kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

高額納税者が支持していた「細川護煕」

経済学者・松尾匡氏が書いた 今頃の東京都知事選挙分析(2014年3月23日)を読んだ。

記事中に、宇都宮健児細川護煕の得票率差と自治体住民の一人当たりの税額との相関がプロットされており、高額納税者ほど細川護煕に投票したことがはっきり示されている。これは、かつて東京都中央線沿線の居住経験があり、現在は東京都東部に住む私の生活実感とピタリ合うものだ。細川護煕を熱心に応援した人たちは、中央線沿線や世田谷区あたりの住民の匂いをプンプンさせていた。東京都東部で舛添要一宇都宮健児の得票率が高かったのは、この地域では公明党共産党が強いことを反映したものでもある。極右の安倍晋三一派は「公明党切り」を目論んでいるとも言われているが、それをやったら安倍晋三自民党は東京都東部から手痛いしっぺ返しを受けるだろう。

以下、松尾氏の記事より引用する。

(前略)
 私は、開票日以前の都知事選挙の最中の2月4日のエッセーで、細川さんから小泉改革民主党政権に至る、この20年の「改革」って何だったのかという怨嗟の気持ちが大衆の間に満ち満ちているので、「改革」の立役者が雁首揃える細川陣営が票が取れるはずがないと書きました。舛添さんは、細川さん宇都宮さんの票を合わせたよりも多くの票を取ると思うので、脱原発派の「統一」を気にして細川陣営に遠慮することはもともと意味のないことだ、「都知事選挙の結果は、おそらく、総需要拡大政策を汚いもののようにみなす「改革」の時代の終焉を見せつけるものになると思います」と書きました。
 本当にその通りになったと思います。

赤字ボールドの部分は、私もずっと言ってきたことだった。

 上にあげたことからわかることは、ロスジェネ・若者層からは、新自由主義改革の担い手であった細川=小泉は支持されておらず、この「改革」で苦しめられた自分たちの暮らしを救ってくれる候補こそが望まれているということです。国粋主義に賛成か反対かなどということは、この層の人たちにとっては二の次で、どっちにでも動くのだということです。宇都宮陣営が一生懸命福祉や反貧困や労働条件の問題を語ってくれたおかげで、これらの層の、決して自覚的に左翼ではない多くの票をつなぎとめることができたと思います。
 だからはっきり言えることは、仮に「細川一本化」がなされたならば、宇都宮票の多くの部分は、細川さんに行ったのではなくて、舛添さんか田母神さんに行っただろうということです。そうならなくて本当によかったです。

さすがに宇都宮票が田母神に行ったとまでは思えないが、細川に流れない票は多かったことは間違いない。今回の都知事選で私は「有力4候補」の誰にも投票しなかったが、前回(2012年)の都知事選では宇都宮健児に投票した。その私にとっても、細川護煕は「絶対に投票したくない」候補者だった。

 自民党は、都知事選挙に先立って世論調査を何度も行い、一度自民党を飛び出した舛添さんを、あえて絶対勝てる候補として選んだそうです。細川一本化論を唱えて宇都宮さんに降りろと迫った有名人たちは、ちゃんとそれぐらいの調査をして事実をふまえて言っていたのでしょうかね。
 コトは、東京だけの話ではなくて、これから全国にとっての教訓にすべきことです。だってこのかん、何度も何度も何度も同じような失敗が繰り返されてきたじゃないですか。


2012年総選挙 日本未来の党:121人立候補→当選9人。現職5人落選。
2013年参議院選挙 生活の党:11人立候補→当選0人。 みどりの風:8人立候補→当選0人。 緑の党:10人立候補→当選0人。
そして2014年都知事選:細川惨敗です。
 もちろん、民主党社民党の凋落もこの一環に入るでしょう。もういいかげん目をさまさないといけません。

細川護煕の惨敗を、12年総選挙の「日本未来の党」惨敗、13年参院選の「生活の党」その他の惨敗と重ね合わせるのもその通りだと思う。余計なことを書くと、今回の都知事選では「小沢信者」たちまでもが「分裂」した。教祖(小沢一郎)や宣教師(植草一秀)は細川護煕を支援したが、有名ブロガー「きっこ」は宇都宮健児を応援した。おかげで、どちらにもつくことができずに固まってしまった有象無象の「小沢信者ブロガー」どもが多数いた。

 「狭い左翼層を脱して保守層にも手を広げて…」という問題意識は悪くはありませんが、実際には、かえって民衆から見放される方向に行ってしまったのが、厳然たる事実です。
 ロスジェネ世代以下には、細川−小泉−民主党の「改革」時代の膨大な犠牲者がいるのです。このような多くの人たちは、今、景気回復でようやく光明を見出しているのです。何か政府がおカネを使うことが汚いことのように宣伝されて、それをなくす「改革」をしないと日本は復活しないと言われてきたのに、「改革」してもしても暮らしは苦しくなるばかりで、結局今、政府がおカネを使えば問題が解決しちゃったというわけですから、何のために「痛みに耐えて」きたのか。怒るのは当然です。
 上記の「失敗」の繰り返しは、これらの本当に苦しんでいる層に対して、生活が救われてもっと豊かになれることをアピールできなかったところに敗因があると思います。端的に言えば、みんな「なんか景気が悪くなりそ〜」というイメージがあったと思います。

「細川−小泉−民主党の『改革』時代の膨大な犠牲者」が「見出している」という「景気回復」の「光明」は幻想だと私は思うが*1、その点以外は同意。

 「市民社会フォーラム」のメーリングリストでも言ったのですが、ここから言える教訓は、次のようなことだろうと思います。

  • 狭い左翼層を超えて、保守・中道とも手を組もうというときには、旧来の政治的左右の一本軸だけで組む相手を測るのではなくて、相対的に生活が苦しいロスジェネ以下世代の層の支持が得られる相手と組むこと。つまり、過去20年やられてきたような、緊縮的「改革」を志向するイメージのない人と組むこと。むしろ、保守本流の方が「改革派」よりマシということです。
  • もちろん、安倍自民党や極右と組むことはあり得ませんけど、その場合には、彼らよりももっと、雇用が拡大し、暮らしが豊かになることをアピールできる政策を掲げること。そうでなければ、本来こちらの支持者になってしかるべきだった相対的に生活が苦しいロスジェネ以下世代の層を、民族差別や戦争政策や人権抑圧の支持者に追いやってしまうことになると思います。

私も長い間「保守本流」シンパだったのだけれど、過去の自民党政治を振り返ると、大平正芳あたりが「小さな政府」を目指したことが(それは加藤紘一などにも受け継がれた)日本経済の現在の惨状を招いた原因になったと今では思っているので、この文章には多少の引っかかりを感じる。

ただ、安倍晋三が今なお新自由主義に執着していることは*2、不幸中の幸いといえるかもしれない。というのは、安倍晋三のような極右の国家主義者が「再分配重視」の政策をとった時、その時にこそファシズムの脅威が強まると思われるからだ。

*1:安倍政権の経済政策からは「再分配の強化」がそっくり抜け落ちているので、緩和されたお金は投資にしか回っておらず、もはや景気の先行指標になっていない株価をつり上げただけだと私は考えている。

*2:単に過去のしがらみから抜けられないだけの話だろうけれど。