアメリカの反応を論じたもの。その後半部分を紹介する。


「橋下発言」はアメリカからどう見えるか | 冷泉彰彦 | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト(2013年5月16日)より

「橋下発言」はアメリカからどう見えるか
2013年05月16日(木)13時38分


(前略)
(5)この問題の報道ですが、アメリカに関して言えば、橋下市長の個人的な問題という文脈で語られるだけだはありません。むしろ「安倍政権には超国家主義者(ウルトラナショナリスト)的な懸念がある」ということがあり、その延長で「アジア諸国との関係が悪化している」という問題と絡めて解説されることが主です。その場合には、この「橋下発言」と「高市早苗自民党政調会長村山談話否定コメント」が同列視された上で、日本の保守派の「ホンネ」だとされ、全体としては安倍政権への疑念という形に集約されています。

(6)ところでこの「超国家主義者(ウルトラナショナリスト)」という表現ですが、安倍首相は「誤解であり、説明して誤解を解きたい」と言明しているようですが、この認識自体に誤解があります。国際社会での定義ということで言えば、「超国家主義者」というのは「自国中心主義が過度になり、周辺諸国との摩擦を煽っている」ような人物だけでありません。第二次大戦を引き起こした「ナチス・ドイツ」がまずあり、その信奉者である現在の「ネオナチ」だけでなく、戦前の日独伊三国同盟と、この同盟を背景に行われた戦争の正当化をする人間はやはり「超国家主義者」になるのです。

(7)それは、日独伊三カ国を「旧敵国」として蔑視しているからではありません。第二次大戦を「最後の世界大戦」として位置づけ、その再発を防止するために国際連合を組織しているのが「戦後体制」である以上、日独伊三国同盟による戦争遂行の肯定というのは、現在の国際社会の安全保障の大前提を否定することになるからです。

 尚、イタリアに関しては映画『コレリ大尉のマンドリン』(ジョン・マッデン監督、2001年)が描写しているように、ムソリーニ政権を自ら倒すことで連合軍に単独降伏し、反対に対独戦に加わっています。従って、現在に連なる「国のかたち」としては自他共に「旧敵国」という扱いにはなっていません。

(8)いずれにしても、今回の一連の経緯により、売買春に関する価値観という問題と、第二次大戦の評価という問題で、日本という国のイメージは大きく傷ついています。今回の「飯島訪朝」問題もこれに絡む可能性があり、これからの日本の外交は選挙を控えて難しい局面に向かう可能性があります。


私は、この冷泉彰彦氏の論考には特に驚くこともなく、まあそんなもんだろうなあと思っただけだった。海外の報道は橋下の妄言を安倍晋三の歴史修正主義と関連づけている - kojitakenの日記(5月16日)でも指摘したように、アメリカに限らず、どこの国の報道でも橋下の妄言を安倍晋三歴史修正主義的な発言と結びつけていることに気づいていたからである。

しかし、上記リンク先の記事で書いたように、国内の穏健保守派と思われる人たちの間でも、「安倍首相は恐ろしく運が強い。今回の橋下発言問題で、自身の歴史認識についての危機も回避できそうだ」などと根拠のない能天気な楽観論がまかり通っているようだから、そうした人たちや彼らに影響された人たちにとっては、冷泉氏の論考は意外性を持って受け止められるのかもしれない。

繰り返すけれども、日本の外交にとっての最大のリスクは安倍晋三であり、安倍に準じる脇役的なリスクが、橋下だの石原慎太郎だのといった暴走中年や暴走老人なのである。