kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

現元号と「××ノミクス」を「NGワード」とする理由

 この日記には 「NGワード」がいくつかある。現元号や「××ノミクス」、それにプロ野球読売ジャイアンツの日本語の愛称などだ。読売軍がついにセ・リーグの独走を始めたことは「最悪の事態」の一語に尽きる。5月にはヤクルトの大没落と広島の大躍進があったが、6月の交流戦開始以降は広島の大没落とヤクルトの続落、それに読売の躍進があり、これらを総計すると、ヤクルトの大大没落、広島の差し引きゼロ(実際、広島は昨夜阪神に敗れてついに貯金が底を突いた)、それに読売の躍進になる。5月も6月も改元後。全くの偶然だが、改元と同時にセ・リーグの悪夢が始まった。

 以上は前振りだが、私が現元号NGワードにするのは、そもそも天皇制に反対していることもあるが、何よりも事実上安倍晋三が決めた元号だからだ。「××ノミクス」も安倍の名前がついているからNGワードにしている。不況時に財政出動とともに金融緩和を行うのはごく普通の経済政策であって、そんなものに忌まわしい人名が冠されてはたまらない。しかし現実には、政権批判側まで「××ノミクス」なる呼称を使う。今も髪を紫に染めているのかは存じ上げないあの方が「アホノミクス」と呼ぶことでさえ、安倍の名前を連想させる点で安倍晋三を宣伝しているようなものだ、と書いたのはもう6年前のことだったと記憶する。

 第2次安倍内閣発足の4か月後に、「2012年12月の第2次安倍内閣発足によって戦後日本の『崩壊の時代』が始まった」と喝破したのは坂野潤治だったが、その指摘は正しかった。その確信は強まる一方だ。下記『広島瀬戸内新聞ニュース』の記事を読んでも坂野の指摘が思い出される。

 

hiroseto.exblog.jp

 

今は、間違いなく「戦後」でもなければ、「(新たな)戦前」でもない。「戦中」である。
安倍晋三第二次世界大戦の頃の東條英機昭和天皇くらいの権力はある。明治憲法の総理大臣は弱かったが、今の総理大臣は、おそらくアメリカ大統領よりも上の権力を持っている。三権分立がろくに機能していないこと、小選挙区制を軸とした選挙制度で総裁=総理の権力が絶対化していること、内閣人事局などが背景にある。安倍晋三の現況は、むしろ、後醍醐天皇あたりが近いかも知れない。
「戦中」といっても、第二次世界大戦のころまでのように「やあやあ我こそは」で正々堂々、国民国家同士がぶつかり合う戦争ではないからわかりにくいだけだ。
もっと言ってしまうと、安倍ジャパンの場合、自国民に対して経済制裁、戦争を仕掛けているとも言える。沖縄に対しては完全に戦争を仕掛けていると言って良いだろう。
そして、超大金持ち、超大手企業以外の日本国民には「経済制裁」。そして、外国人労働者は「徴用工」代わりだ。
高齢者も働かざるをえないが、これは第二次世界大戦の特攻隊に似てきた。労災続発である。五輪ボランティアは学徒出陣である。
そして、「天皇神聖にして侵すべからず」ならぬ「安倍晋三神聖にして侵すべからず」的な考え方が広まっている。一昔前の自民党政権支持者はそこまでではなかったろう。
人間というのは得てして、「このままでは危ない」と感づいているときにこそ、逆に、そこから目を反らし、権威にしがみつこうとしてしまうものだ。
 また今の日本の状態は、ある意味、ボクシングに例えれば、試合中はアドレナリンが出て、ぼろぼろになっていても痛さを感じないという状態だろう。
ひとたび、試合が終わる=安倍政権が終わると、緊張がなくなって、どっと痛みが出てきて、痛みで動きもとれないような状態になるだろう。いろいろなものが腐りきっており、それが安倍退陣でもっと可視化されることで「うわー!」ということになるだろう。
だが、そこから日本を再建していくしかないのではないか?
そしてそれに、特効薬があるわけではなく、近代国家として当たり前のことをまず回復していくしかないように思う。
日本は、75年前は「近代の超克」で自己陶酔しているうちに滅び.、現在は「日本スゲえ」で自己陶酔しているうちに滅びかねないと思う。