kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

馬淵澄夫は「三原順子の『八紘一宇』に違和感なし」だって(呆)

民主党馬淵澄夫の名前を知ったのは、10年前に「きっこ」と組んで耐震偽装事件の追及をした時だったが、これまでも何度か指摘したように、この時「きっこ」ともども持ち出した「総合経営研究所」の疑惑はガセネタであって、事件は姉歯秀次の単独犯であったことが今では明らかになっている。「きっこ」は書きっぱなしでも許されるのかもしれないが、民主党の中心的な政治家の一人である馬淵はそうはいかないのではないかと思うのだが、この件であさっての方を向いた追及をしていた馬淵が何らかの総括をしたとは寡聞にして知らない。

また、私はその当時から馬淵が民主党でも有数の右翼的な政治家であることを調べて知っていたため、ずっと警戒していたが、その馬淵がついに本性を現した。

三原議員「八紘一宇」発言に違和感なし。言葉だけをあげつらっていては、事の本質が見えなくなる(馬淵 澄夫) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)

三原議員「八紘一宇」発言に違和感なし。言葉だけをあげつらっていては、事の本質が見えなくなる
2015年03月21日(土) 馬淵 澄夫

私も所信表明で「八紘一宇」のルーツに触れたことがある

3月16日の参議院予算委員会質疑で、自民党三原じゅん子議員が、神武天皇の橿原建都の詔(かしはらけんとのみことのり)の一節を引きながら「八紘一宇」という言葉に言及したことが、報道やネット上で大きな波紋を呼んでいる。

橿原神宮は、奈良県橿原市にある。私も奈良選出の国会議員のひとりとして、この問題について、黙っているわけにはいかない。

実は、私自身も、この参議院予算委員会の模様は、国会内の中継でリアルタイムに見ていた。また、後に三原氏が説明を補足したブログ記事も拝見した。三原氏の発言に驚きこそすれ、違和感は覚えなかった。

私は毎年春に支援者の皆さんに対して、私の「所信表明」をお伝えすることにしているが、平成26年3月の「第10回まぶち会春の集い」で発表した所信表明演説で、私も橿原建都の詔を紹介しながら、価値観を分かち合う共生の理念を訴えさせて頂いた。(中略)

(略)さらに、詔には「八紘(あめのした)を掩(おお)いて宇(いえ)と為(せ)むこと、亦可(またよ)からずや。」と記され、天下に住む全てのものが、まるでひとつの家になったように温かい結びつきを実現させることの尊さを説いています。まさに、人々の心のつながりによって、一つの家、家族のような国を創り為(な)そうというのが神武建国の理想であったのです。(略)


安倍総理や麻生財務大臣の残念な答弁

通常、国会質問というのは、用意周到に練られたものだ。もし仮に、三原氏が「橿原建都の詔」として質疑をしていれば問題視されることはなかっただろう。

それにもかかわらず三原氏は、「八紘一宇」という言葉を、今回あえて使ってきた。与党ながら、彼女が政治家として、時の総理や国民に対し何かを訴えかけようとする覚悟を感じさせた。

それとは対照的に、安倍総理や麻生財務大臣といったリーダーたちの答弁で、強欲なグローバル資本主義の矛盾に日本はどう対応していくのかという問題提起に正面から答えようとせず、はぐらかすような答弁に終始していたが、まったく残念だった。

「八紘一宇」に侵略行為を肯定するような考え方はない

すでに述べたように、この「八紘一宇」という言葉のそもそもは、初代神武天皇が橿原の地で即位した折りの「橿原建都の詔」にさかのぼる。そこには、一つの家、家族のような国を創り為(な)そうという日本の建国の精神が示されている。

この「八紘(あめのした)を掩(おお)いて宇(いえ)と為(せ)むこと、亦可(またよ)からずや」という「八紘為宇」の考えは、時代が下った大正時代、「八紘一宇」という語句へと翻訳されることになる。後にこの思想が軍部に影響を与え、膨張主義的な対外政策を正当化するイデオロギーとして使われるようになったと言われる。

このように「八紘一宇」という言葉は、戦時中の日本で誤った使われ方をされたのは確かである。しかし「橿原建都の詔」、あるいは神武天皇「建国の詔」を、虚心坦懐に読んでみれば、そこには民を慈しむ御心が溢れており、侵略行為を肯定するような考え方はないことがわかる。

詔の「八紘為宇」にルーツをもつ「八紘一宇」という言葉が、戦前・戦中の軍国主義のスローガンに利用されたのは悲しむべきことだが、だからといってこの詔にある精神が誤っていた訳ではない。

そこを分けて考えずに、「八紘一宇」という言葉そのものをあげつらうのは、事の本質が見えなくなるのではないかと思っている。問題は、その内容にあるのではなく、当時の政府が、覇権主義的な対外政策を正当化するスローガンとしてその「言葉」を利用したこと、それによって戦前の日本が道を誤ってしまった点にある。

八紘為宇にしても、こころの「姿勢」やあり方が示されているだけである。それを、国家統制を至上命題とする国家主義的な政治が悪用することで、不幸な歴史が生じたのだ。

つまり、橿原建都の詔も、上から押し付けられてしぶしぶ従うようなものではない。思うに日本という国は、この橿原建都の詔の精神のもと、「民」つまり国民一人ひとりが自分の頭で考え、それぞれに努力することにより創り上げてきたのではないか。

今回の「八紘一宇」という言葉が、過去に誤った使い方をされたことをもって「穢れた言葉だ」というのであれば、禊祓(みそぎはらい)をして洗い浄めればよい話ではないのか。あの不幸な歴史を繰り返さないためにも、むしろ我が国建国の理念と言う意味で「原典」というべき「橿原建都の詔」に立ち戻るべきなのではないだろうか。


実にふざけた文章である。

馬淵自身が認めるように、「八紘一宇」は大正時代に右翼の田中智学が作った造語だが、最初から戦前の帝国主義日本の侵略を正当化する道を開く言葉だった。今朝のTBSテレビ「サンデーモーニング」でも、岸井成格が「三原議員は『建国以来大事にされてきた言葉』だと言っていたが間違いだ。大正時代に作られた言葉だ。誰か(自民党の大物議員か?)に言わされたのかもしれないが、懲罰ものだ」と言っていた。もちろん岸井の言い分の方が正しい。但し、岸井が「特別編集委員」を務める毎日新聞が、三原順子の懲罰を求める社説なりを書いたかと言えば、そんなことはしていないだろう。岸井の発言は、毎日新聞三原順子議員の発言に批判的ですよ、という毎日のエクスキューズにしか見えず、それも問題だと思う。しかし、馬淵の罪は岸井や毎日どころではない。論外である。

馬淵のように、三原順子の論外発言を援護射撃する輩が野党から出てくることによって、日本の右傾化はますます急速に進むのである。