kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

堀江邦夫『原発労働記』(講談社文庫)と『原発ジプシー【増補改訂版】』(現代書館)を比較する

堀江邦夫著『原発ジプシー』という本がある。

フリーのジャーナリストである著者が、1978年から翌79年にかけて、原発労働者として関西電力美浜原発東京電力福島第一原発、日本原電敦賀原発にそれぞれ勤めたルポルタージュである。折しも1979年3月にスリーマイル島原発事故が起きたこともあり、1979年に現代書館から刊行された当時から話題を呼んだ。1984年には講談社文庫にも収録された。しかしその後絶版になっていた。

この本が再び注目されたのは、いうまでもなく2011年の東日本大震災に伴う、東京電力福島第一原発事故によってであった。まさにその東電福島第一原発における労働を堀江氏が記録していたからである。

まず講談社文庫から、『原発労働記』と改題された新版が出た。本には「2011年5月13日第1刷発行」とある。次いで現代書館から、『原発ジプシー』の原題を残した「増補改訂版」が出た。こちらは「2011年5月31日第1版第1刷発行」となっている。

当日記ではまだ取り上げていなかったが、私は今年に入ってから、講談社文庫の新版を買って読んでいた。


原発労働記 (講談社文庫)

原発労働記 (講談社文庫)


しかし、この本はタイトルだけではなく、旧版から削除されたり書き換えられたりした記述が少なからずある。アマゾンのカスタマーレビューを見ても、このことへの言及が多い。

原発ジプシー』とは「似て非なる作品」 2011/5/26
By チーグル


 『原発労働記』とタイトルを変更した理由について、著者は「跋にかえて」で、「『原発ジプシー』と『原発労働記』とではやや似て非なる作品であることをお断りしておかなければなりません。(中略)例えば仲間の労働者たちの詳細であるとか、彼らがいだくさまざまな心情といったものについては、『原発労働記』ではかなりの部分削除しております」と書いている。

 31年前に読んだ単行本の『原発ジプシー』は、ずさんな放射能管理の下、放射能に蝕まれる原発下請労働の実態を白日の下に曝しただけでなく、各地の原発を渡り歩きそのような労働に従事せざるをえない「寄せ場」出身の日雇労働者に対する差別(そして被曝に対する差別)を、まさに「原発ジプシー」の呼称に込めて描いた作品であり、単なる「労働記」ではなかった。

 原発がある限り、事故がなくとも定検で放射能に汚染されながら働く原発労働者は不可欠だ。その存在を、その存在に対する差別をあたかもないかのように隠蔽してしまうことに、あらゆる差別問題の原点がある。

 他のレビュアーが「言葉狩りはきらいだが、本書のような内容の場合に“ジプシー”という言葉を使うことに少しだが違和感を覚える」と書かれているが、確かにここまで「除菌」されてしまった文庫版に「原発ジプシー」の呼称は使えないだろう。

内容は素晴らしい。しかしこういう商売のやり方は不快 2011/5/28
By TM


この本は同時期に復刊された『原発ジプシー 増補改訂版 ―被曝下請け労働者の記録』(現代書館; 増補改訂版版 (2011/5/25))とほぼ同じ内容である。こちらの文庫版では多少細部は省略されているが、決して「同じテーマで書かれた別の本」ではない。したがって予算が許せばいわば完全版である現代書館版を買えばよいし、コンパクトなものを求めるのならばこの文庫版を買えばよい。

わたしは一人の著者が同じテーマで複数の本を書く事は批判しない。しかし、文章が一字一句まったく一緒の本を書名を変えてあたかも別の本であるかのように売ることは不愉快に感じる。
もちろん、往々にしてこうした硬派なルポが、そこに費やされた労力にたいして見返りが充分でないことは容易に推測できる。しかしそれとこれとは別の話である。
今回の震災以後の出版、とりわけ原発関連のいくつかの本は同様のあざとい商売をしており、正直うんざりさせられる。

なお、誤解のないように言っておけば、この本の内容は極めて重要なものである。わたしは現代書館版を先に読んだが、そこに描かれている原発労働者の実態には心底驚かされた。未読の方には是非お勧めしたい。必読と言っても過言ではない。だが、どちらか一冊で充分である。

前作、原発ジプシーをマイルドにした過酷な原発労働ドキュメント 2011/9/7
By


 美浜、敦賀、福島第1原発の作業員としてのドキュメントある。
すでに30年前の話であり、作業内容や待遇は若干変わっているだろうが、それにしても過酷な原発労働そのものに根本的変化はないだろう。ただ、堀江がこの本書前作「原発ジプシー」で多少感情的ではあるが、臨場感を伝える文章がいたるところ訂正して、マイルドにしてしまったことが悔やまれる。むしろ、当時の思いをそのまま残してた文庫版の再発刊をした方がよかった。

以上3件のアマゾンカスタマーレビューを紹介したが、問題の核心を突いているのは最初のカスタマーレビューであって、あとの2件はややピンボケ気味である。そのことを、つい最近現代書館版と講談社文庫版とを比較対照する機会を得た後、改めてアマゾンカスタマーレビューを参照して理解した。


原発ジプシー 増補改訂版 ―被曝下請け労働者の記録

原発ジプシー 増補改訂版 ―被曝下請け労働者の記録


なぜ現代書館版と講談社文庫版で内容の異同があるかといえば、それは講談社には強力な「出版コード」が存在するからである。講談社の「出版コード」に照らし合わせてこれに抵触する、すなわち「差別表現」に当たると判断された箇所が、書名を含めて書き換えないし削除をされた。これが事実である。間違っても、内容が少し異なる2冊を両方とも買ってもらおう、などという商売根性から発したものではない。

本記事には公開しないが、私は両者をざっと比較して、内容に関係する削除または書き換えに当たる箇所の一覧表を作成した。内容に関係する削除または書き換えは数十箇所に及ぶが、大きく3項目に分けられる。下記の通りである。

  • 固有名詞「釜ヶ崎」をすべて削除。九州出身で大阪の釜ヶ崎に住みついたあと、原発を転々とする「橋本さん」に関する記述が大部分。
  • 原発労働者から聞いた、被曝労働による突然死、作業員の子どもが奇形児だった、線量計を外して大量被曝した作業員がいる、などの噂話を削除。

これらに関しては、書き換えないし削除をした側がおそらく持っているであろう論理にもそれなりの理はあると思われる。釜ヶ崎に関する部分については、当の労働者本人が釜ヶ崎に対する差別の論理に取り込まれてしまっているように思われるが、著者が彼の言い分をそのまま転記していること。「黒人」に関しては、人種差別そのもののほか、(日本人の)原発作業員の言葉にも外国人労働者に対する明らかな差別意識が見られること。また不正確と思われる記述があること。たとえば彼らの中には「ロクに英語も話せない者がいた」(現代書館版246頁)という記述があるが、アメリカ本土で黒人以上に激しく差別されているとされるヒスパニック系の人たちがいたのではないかと想像される。さらに、被曝の影響に関しては、東電原発事故の被災者への配慮もあろう。原発労働者の被曝は、線量計を外すなどの例が珍しくないとされるなど、東電原発事故で放出された放射線物質が被災者に与えた影響とは桁違いの被曝によるものと考えるべきであるが、そうした認識が必ずしも広く行き渡っていない現状では、東日本大震災及び東電原発事故の被災者に対する差別につながりかねないとの危惧もあながち杞憂とばかりもいえない。

以上のように、講談社文庫版における書き換えや削除にはそれなりの「理」があることは認めながらも、それでも私は言いたい。

前述のアマゾンカスタマーレビューのうち、チーグルさんが書かれた

 原発がある限り、事故がなくとも定検で放射能に汚染されながら働く原発労働者は不可欠だ。その存在を、その存在に対する差別をあたかもないかのように隠蔽してしまうことに、あらゆる差別問題の原点がある。

という指摘、これこそ問題の核心であると。

本書のオリジナル、現在でも現代書館版で読めるそれには、確かに差別の助長につながりかねない記述が少なからず見られる。

しかし、そうであるならば、オリジナルの文章をそのまま掲載した上で、本文に含まれる差別の問題に関する論考を新たに収録するのがベストではないかということだ。

出版社の側には、東電原発事故の印象が生々しいうちに本を出版したかったという事情があったであろうことは理解できる。

だが、『原発ジプシー』は、上記の問題点にもかかわらず、書かれてから35年を経てなお価値を失わない名著だと私は思う。だからこそ今後、旧版に含まれる問題点を改めて論じた上での「決定版」が出版されることを希望する次第である。