kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「日米原子力協定があるから『脱原発』できない」って?

昨日コラムを見て反射的に書いた 池澤夏樹の朝日新聞夕刊掲載コラム「左折の改憲 考える時」に賛同できない - kojitakenの日記(2015年4月7日)について。「朝日新聞デジタル」はコラムを無料読者には公開していないことから、コラムの全文引用は著作権違反になるものと思われるからやらない。しかし、ずるいようだがコラムを転載したブログ記事にリンクを張っておく。池澤夏樹のコラムの原文を参照されたい方はどうぞ。
http://suzuisi.blog.so-net.ne.jp/2015-04-07

ところで、私は矢部宏治が書いた『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル)をまだ読んでいない。その上で、池澤のコラムで疑問に思った箇所をメモしておく。

池澤は、

 ドイツにならって原発を廃止しようと思っても、日米原子力協定のもとではその権限が日本にはない。

と書いている。おそらく、矢部の本にそう書いてあるのだろう。

だが、これはいかにも不思議な話だ。なぜなら、原子力発電(核発電)は、日本の自主独立を目指した(孫崎享が「自主独立派」に分類しているかどうかは知らないが)中曽根康弘の旗振りで導入されたものだし、今でも石破茂が公言している通り、日本が核武装するポテンシャルを確保しておきたいために、自民党は絶対に原発を止めたくないことは周知の通り。

一方、過去に日本と戦争を行ったアメリカにとっては、日本の核兵器製造可能なプルトニウムの備蓄に上限を設けて歯止めをかけるという線は絶対に譲れない。

アメリカの意向があるからドイツは「脱原発」ができても日本にはそれができないという理屈を、矢部宏治がどうこね回しているのか、これを読む前の楽しみにしておきたいと思うが、脱原発に関していえば、自民党政権経産省電事連・電力総連やらが絶対にやりたくない上、国民の多くも「原発はなければない方がよいけれども少々は止むを得ない」などと漠然と思っているだけで、本気で原発を止めたいと思っていないから「脱原発」ができないだけの話だ。矢部や池澤はアメリカという「逆らえない強大な国」の圧力をかけているために、「無力な日本国民は『脱原発』をしたいのに、アメリカがさせてくれない」と言いたいのだろうか。理解不能である。

まあ矢部の本(まだ現段階では「トンデモ」はつけない)を読めば、彼らの言い分もわかるのかも知れないが。