kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

町村信孝死去

冥福を祈る気になど毛頭なれないので書くのは止めておこうかと思ったが、一応訃報を遅ればせながらメモしておく。ネット検索で引っかかる朝日の記事(確か1日付2面に掲載されていた)は個人へのお追従たらたらなのが気に食わないので、毎日の記事を引用する。

http://mainichi.jp/select/news/20150602k0000m040009000c.html

訃報:町村信孝さん70歳=前衆院議長

 自民党町村信孝(まちむら・のぶたか)前衆院議長=北海道5区=が1日午後2時15分、脳梗塞(こうそく)のため東京都内の病院で死去した。70歳。葬儀は5日午前11時、東京都港区南青山の青山葬儀所。今年4月に体調不良のため在任4カ月弱で議長を辞任したばかりだった。

 町村氏は東大卒。旧通商産業省を経て、1983年衆院選で初当選し、当選12回。97年に第2次橋本改造内閣で文相として初入閣し、第2次小泉改造内閣の外相や福田内閣官房長官などを歴任した。森喜朗元首相から派閥「清和会」の会長を引き継ぎ、党内最大派閥として同派出身の安倍晋三首相を支えた。

 しかし2012年9月、自らも出馬した自民党総裁選中に体調を崩して入院し、「軽い脳梗塞」と診断された。政治活動に復帰した後、昨年12月の特別国会で議長に選出され、「1票の格差」などを協議する衆院議長の諮問機関「衆院選挙制度に関する調査会」での取りまとめに意欲を示していた。今年4月に再び体調を崩し、治療に専念していた。

 公職選挙法によると、選挙区選出の現職国会議員が死去した場合、4月か10月に補欠選挙が行われる。ただし、昨年衆院選の「1票の格差」を巡る訴訟が行われている間は補選を行うことができない。現在、全小選挙区が訴訟の対象のため、町村氏の死去に伴う補選は当面、行われない。【中島和哉】

毎日新聞 2015年06月01日 17時30分(最終更新 06月01日 23時25分)


町村信孝といえば、2012年の自民党総裁選で安倍晋三にストップをかけようと自ら出馬したことがあった。私が唯一(「敵の敵は味方」の思考によって)町村に期待をかけた時期だったが、その時町村は脳梗塞に倒れてしまったのだった。あの総裁選は、自民党内でもタカ派で鳴らす政治家だったはずの町村が、5人の候補の中でもっとも「穏健」だったという、候補者が右翼度を競うとんでもない選挙だった。だから、候補者の中でも突出した極右の安倍晋三が当選したのだ。思い出したくもない。

当時書いた記事を再掲する。

河野洋平、「自民党総裁選候補は右翼ばかり」と批判 - kojitakenの日記(2012年9月16日)

 TBSの『サンデーモーニング』に河野洋平が出演。自民党総裁選に出馬した5候補について、「自民党はずいぶん幅の狭い政党になった。保守の中の『右翼』ばかりだ」と批判した。

 確かにその通りだろう。

 自民党内右派派閥である町村派からは町村信孝安倍晋三の2人が出馬しており、派内右派が安倍を支持している。その安倍を、保守本流から分かれた麻生派麻生太郎)と河本派の後身である高村派高村正彦)が支援するのだから、こいつらは一体何を考えているのかと腹が立つ*1。この安倍晋三だけは絶対に総裁にしてはならない。

 町村派内では比較的穏健な人たち(ベテラン議員に多い)が町村を推しているようだが、比較的穏健と言っても清和会は清和会であって、町村信孝はれっきとしたタカ派(右翼)政治家だ。その町村と比較しても、突出した「極右」である安倍晋三のみならず、石破茂石原伸晃林芳正の3人も「右」に位置しているのだから、自民党の極右化は深刻だ。

 5人の候補者が全員谷垣禎一より「右」に位置することも指摘しておきたい。森喜朗古賀誠に「右バネ」が働いて、石原伸晃支援という愚策を選んだ自民党はとことん腐った政党だ。

 経済政策に関しても、「増税派」対「上げ潮派」といった、新自由主義同士の争い程度の対立構図も作り出せていない。安倍晋三がやや「上げ潮派」寄りだとして評価する「日本経済復活の会」なるものがあるらしいが、「上げ潮派」とは「トリクルダウン」の思想を信奉する人たちのことであり、何のことはない、単なる「新自由主義」である。安倍は小泉政権が「骨太の方針2006」で社会保障削減を打ち出した時の官房長官であり、現在でも同じ方向性を持っている。一方、「増税派」とは財政再建のための増税を目指す人たちのことであり、当然緊縮財政を旨とする。経済政策に関しても5候補は全員「経済右翼」に位置づけられる。

 「原発ゼロ」には5人全員が反対。こんな時に立候補もできない河野太郎は、「負け犬の遠吠え」だけが能のチキン政治家に過ぎないといえるだろう。自民党に期待できるものは相変わらず何一つない。


でもまあ、4月20日だったかに衆院議長退任を発表してから夏休みほどの期間を経て死去とはあまりに早かった。それには同情するが、「冥福を祈る」気にまではどうしてもなれないのだった。まあ町村も政治家だったのだから、思想心情の合わない人間に冥福を祈られずとも、別に何とも思わないだろう。

*1:もっとも、高村正彦は2006年の自民党総裁選でも安倍晋三を支援した。