kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

立憲主義、安倍晋三、高村正彦、それに「崩壊の時代」

昨日書いた記事のコメントより2件。

http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20151127/1448583080#c1448697831

id:Gl17 2015/11/28 17:03
『「よい政府」、つまり「よい権力者」は存在しない。アメリカ建国の父、トーマス・ジェファーソンが言うように、信頼はつねに「専制の親」である』

安倍総理が二言目にはトラストミー的なことを言い出す理由がすごい明確に述べられてますねこれ。


「無条件で権力(者)を信頼すると、専制政治が生まれる」ってことですよね。実際、安倍晋三は国会答弁でこんなことを言い放ちました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150716-00010001-nishinp-pol(2015年7月16日)より

「われわれが提出する法案の説明としてはまったく正しいと思いますよ。私は総理大臣なんですから」

5月20日党首討論で、首相は民主党岡田克也代表の質問をこう一蹴した。西日本新聞より)


俺が総理大臣なんだから俺の言うことが正しい、だから俺を信頼しろ、と安倍晋三は言ったわけですが、こんなことを言った総理大臣は私の記憶にはありません。もちろんこの安倍晋三の答弁は立憲主義と正面から衝突するわけですが、かくも真っ正面から立憲主義に挑戦した総理大臣は、少なくとも戦後に限っては初めてでしょう。

なお、「無条件で権力(者)を信頼すると、専制政治が生まれる」の対偶をとると、「専制政治が生まれないようにするのは、無条件で権力(者)を信頼してはならない」ことになりますが、これは何も右翼や自民党支持者に限らず、政治に関する意思表示をしている人間の中にはこれが実践できない人が多数いるのではないかと思います。たとえば、「××信者」と揶揄されるような、「リーダー(または教祖)の意向が第一」の人たちにとっては、リーダー(教祖)の意向が憲法より優先しますから、立憲主義の立場に立つことはできません。現に、そうした教祖の中には、毎回の「えらぼーと」の「集団的自衛権の政府解釈」に関する質問に「見直すべきだ」という、立憲主義に真っ向から反する回答をしていた人物がいます。また、党員や党支持者が政党の方針に忠実であるとされるいくつかの政党の支持者にとっても立憲主義の立場に立つことは容易ではないと思われます。もっとも、そうした政党の支持者であっても、党が自主投票を決めても、独裁的な政党の候補者に投票した割合が自民党民主党の支持者よりも少なかったという投票行動をとるなど、内実はなかなかしたたかであって捨てたものではないとも思いますが。


http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20151128/1448672692#c1448718250

id:axfxzo 2015/11/28 22:44
もっともヤバイこと。
高村とか…戦前のキチウヨ、まんまやんけ(笑)…安倍晋三とかが、未だに平然と五割前後のハイレベルな支持率で、何となく許されている現実である。
普通、閣僚に悪質な変態行為をやってのけた(かつ、窃盗罪である!)
野郎がいたりしたら、かなりのイメージダウンとなるし、それこそ
揉み消し工作として、こやつを解任すらするはずだが、親玉どもがこのレベルなので、なんかのアニメソングみたいに、へっちゃらー、へっちゃらー?状態である。
高村発言、安倍晋三、橋下とか、もはや極右という御大層なくくりよりも『チンピラ』極右と換言した方が
適切だろう。
かつて、手塚治虫は…なんとも変なことに、あの極右雑誌『文春』の連載だったはずだが…キチウヨどもが
読んだら頭の血管を破裂させそうな
切れ味のよい名作、『アドルフに告ぐ』を連載していた。
あの中で、日中戦争のことを見事に
描写していたが、
本来、戦争に反対すべき左翼の社会大衆党も(賛成だし)、社会はエログロナンセンスに興じていた的なことだったはず!
腐りきった、お気楽な世の中と対照的に、軍刀を抜いて中国人の首をハネル、あの様が …
軍刀はないとしても、別の形で殺戮に荷担することは、十分にありって
…この高村発言を知って、思えてきたね。
文にとりとめなきは、ご容赦!
個人の日常は極めて平和でじゆうに
感じられ、ハイテクライフもその感覚を増幅させているが、本質的には
崩壊の時代なんてもんじゃねえ。
あの狂った時代とさしたる違いないのでは?
なんで、弁護士でもある政府のNo.2が、こんな発言して平然といられるのか?
なんで、下着ドロ疑惑男が、時効以前の話で、日本社会を統べる立場にいけしゃあしゃあと居直り続けられるのか?
野党が不甲斐ない以前の次元!
中国、韓国、北朝鮮とネタにして民主党がダメよダメダメとさえ、口ずさめば
『とりあえず安倍晋三で』
と済ませてしまう社会って、エログロナンセンスでは?
普通の感覚ならば、九十年代半ばみたいな政治不信と無党派の増大なんてものじゃないくらい、内閣支持率も激減し、低投票率などの問題が加速するはずだ。
そうならぬところが、コジタサン的には崩壊の時代というネーミングなんだろうけど。


「崩壊の時代」のネーミングは私ではなく坂野潤治氏によります。
以前この日記でも紹介しましたが*1、坂野氏は、2012年に書いたちくま新書『日本近代史』の最後に、1937年7月7日の日中戦争勃発を記し、

 これ以後の八年間は、異議申立てをする政党、官僚、財界、労働界、言論界、学界がどこにも存在しない、まさに「崩壊の時代」であった。異議を唱えるものが絶えはてた「崩壊の時代」を描く能力は、筆者にはない。

と書いて本文を締めくくりました。また、巻末の「おわりに」に、

 二〇一一年三月一一日の大地震、大津波、大原発事故の三重苦の克服を論じるとき、多くの人々は、当然のように八月一五日の国難からの復興と対比した。敗戦で焼野原となった日本を復興させた日本人は、三月一一日の国難にも必ず打ち克てると説いたのである。

 しかし、第6章で「危機の時代」が「崩壊の時代」に移行するところを分析した筆者には、二〇一一年三月一一日は、日中戦争が勃発した一九三七年七月七日の方に近く見える。

 一九三七年七月七日の日本は「崩壊の時代」の入口に立っていたのに対し、四五年八月一五日の日本は「崩壊の時代」を終えて「改革の時代」を迎えていたのである。愚かな指導者と愚かな戦争から解放された日本国民は、希望に燃えて戦後改革を受け容れ、復興に全力を尽くしたのである。

 三月一一日の三重の国難を迎えて以後の日本には、「改革」への希望も、指導者への信頼も存在しない。もちろん東北地方の復旧、復興は日本国民の一致した願いである。しかし、それを導くべき政治指導者たちは、ちょうど昭和一〇年代初頭のように、四分五裂して小物化している。「国難」に直面すれば、必ず「明治維新」が起こり、「戦後改革」が起こるというのは、具体的な歴史分析を怠った、単なる楽観にすぎない。「明治維新」や「戦後改革」は日本の発展をもたらしたが、「昭和維新」は「危機」を深化させ、「崩壊」をもたらしたのである。

と書きました。


日本近代史 (ちくま新書)

日本近代史 (ちくま新書)


また、翌2013年、坂野氏は毎日新聞のインタビューに答えて、下記のように語っています。

 「危機の時代は小泉純一郎政権から野田佳彦政権まで。第2次安倍晋三内閣で崩壊の時代に入りました。みなさん、今はアベノミクスに満足しています。昨日もタクシーに乗ったら、運転手さんが『いい時代になりました』と言っていました。安倍内閣の支持率が70%近くという世論調査の結果は正しく反映していると思う。しかしその先に何があるのかなんて誰も想像できません。未来がなくて、今の状態だけに満足している」

 今が戦前の第1次近衛文麿(このえふみまろ)内閣が発足した崩壊の時代の始まりと重なって見えるというのだ。近衛内閣はあらゆる政治勢力を包摂して発足し、異議を唱える者が絶え果てた時代という。確かに今も巨大与党に対抗する勢力の衰退が止まらない。「あの時は戦争に負けて焼け野原になったように崩壊の形が目に見えた。しかし今回はこの国の体制がどういう形で崩壊するのか、その姿すら浮かびません」

毎日新聞 2013年4月22日付夕刊「特集ワイド:豊かさとは 歴史学者坂野潤治さん」より)


坂野氏は当時、「今回はこの国の体制がどういう形で崩壊するのか、その姿すら浮かびません」と言っていましたが、安倍晋三は、2013年の特定秘密保護法の成立から始まって昨年の集団的自衛権の政府解釈変更、さらに今年の安保法制定と、自ら「壊憲」を進めていき、さらには籾井勝人NHK会長就任から始まって現在噂される『NEWS23』からの岸井成格氏降板に至るまで自ら「異議を唱える者」を根絶やしにしてきています。近衛文麿内閣は「あらゆる政治勢力を包摂して発足」しましたが、安倍晋三の場合は自ら能動的に立憲主義を壊し、異議を唱える者を追放していくことによって「異議を唱える者が絶え果てた時代」を自ら実現させつつあると言えそうです。

さらには、2013年にはタクシードライバー氏を喜ばせていた安倍政権の経済政策も、安倍晋三が自らの責任で消費税率を引き上げた大失策によって失速し、いまや破綻に瀕しています。先月、ポール・クルーグマンニューヨークタイムズのコラムに、日本では大胆な金融緩和だけではダメだった、「爆発的」な財政支出が必要だが、日本政府にはそのような政策はとれないだろう、と書いたそうです。確かに大規模な財政支出の政策は「現時点では」政権にはとれないでしょうが(保守系論者の反対ばかりではなく、愚かにも未だに「バラマキ」なる緊縮財政系新自由主義用語を用いて安倍政権を批判する「リベラル」もいます)、それを可能にさせる手段が一つあると私は考えて(恐れて)います。

言うまでもなくそれは「戦争」です。但し、それは安倍晋三ら極右政治勢力が本来行いたいかも知れない日中戦争などではなく、アメリカが主導する「テロとの戦い」への参戦になるのではないかと私は予想しています*2。その結果、日本が今までのような安全な国ではなくなってしまうことは、もはや火を見るよりも明らかだと私は思います。東京も、パリと同じようにテロの対象になるでしょうしね。

いずれにせよ、安倍晋三らが間違った方向の力を加えてしまい、それを多くの日本人が支持してしまったために、日本はもう後戻りの難しいところにまで追い詰められてしまったと思います。間違った方向の惰性力を止めることが難しいのは、あれほど敗色濃厚であることが誰の目にも明らかだった先の戦争を止めるのがあんなにも難しかったことからも明らかでしょう。

*1:http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20121007/1349586721

*2:もっとも、来年のアメリカ大統領選挙共和党候補が勝ったりしたなら、日中戦争の可能性も全くないわけではないとも思う。