kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「小選挙区制」を選択した誤りを土井たか子の霊前に詫びた河野洋平

河野洋平が、90年代の「政治改革」の局面で「小選挙区制」を選択した誤りを、土井たか子の霊前に詫びていた。産経の記事より。

http://sonae.sankei.co.jp/ending/article/141125/e_sogi0007-n1.html

土井たか子さんお別れの会・詳報】(3)河野洋平・元衆院議長「あなたに謝らなければならない大きな間違いをした」

 《村山富市元首相の後にお別れの言葉を述べたのは、河野洋平衆院議長。衆院小選挙区制を導入したことが現在の政治の混乱を招いたと指摘。導入を進めたことを土井さんにわびる場面があった》

河野洋平・元衆院議長

 土井先生、あなたと同じ時期に国会に席を持った。外務委員会は土井委員会と呼ばれました。確かに、あの当時は、社会党も大変大きな政党で、力を発揮し、国会の委員会活動を社会党は活発にしておられた。しかし、その中にあって、あなたの外務委員会における活発な議論は見事なものでした。だから外務委員会のことを土井委員会と呼んでいたのです。論客でした。党は違いましたが、最も注目すべき議員と私は思っていました。

 その後、政界はさまざまな動きがあり、右に左に動く中で、あなたはビクともしなかった。一直線に、そして、一徹に国民に平和を願う、憲法を守る姿勢を貫かれた。そのあなたの姿勢が国民の多くに支持され、衆院議長になられ、衆院議長としてみごとな采配をふるわれた。私は土井さんをずっとみつめながら、尊敬しながら、政治活動をしてきましたけども、最後にあなたに大変申しわけないことをした。おわびしなくてはならない。謝らなければならない大きな間違いをした。

 細川護煕さんと2人で最後に政治改革、選挙制度を右にするか、左にするか、決めようという会談の最中、議長公邸にあなたは呼ばれた。直接的な言葉ではなかったけれども、「ここで変なことをしてはいけない。この問題はできるだけ慎重にやらなくてはいけませんよ」と言われた。あなたが小選挙区に対して非常な警戒心を持たれていた。

 しかし、社会全体の動きはさまざまな議論をすべて飲み込んで、最終段階になだれ込んだ。私はその流れの中で小選挙区制を選択してしまった。今日の日本の政治、劣化が指摘される、あるいは信用ができるかできないかという議論まである。そうした一つの原因が小選挙区制にあるかもしれない。そう思った時に、私は議長公邸における土井さんのあの顔つき、あの言葉を忘れることができません。

 言うことをはっきり言われるあなたが、あのときだけは、議長としてののりを越えない難しい言い回しで言われましたね。あのときのあなた以外は、常に明快で、大胆で、思い切りのいい発言をずっとしてこられた。だから、今、私はここに立って、お別れの言葉を申しあげながら、近年、永田町において、最も男性らしい政治家だったとあなたに言いたい。あれだけの勇気、決断、度胸の良さ、右に出るものはなかなかいないと私は思っています。

 土井さん、ご苦労さまでした。そして、まだまだ憲法を守り、日本の平和を守っていくためにあなたの残された志は大事だということをかみしめながら、お別れのご挨拶をしたい。土井さんご苦労様でした。安らかにお休みください。さようなら。

産経デジタル・終活WEB『ソナエ』 2014年11月25日)


産経もたまには良い記事載せるじゃんと思ったのだが、残念ながらこの記事にたどり着いたのは、ノビー(池田信夫)のカス記事*1を経由してのことだった。ノビーの記事は、小選挙区制の欠陥を突き、この制度が「自民党右派が新党をつくる『保守二党論』」を奉じる小沢一郎(事実、小沢は1994年に結成した新進党に「保守党」と命名しようとしたが、反対者が多く実現できなかったのだった)の政治力によって導入されたものの、結局「55年体制より極端な自民党一党支配に戻ってしまった」として、「小選挙区制が政治改革だったのかどうかは疑問である。河野氏も後悔しているように、それはかえって政治の劣化を促進したのではないか」と指摘する。そこまでは良いのだが、記事の後半になるとノビーの持論である新自由主義イデオロギーを振りかざしたトンデモ記事になる。実は私は最初、この記事の著者を知らず、そうだよなあとうなずきながら読んでいたら、途中から極端なトンデモ記事に一変したことにずっこけ、いったい誰だ、こんなアホ記事を書くのはと思って著者の名前を見たらノビーだったのだ。さもありなんと思ったことはいうまでもない。

こうして、産経『ソナエ』の記事にたどり着くまでの過程はとんだドタバタだったが、河野洋平土井たか子への弔辞は素晴らしかった。あの時の河野洋平の選択が取り返しがつかないものであったにせよ。

そして、今や土井たか子とともにネトウヨに「国賊」として目の敵にされている河野洋平が、自民党総裁を務めていた時期があったことは、私にはその記憶も新しいのだけれど、それにもかかわらず今では信じられないことなのである。