kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「残業代ゼロ」案修正へ 幹部候補に限定、年収は問わず(朝日)

安倍晋三というのは、政治政策では頑迷な国家主義者だが、経済政策においてはとっくに時代遅れになった小泉純一郎流の苛烈な新自由主義政策を踏襲している。そこが安倍晋三ファシストになりきれないところである。

http://www.asahi.com/articles/ASG5V77PYG5VUTFK00V.html

「残業代ゼロ」案修正へ 幹部候補に限定、年収は問わず

 労働時間にかかわらず賃金が一定になる働き方をめぐり、政府の産業競争力会議が、対象となる働き手の範囲を見直すことがわかった。当初案は対象に一般社員も加えていたが、「幹部候補」などに限定し、年収の条件を外す。法律で決めた時間より長く働いても「残業代ゼロ」になるとの批判をかわすため対象を狭めるねらいだが、企業の運用次第で幅広い働き手が対象になるおそれがある。

 28日の産業競争力会議に、4月に当初案を提案した民間議員の長谷川閑史(やすちか)・経済同友会代表幹事らが修正案を出す。いまは従業員を一日8時間を超えて働かせたり、深夜や休日に出勤させたりすると、企業には賃金に上乗せしてお金を支払う義務がある。当初案は、時間ではなく仕事の成果で賃金が決まる働き方を提案し、年収1千万円以上の社員のほか、一般社員も対象にするとしていた。

 修正案は、中核・専門的な職種の「幹部候補」などを対象とする。具体的には、新商品の企画開発や会社の事業計画策定の現場責任者を指す「担当リーダー」、ITや金融分野の専門職「コンサルタント」などだ。一方、年収の条件を外し、高年収者でなくても導入できるようにした。

朝日新聞デジタル 2014年5月27日07時41分)

報じられているのは「裁量労働制」といい、厳密には「残業代ゼロ」ではなく、一定の(たとえば十数時間の残業相当の)手当と引き替えに成果主義の賃金体系を受け入れるものであり、「成果主義」の代表的な制度だが、成果主義の先駆的企業として有名な富士通成果主義賃金体系をスタートさせたのは、今から20年以上前の1993年のことであり、2年連続で赤字を出した同社の秋草直之が社長の座に居座り、赤字経営の責任をとらなかったことが批判されたのはいつのことだったか。

(前略)ITバブルが崩壊した事でソリューションビジネス中心のスタイルが裏目に出た上、社内でも1993年(平成5年)に導入した成果主義の弊害面が顕著に目立ち始め、その上、これら問題に対する対処が悉く後手に回ってしまい、社長在任期間に富士通を著しい凋落に陥らせた。

2001年(平成13年)、週刊東洋経済10月13日号上で、業績の下方修正に対する社長の責任を問われ、「業績が悪いのは従業員が働かないからだ。」という回答を行った。このインタビューは各方面に大きな反響を呼び、一部では「経営の責任放棄」などと批判された。

2003年(平成15年)6月、業績悪化の責任から社長を退任したものの、なぜか代表取締役会長に昇進。富士通を迷走させたまま、同社の再建は後任社長の黒川博昭に託されることとなった。

当然のことながら、富士通でも裁量労働制は実施されていた。

城繁幸の著書を紹介した http://www.dentu-rouso.com/kumiaiin/f2.htm より。

 同じ時期に「裁量労働制」が導入される。「この制度は勤務時間が自由になる反面、時間給を基本としないから時間外手当などは支給対象外となる」ところがフリーであるはずの勤務時間が「節度ある運用」で定時出社を強要される。つまり残業が付かないだけの制度であったのだ。会社は前年度残業実績をもとに次年度の裁量労働制適用社員を決めていたという。200時間残業しようが残業手当はゼロ。労働者に過酷な「丁稚奉公」を強いることとなった。

富士通が「SPIRIT」と呼ばれたこの制度を廃止してからでも、数年の時が経っている。

つまり、とっくの昔に施行され、効果が全くないことが実証されている制度を、今頃になって安倍晋三は政府の政策としようとしているのである。

第1次安倍内閣時代の2006年末に安倍晋三が「ホワイトカラー・エグゼンプション」を言い出した時にさえ、「今頃何言ってるんだよ」と思ったものだが、その時からさえ既に7年半が経過している。

安倍晋三という人間には、時間の観念というものが全くないかのようだ。安倍晋三とは、日本の政治を戦前に戻そうとしている人間だから、さもありなんといえるが。