kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

1998年の森嶋通夫の見立てよりずっと早く没落している日本

先週公開した 安倍晋三は日本を没落させ、谷底深く突き落とすだろう - きまぐれな日々(2013年9月2日)で、森嶋通夫の『なぜ日本は没落するか』(岩波現代文庫,2010、単行本初出は岩波書店,1999)を紹介したが、高校時代の政治経済の教師が同氏の『イギリスと日本』(岩波新書,1977)に授業でしきりに言及していた。しかし、私自身が『イギリスと日本』を読んだのは、それから30年以上経った2009年のことだった。そして、『なぜ日本は没落するか』を読んだのは、上記ブログ記事にも書いたようについ先日のことである。


なぜ日本は没落するか (岩波現代文庫)

なぜ日本は没落するか (岩波現代文庫)



本文の大部分が1998年に書かれた『なぜ日本は没落するか』で、著者は教育の重要性を力説する。以下長くなるが、本書第2章「人口の分裂」より引用する。

教育の役割 - デュルケームの規定


 デュルケームによれば、教育は次のような役割を演じる。教育−−成人ないし社会人教育でなく、青少年に対する教育−−は青少年が大人の社会に参入するのを円滑にするという役割をもっている。このことは大人の社会がどういう社会であるかに応じて、青少年の教育のされ方が決まることを意味する。逆に言えば、青少年の教育のされ方を決めれば、大人の社会もそれに応じたものでなければならないことを意味する。

 それ故、日本のように学校教育が占領軍の命令によって、自由主義個人主義を根幹とするように決められると、大人の社会も自由主義個人主義を基軸とするものに改革されるべきだということを意味する。しかし大人の社会に関しては、占領軍はそのような命令を出さなかった。また占領が終了して、日本政府が教育の自主権を獲得した後も、政府は学校教育を再改革することはなかった*1

 その上、戦後の日本人は大人の社会をできるだけ戦前のままに保つよう努力した。後の章で見るように、戦後の日本経済は戦争中の体制の平時版と見てよいほど、戦時体制に酷似していた。同時に日本の政治体制も政治勢力も、戦前回帰的であった。さらに重要なことには、このような組織を動かしていくイーソス(精神、ethos)は、極めて日本土着的であった。

 言うまでもなく、この事実は大人の社会(保守的、日本土着的)と、青少年の社会(進歩的、西欧的)の間に大きい断層があることを意味する。だから学校教育を終えた青年は、大人の社会の入り口で戸惑い、失望した。

 新入社員を受け入れた会社は、「社員教育」という名の道徳教育を行ない大人社会の掟を新人社員に強制した。それは彼らが学校教育で善とし是としたものを全く裏返しにした像を映し出した鏡の中の世界であり、鏡の中では現実の左右は、右左に、前後は後前に映し出されていた。学校で習った道徳律に、若者たちは一八〇度の変換をほどこして、行動しなければならなかった。変換の術に長けないものは、衝突し、衝突した者は、採用内定が取り消され正式社員となりえなかった。

 戦後大人の社会入りした純粋戦後派は、まずこの新人社員教育という踏絵の煉獄に耐えなければならなかった。子供たちをそういう戦後派に教育し、教育結果に責任を持つべき筈の文部省は、「社員教育」はやめろとの声を上げなかった。改めるべきは大人社会であるはずだのに、「新入社員教育」は、大人社会への通過儀礼として定着した。

 しかし初めのうちは二つの道徳−−日本式の大人道徳と西欧式の子供道徳−−の矛盾はそれほど大きいものではなかった。子供たちは学校で自由主義個人主義について学ぶとともに、家庭では日本式の道徳(儒教道徳といってもよいであろう)を学んでいたから、戦後初期の若者たちは二刀流に行動することが可能であった。だから新入社員は大人の社会に順応し、日本は教育改革にもかかわらず、道徳面で極めて保守的であり得たのである。

 しかし一九八〇年代末になると、純粋戦後派の家に生まれた子供たちが学校教育を終えて、大人社会の門戸を叩くようになった。このような新青年は、二刀流を使えなかった。彼らの親は、二刀流であるとはいえ学校では欧米流の教育を受けていたのだから、そのような家庭で育った八〇年代末期の新青年には、二刀流を使うことは非常に難しかった。

 こうして漸く、日本の大人社会の下部(若年層)が動きだした。学校教育は大人社会にうまく接合していなければならないというデュルケームの主張に、日本が真剣に直面すべき時に達したのである。それは大人社会を固定して、それに適合するように子供教育をするという形ではなく、子供教育を固定して−−自由主義個人主義教育は、戦後社会の至上命令である−−大人教育(原文ママ)がそれに適合するという形で遂に実現するようになったのである。ここに遂にと書いたのは、大人社会のあらゆる抵抗があったにもかかわらず、遂にという意味である。

 しかしこれは二つの社会の理想的な接合の仕方ではなく、致し方ない無理矢理の接合である。というのは大人の社会の側に、自分たちの社会の道徳や気風を変えようとする気がなかったからであり、もしそういう気があれば、大人社会をどう変えるべきかの議論が起こり、そのためには学校教育をどう変えればよいかの議論が起こった筈である。文部省に教育改革の意志が全くなかったとは言わない。しかし彼らの改革の試みは、すべて技術的な側面だけに限られていたようである。自由主義個人主義は、学校教育の神聖不可侵な理念であり、他方大人社会は明治天皇教育勅語そのままの社会であり続けさせたいというディレンマに文部省は陥っていた。

 その間、大人社会の理念と子供教育の理念は両立不可能なまでに乖離して、戦後に大人社会が、新人類によって押し切られたのが現実である。(最近には、子供教育の理念をもっと保守化、土着化せよという動きが一部に起こってきている。不況が続けば、こういう動きは強くなると考えられるが、その点については第八章を見られたい。)

森嶋通夫『なぜ日本は没落するか』(岩波現代文庫,2012、単行本初出岩波書店,1999)15-19頁)


以上長々と引用したのは、実際に「新人類」と呼ばれた世代の人間である私が読んで、なるほど実に的確な指摘だと感心したからである。現在日本が世界から疑念を持たれている「右傾化」のメカニズムもよく説明されている。ついでに書けば、「二つの社会の理想的な接合の仕方ではなく、致し方ない無理矢理の接合」の結果、ワタミのような「ブラック企業」がはびこるに至ったとも思われる。ワタミこと渡邉美樹は1959年生まれ、つまり「新人類」の世代に属する人間である。ワタミが「偉い」と思っているのは自分自身だけであり、その意味で典型的な個人主義者だろうと思うが、そんなワタミが、祖父・岸信介を信奉するという一点のみの理由から復古主義に走っている安倍晋三と結びついた。

さて森嶋通夫の著書の紹介に戻ろう。著者は、上記の背景から「1990年代初め」の重要性を説く。小沢一郎が実質的に自民党海部俊樹内閣を支配していた時代である。再び引用する。

一九九〇年代初めが重要な理由


一九六〇年代から一九七〇年代にかけて日本の政財界を支配していた戦前世代が、一九九〇年代になって力を失った。このことは容易にわかることである。一九八〇年代は、主役が戦前世代から戦中世代へと移っていく時期だった。そして、一九九〇年代半ばには、さらに戦後世代への移行が始まったと言えるかもしれない。GHQの教育改革は、米国流の理想を日本の子供たちに植えつけるという意図をもって進められた。それは「家」の大切さや国家への忠誠を強調する儒教を基礎にした戦前教育とは大きく異なっていた。作家の三島由紀夫が、自衛隊の将校や兵士に対し忠誠心や愛国心を重んじる戦前倫理の復興の必要を説き、彼らに一笑に付せられるとその場で自殺したのは一九七〇年である。その行為は唐突で、手法もヒステリックでマンガ的ですらある。しかし、それが戦前世代から戦後世代への実権の移行が始まった初期の出来事である点には注目すべきである。三島自身は、過渡期の教育を受けた最年長の世代に属している。

 少なくとも一九八〇年代初めまでの日本では、政治家、官僚、財界人が互いにうまく協力を進めてきたことは承認できる。だが、いわゆる「バブル」がはじけた一九九〇年以来、この三つの専門集団の間の強固な団結は崩れていった。官・財の贈収賄インサイダー取引、不自然に高価な飲食店での「官官接待」など、数え切れない不祥事が新聞に暴露された。こうした職務規律の荒廃は、特に「バブル」期に生じたものについては、政治家・官僚・財界人の活躍する年齢が大きくずれているという事実と関連が深いように思われる。

 官僚の場合、その省庁のトップである事務次官が決まると、彼以上の古参者は辞める慣例になっている。だから官僚の殆ど全員は約五三歳以下と言ってよい。他方、企業の世界では、通常の社員は五八歳が定年である。幹部クラスになると、たとえば六三歳まで残る者もいる。さらに、社長・会長・相談役になると、だいたい七〇歳くらいまでは現役に留まれる。

 そして、政治家の場合には、企業トップよりもさらに高齢まで現役に居座り続けることも決してめずらしくない。一九九〇年代前半が大切な理由は、これで理解できよう。この時期は非常に複雑な時代である。官界は一貫して戦後教育を受けた人か小学校一、二年だけ戦前教育を受けた過渡期末期の人で占められており、次いで産業界のトップは過渡期前期の人で占められつつあり、さらに政界にはまだ時代遅れの考え方をする戦前派が残っていた。日本は政財官の三界の結束が固い社会と言われるが、一九九〇年代初めには、教育的背景の全く違う人が三界を占めていたのである。

 それまでの戦後史を通じて、一九四六年から一九八〇年にかけては、吉田茂石橋湛山池田勇人佐藤栄作三木武夫福田赳夫大平正芳など*2、日本的水準では優れていたといえる政治家が活躍した時代であったが、これらの人達は石橋・三木の二人を除けば、全員キャリア官僚の出身である。その後、こうした官僚出身者による政界支配が批判され、政党生え抜きの人間に重要な地位を任そうという気運が高まった。一九八八年から一九九七年にかけて(ママ*3)九人の首相が誕生したが、そのうち官僚出身者は宮沢喜一ただ一人。他は皆政党生え抜きの首相である。だがその業績は、それ以前の官僚出身の首相と比べると、明らかに大きく見劣りがする。

 これらの党人派の政治家は戦後教育を受けた若い人達であったにもかかわらず、選挙に勝ち抜かねばならぬという地位の不安定さの故に、選挙区の古老に牛耳られており、日本の政界の倫理は党人派の時代がくるとともに近代以前に逆戻りしてしまった。さらに政界には定年制がないから、古色蒼然とした時代はずれの思想の持主の大物が生き残っている。こうして日本の政界の倫理はついには、ムラ社会の感覚や哲学によって支配されるくらいにまで、地に堕ち堕落してしまったのである。

 さて、ここで忘れてはならないのは、企業社会の上層部ではその頃は戦前期ないし過渡期前半期の教育を受けたものが支配し続けていたということである。だから保守的な眼によって、新入社員が八〇年代半ばには「新人類」と見られたことは既に述べた。彼らの扱いに手を焼いた一九八〇年代後半には、社内の再訓練自体がうまくいかなくなってしまった。というのは、訓練する側でさえ、経営上層部から見れば理解しがたい存在、新人類の亜流でしかなかったからである。

(中略)

 労働人口の構造という観点から見れば、日本は一九八〇年代に急速に変化した。一九八六年までは、政財界の主力はほぼ戦中。戦前世代に占められていた。ところが一九九〇年には、現役の幹部として活躍する戦前世代はまだ舞台に残ってはいるが、去りつつあった。既に指摘したように、一九九四年以降は、日本の社会は大きく三つの部門に分裂していた。つまり、新制教育を受けた官僚からなる行政部門、伝統的な行動様式でしか動かない政界、そして儒教エートスを残している過渡期の教育を受けた経営上層部と戦後教育を一貫して受けた一般社員クラスが混在するビジネス社会がそれである。

(同前、22-27頁)


これも興味深い分析だが、現在はこの文章が書かれた時から15年の歳月を経ている。その間政治は、小泉純一郎小沢一郎という二人の「戦後教育を受けた世代」の政治家によって大きく変わった(というより「ぶっ壊された」)。「自民党をぶっ壊す」から「政権交代」を経て、自民党が政権に回帰し、戦後生まれの安倍晋三が二度目の政権を担っている。安倍晋三は、思想的には国家主義的な復古主義者(極右)だが、安倍が信奉しているのは戦前の国家主義的政治思想そのものではなく、単に「(母方の)祖父(=岸信介)」を崇拝しているに過ぎまい。「保守」を自任する安倍晋三以下自民党右派の政治家が依拠したい「共同体」は、既に小泉純一郎によって加えられた最後の一撃によって粉々に破壊されてしまった。安倍晋三稲田朋美城内実片山さつきらの政治思想は、実体を欠く空虚なものだとしか私には思われない。とりわけ前記4人のうち城内実片山さつきに典型的に見られる、妙ちきりんなエリート意識を伴って肥大した自我は、いかに彼らが「教育勅語」の重要性を力説しようとも、戦前の狂信的国家主義とはやはり別物であろう。そんな彼らによる政治が持続可能なものであるとは、私には到底思われないのである。今後彼らが戦争による日本経済の立て直しを企図するにしても、そのバックボーンには戦前の国家主義的な狂った「思想」さえなく、ただひたすら中国や韓国に対する日本人の憎悪を煽り立てる手段しかとれないのではないか。そんな安倍らにいつまでも日本国民が支持を与え続けるとは、私は思わない。

繰り返すが、上記森嶋通夫の文章が書かれた1998年は、長野冬季五輪が行われた年でもあるけれども、同時に9年連続の民間給与所得の減少と、14年連続の自殺者3万人超えのともに「第1年」となる、悪い意味で記念すべき年である。そして、「儒教エートスを残している過渡期の教育を受けた経営上層部」が去ったあとのビジネス社会は、さらに惨憺たるものになったのだった。その嚆矢は1995年の日経連による「新時代の日本的経営」の提言であり、これに伴って大企業の成果主義人事制度とそれに伴うリストラ部屋の開設が続いた。ここまでは1998年以前のことだが、その後1999年と2004年の二度の労働者派遣法改正に伴う非正規雇用労働者の急増、リーマンショック後は正社員になることを渇望する若者につけ込むような「ブラック企業」の蔓延へと続いた。今こうして振り返ると、暗澹たる気分にならずにはいられない。そして、「昭和30年代」への郷愁を語り、古き良き共同体再建を目指しているはずの総理大臣・安倍晋三が「ブラック企業」の経営者であるワタミ(渡邉美樹)に自ら直々に参院選自民党比例代表出馬を要請し、ワタミは晴れて自民党所属の参議院議員になった。なんともひどい自己矛盾だが、この一点だけとっても安倍晋三の思想は破綻しているといえるだろう。

森嶋通夫は「2050年」までの日本の没落を予測したのだが、日本の没落のスピードは、森嶋が予測したよりもずっと早いといえるのではないか。

*1:引用者註:本書が書かれたのは1998年であることに注意を要する。著者の没後の2006年、第1次安倍晋三内閣時代に教育基本法が改定され、学校教育の再改革(というより戦前への回帰)が始まったと見られる。

*2:著者が岸信介田中角栄の名前を抜かしているのは間違いなく意識的にやったのだろう(笑)。

*3:「一九八七年から一九九八年にかけて」の誤記と思われる。竹下登宇野宗佑海部俊樹宮沢喜一細川護煕羽田孜村山富市橋本龍太郎小渕恵三。なおここでも著者は中曽根康弘をすっ飛ばしている。