kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

極右政治家・三原順子と「国家社会主義」

この記事以降、件の極右政治家を、芸名のひらがな表記ではなく本名の「三原順子」と表記することにする。三原の名前も、城内実らと同様「極右政治家の名前は仮名漢字変換に辞書登録しない」という私のポリシーの対象だが、いちいち「じゅん子」に再変換するのが面倒臭いからである。

昨日の記事 「八紘一宇の思想はそもそもリベラル思想なのだから、自民党の思想からかけ離れている」(極右政治家・三原じゅん子のブログのコメント欄より) - kojitakenの日記 のコメント欄より。

http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20150319/1426723049#c1426728239

id:tadokoroyu 2015/03/19 10:23
小林よしのりもコラムでこう書いていました……。

三原じゅん子が「八紘一宇」という言葉を使ったからということで、ネットで左巻きの連中が批判しているらしい。
「八紘一宇」と言ったら、日本が侵略戦争をしたときのスローガンだから、忌まわしい言葉だと脳に刷り込まれているのが反戦平和主義者だ。「八紘一宇」と言っただけで即・右翼だと脊髄反射してしまう
連中は、アホである。
三原じゅん子は、企業がグローバル資本主義の中で課税回避をしていることを批判する文脈でこの言葉を使用している。
「世界が一つの家族のように、むつみあい、助けあえるような経済、および税の仕組みを運用していくことを確認する崇高な政治的合意文書のようなものを、首相こそがイニシアチブを取って、世界中に提案していくべきだと思う」
ピケティみたいなことを主張しているわけで、右巻きの者たちを説得する手段として「八紘一宇」を使ったわけだ。なかなかやるじゃないか。
しかし麻生財務相はこれに正面から答えない。
「三原先生の世代が八紘一宇を知っているとは驚いた」などと言って、軽くいなしてしまった。
やっぱり女だとなめられるのか?
安倍政権は多国籍企業に有利な政策しか取らないから、どうせ無理な提案だっただろうが、三原じゅん子が強欲資本主義に一定の疑問を持っていることには驚いた』

さすがにこの主張にリベラル派が感化されることはないとは思いますが、最近、小林のことを反原発と反米反安倍で評価する向きが一部の(自称)左派にあるようですからね……。

「八紘一宇はリベラルである」と批判しているのはグローバリズムそのものを否定する国家社会主義者でしょう。
連中は自由貿易やヒトの自由化に反対して、極端に言えば鎖国のような体制を理想としているので、「(大東亜共栄圏のスローガンとして使われた)八紘一宇グローバリズム的だ」と否定していましたから。
なので連中も好んでピケティを引用するものの、それは財政出動や再分配に関する部分だけで、ピケティの純粋な反ナショナリズム・グローバル志向への言及は避けています。


http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20150319/1426723049#c1426772672

id:suterakuso 2015/03/19 22:44
 中島岳志氏はこう言っていますね。

三原じゅん子氏の「八紘一宇」発言は、前後の文脈こそ重要だ。彼女は企業の租税回避に憤り、グローバル資本主義を正す中で「八紘一宇」の理想を語っている。三原氏は介護やがん患者ケアに熱心な議員。福祉重視で資本主義を警戒する精神が「八紘一宇」に吸引されている点こそ、戦前の革新右翼との類似点
https://twitter.com/nakajima1975/status/578456477045665792

>三原氏は福祉に熱心「なのに」八紘一宇に惹かれているのではなく、福祉に熱心「だからこそ」八紘一宇に惹かれるのだ。この論理を理解しなければ、八紘一宇幻想を乗り越えることはできない。
https://twitter.com/nakajima1975/status/578456710995517440

>三原氏とパラレルな関係にあるのが、出版したばかりの本で取り上げた下中彌三郎。彼は資本主義がもたらす不平等に憤り、相互扶助的な福祉的コミューンを追求するがゆえに「八紘一宇」の理想に飛びついた人物だ。
https://twitter.com/nakajima1975/status/578456785767436288

下中彌三郎ブルジョア階級の打倒を叫び、疎外を超えた「透明な共同体」を希求する延長上で、天皇による世界の統一を主張した。そして、戦後は絶対平和主義・憲法9条擁護・非武装を訴え、世界連邦運動をけん引した。私は下中が一貫して抱いていた純粋志向に強烈な違和感がある。
https://twitter.com/nakajima1975/status/578457023102103552

興味がなかったので、三原じゅん子が介護やがん患者ケアに熱心なのかどうか知りませんし、本当に熱心なら、介護報酬を引き下げる自民党になんかつくなよ(…ま、でも、どこもいっしょか…)とは思いますが、そんな人だからこそ、そんなもんなんですかね。


http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20150319/1426723049#c1426784704

id:whitenoisekun 2015/03/20 02:05
まぁ確かに三原は親御さんの介護云々で政治家目指した云々って聞いたことありますけど、下中彌三郎がどうの、三原がどうのって「八紘一宇」発言はそんなの関係ねぇってレベルで深化wしているようです。

http://buzzap.jp/news/20150319-jisedai-aichi-hakkoichiu/
”「八紘一宇を名古屋の平和スローガンに」今度は次世代の党が提案”より次世代の党愛知FBアカウント全文↓

【八紘一宇を名古屋の平和スローガンにする提案】
八紘一宇は、現在における日本の代表的な国語辞典では「第二次大戦中、日本の海外侵略を正当化するスローガンとして用いられた」と説明しています。
また、ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説によると、「世界を一つの家にする」を意味するスローガン。第2次世界大戦中に日本の中国,東南アジアへの侵略を正当化するためのスローガンとして用いられた。『日本書紀』のなかにみえる大和橿原に都を定めたときの神武天皇詔勅に「兼六合以開都,掩八紘而為宇」 (六合〈くにのうち〉を兼ねてもって都を開き,八紘〈あめのした〉をおおいて宇〈いえ〉となす) とあることを根拠に,田中智学が日本的な世界統一の原理として 1903年に造語したもの。
ーーーとあります。
八紘一宇の四文字は、八は四方八方のように広い地域を意味し、紘は広がりを意味し、一宇は一つの家。広い地域を一つの家のように治めるというのが本来の意味のようです。
この八は、名古屋のマークでもあります。
名古屋の丸八マークは、「丸は無限に広がる力、また八は末広がりで発展を示す」というお目出度いマークであり、名古屋の歴史を大切にしながら、新たな発展を期そうという思いがあります。
その八マークは尾張徳川家に由来するらしいです。
それでは、なぜ尾張藩が用いるようになったのか、いくつかの説があります
1.尾張八郡(尾張藩政下に置かれていた愛知・春日井・葉栗・丹羽・中島・海東・海西・知多の八郡)の八に由来する 。
2.尾張の片仮名表記である「オハリ」の「ハ」に由来する 。
3.尾張藩士・安部(または阿部)八兵衛が常用していた提灯の八の字に由来する。
4.清和源氏の流れを汲む尾張藩が、先祖・八幡太郎義家の定紋である「向い鳩」を型どり、丸に八の字の紋を作ったことに由来する。
八紘一宇の、八の意味を中国や東南アジアなど他国も含んだもので考えると海外侵略のイメージが強まります。
しかし八を名古屋に置き換えてみたらいかがでしょうか。
名古屋という大きな一つの家をまとめていくのが、名古屋市の政治家の役割ではないでしょうか。
『平成の名古屋の八紘一宇』は、名古屋市民が心を一つにして、右も左も地域政党も一致団結して名古屋市政をより良くしていくための新スローガンに用いることで「八紘一宇」という文字を復権させようではないでしょうか。
侵略政策のスローガンではなく、名古屋の平和のための新しいスローガンとして、八紘一宇を見直してみませんか。

いやぁこれは凄い!正気で言っているのかどうか知りませんが。


http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20150319/1426723049#c1426784704

tadokoroyu 2015/03/20 02:24
中島も(小林よりはまだマシとはいえ)胡散臭い男ですが、この件についても2人の特色がよく表れていますね。
どちらも三原じゅんこを「福祉を重視し、グローバル企業の租税逃れに憤り、世界的に租税逃れを阻止する体制を作るべきだ」と主張する政治家であると評価しながら、「八紘一宇」発言に対しては、一方は右派を説得する方便であると肯定的に捉え、もう一方は「福祉重視のはずの人間が陥る罠」として危険視している。
これを見ても中島の方がやはりマシではありますかね。

もっとも、この2人に比べても強烈に危険思想なのは八紘一宇すらリベラル的グローバリズムと敵視する国家社会主義者共なのでしょうけど(中島と同門?の中野剛志や藤井聡がこれに当たるのでしょうが、どちらが「師・西部」の真意を継いだ者なのやら)。


私は三原順子をシンパシーを持ったことは子役時代から現在に至るまで一度もないが、2010年の参院選で、保守派の間で三原の人気が異様に高かったことを覚えている。この時の参院選では、他に「タレント候補」の当選といえば小沢一郎お気に入りの谷亮子くらいのもので*1、あとは自民党堀内恒夫(のち繰り上げ当選)も民主党庄野真代岡部まり岡崎友紀ら、たちあがれ日本(笑)の中畑清らは枕を並べて討ち死にした。それらの有象無象と比較すると、三原は立候補した時の「本気度」で彼らを上回っていたとはいえるかもしれない。三原には、実父の介護や自らの癌罹患の経験があるようだが、それと持ち前の「突っ張り」精神を合わせると、経済左派の政治思想右派、つまりファシズムに近い立ち位置の政治家になったとしても不思議はない。

これだけで十分、三原は「国家社会主義者」といえるのではないか。「八紘一宇」のスローガンのもと、日本は戦争による拡張に走ったことを考えると、「八紘一宇」とナショナリズムとの間には齟齬はないと思われる。「八紘一宇」を主導するのは日本だからだ。「拡張主義としてのグローバリズム」は「国家主義」と何も矛盾しないだろう。むしろ、(右からの)「八紘一宇」批判者の方が、「一国国家社会主義者」とでもいうべき、スケールの小さな極右といえるのではないか。

私が思うのは、日本にも、本格的といえるかどうかはわからないが、国家社会主義者の国会議員が現れたんだな、ということだ。

*1:その谷亮子は、山本太郎との反りが合わず、また現状では来年の参院選で当選も怪しいことから、政治活動に意欲をなくしているとも、自民党への鞍替えをもくろんでいるとも伝えられている。