kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

なぜクルーグマンやスティグリッツは信頼できるのに日本の「リフレ派」は信用できないのか

ポール・クルーグマンと「リフレ派」と「リベラル」と - kojitakenの日記(2015年8月12日)の続き。

さて、なぜ私はポール・クルーグマンやジョセフ・スティグリッツの主張には感心するのに、2015-08-06(2015年8月6日)のような記事には反感が先に立つのか。

それは、クルーグマンスティグリッツの文章からは、リベラル派としての立場がはっきりしていて信頼できるのに対し、上記ブログ記事は全くそうではないからだ。

ブログ記事は書く。

安倍政権の経済政策を評価すると、デフレ脱却をを実現しつつある異次元金融緩和やインフレ目標などの金融政策は良く、消費税増税で景気(特に消費)を悪化させてしまった財政政策は悪く、成長政策についてはまだ効果が出ておらず、格差を縮小するための再分配政策は無策であるという評価になるでしょう。


これに大きな異論はない。細かいことを言うと、安倍政権の「成長政策」は効果が出ていないというより有害だと私は考えているので、その点で少し違和感がある程度だ。

しかし、ブログ主は「格差を縮小するための再分配政策は無策であるという評価になるでしょう」とは書くものの、この点についてそれ以上突っ込まない。この点は、2013年6月15日の朝日新聞に、ジョセフ・スティグリッツが当時朝日の編集委員だった小此木潔のインタビューに答えて語った時の態度とは全く異なる。この朝日の記事を引用したメルマガの記事*1から引用する。

スティグリッツはまず、いわゆる「アベノミクス*2を支持していることを表明する。

 ――アベノミクスをなぜ評価しているのですか。

 「欧州は政府債務を減らそうとして緊縮財政に陥り、与野党の激しい対立が続く米国も節約を余儀なくされています。
そのなかで日本が経済成長を優先する政策に打って出た意義は大きい。
アベノミクスの3本の矢、すなわち大胆な金融緩和と財政出動、成長戦略を組みあわせた包括的な政策は、日本経済を
立ち直らせる正しい取り組みだと思います。
欧米が学ぶべきものです」


そして財政規律派のマスコミ人(現学者)とおぼしき小此木潔財政再建に関する質問を一蹴する。

 ――巨額の財政赤字を考えれば、日本も欧米も財政の引き締めは避けられないのでは。

 「経済を成長させてこそ、国内総生産(GDP)に対する政府債務の比率を下げることができます。
財政再建を優先し経済成長を犠牲にするやり方では、財政赤字を減らせません。
歳出削減と増税を急ぐ緊縮財政は、つねに失敗してきました。弱含みの経済を悪化させ、税収を減らすからです。
いまは欧州がひどい失敗に陥っています」


ここからが言いたいところだ。上記に続く部分にスティグリッツの本領がある。

 ――しかし、成長でみんなが豊かになれるとは限りません。

 「そこが重要な点です。
格差(不平等)の問題に向きあわなくてはいけない。
GDPが増えても、大半の人びとの暮らしが悪化すれば、幸せになれません。
そういう事態が米国で起きた。
2009年から11年までの景気回復で、GDPの増加分の1・2倍ものお金を、所得上位1%の富裕層が手に入れて
しまったので、99%の人びとは、一層貧しくなりました。
日本もそうならないよう、所得再分配を工夫しなければなりません。
3本目の矢は、単なる成長戦略ではなく、格差是正に配慮することが欠かせないのです」

 「成長は、それ自体が目的ではないし、GDPは豊かさの尺度として欠陥が多い。
重要なのは環境保全も含めて、すべての市民の生活の質や福祉水準を高めることです。

だからこそ所得の分配と、誰が政策の恩恵を受けるかということに、私たちは敏感でなければいけません」

 ――近著「世界の99%を貧困にする経済」で、所得再分配がみんなを豊かにすると説いていますね。

 「所得上位1%の人は下位の人に比べ、収入を消費に回す比率が低いので、所得再分配をしたほうが経済を刺激できます。
再分配は経済を刺激し、成長させるための有効な手段のひとつなのです」


こういうことをきっちり指摘してくれるから、スティグリッツの意見にはうなずかされるのだ。

一方、この記事で問題にしているブログ記事は、「格差を縮小するための再分配政策は無策である」とは書くものの、それ以上は何も書かない。だから、ブログ主は本当は何を考えているのか、と不審に思う。

さらに問題なのはコメント欄だ。コメント欄に、ブログ主はこう書いている。

アベノミクス開始後に、54歳以下の生産労働人口において、非正規雇用から正規雇用への転換が始まっているというデータがあります。

「非正規から正規へ」雇用の転換が始まった――“反アベノミクス”に反論
http://nikkan-spa.jp/883248


しかし、そんなことを書くのなら、ブログ主はなぜ労働者派遣法の改定に言及しないのかと、強い疑問を抱く。いうまでもなく今国会において既に衆議院を通過し、参議院で審議中である。

ブログ主は記事の本文に、

さて、今、左派・リベラル勢力によって安保法案反対や安倍政権打倒を訴えるデモが起きています。特に若者によって組織された「SEALDs」が大きな注目を浴びています。

ただ、彼らは大声で安倍政権を批判していますが、何故かその支持の根幹である経済政策では、安倍政権に対抗しようとしていません。ここに打撃を与えないと安倍政権を打倒することはできません。

また安倍政権の好ましくない政策を止めたいのであれば、政権交代を実現させて安倍政権が制定した「間違った」法律を廃止する必要がありますが、そのためにも安倍政権以上の経済政策を打ち出す必要があるでしょう。

と書いているのだが、そう書くブログ主本人が、金融政策以外についてはほとんど何も書いていない。再分配政策について、「格差を縮小するための再分配政策は無策である」と書いてはいるものの、スティグリッツのように再分配を強めよとは書かない。労働問題についても、安倍政権の経済政策によって非正規雇用から正規雇用への転換が始まっている、と書くのに、労働者派遣法の「改正」はスルーする。「SEALDs」の主たる関心事である安全保障政策と経済政策の距離よりも、同じ経済政策の範疇に属する再分配政策や、経済政策と近親関係にあると思われる労働政策と、ブログ主の主たる関心事であろう金融政策との距離の方がずっと近いはずだと私は思うのだが、なぜ他人に要求しているのと同質のことをブログ主はやらないのか。不思議でならない。ブログ主の「SEALDs」に対する注文には、正直言って「お前が言うな」としか思えない。

きわめつきは、同じコメント欄にブログ主が書いた文言だ。

ともあれ、松尾さんが真っ当な左派であることはヘタレ右派の僕も認めていますので、


なんだ、やっぱり右派だったのか、と思う。

それなら、「格差を縮小するための再分配政策は無策である」とか、「また、日本の右派は人権を軽視し、所得再分配にも消極的ですから、弱者を放置する政治になってしまいます。だから彼らがあまり暴走するのも困りものです」などという、物わかりの良さそうなことを書くなよ、と思ってしまう。

いや、「ヘタレ右派」というのは単なるレトリックで、実は「リベラル派に近い、もしくは理解のある保守」くらいの自己規定の人なのかもしれない。しかし、安保法案についてはおろか、(派遣労働者の正規への転換が進んでいる、と書いておきながら)「改正労働者派遣法」への賛否すら明らかにしないのだから、ブログ主からはまったくの正体不明の怪しさしか感じられないのである。文章を読めばリベラル派であることが誰にでもはっきりわかるクルーグマンスティグリッツとは雲泥の差だ。

だから私は、クルーグマンスティグリッツの意見には耳を傾けるが、日本の「リフレ派」に対しては反感が先に立つのである。なお、私は経済学の門外漢なので、安倍政権の金融政策に対して「確固たる意見」は持つには至っていないものの、肯定的である。不況期に金融緩和を行うのは教科書的な政策だと思うし、第2次安倍内閣発足直後から消費増税までの間に同政権の経済政策がある程度効果を挙げたことは認める(だからクルーグマンスティグリッツの意見には耳を傾ける)。

しかし、日本の「リフレ派」を見ていると、彼らは安倍政権が自らの推奨する金融政策を採用したという一点だけで、再分配に不熱心極まりない財政政策や、派遣労働を拡大して格差を固定化する労働政策や、好戦的な安全保障政策や、東電原発事故以前から続いてきた原発推進の惰性力にただ乗っかるだけのエネルギー政策など、ろくでもない安倍政権の金融政策以外の政策を全部許してしまい、それらをひっくるめて安倍政権を支持しているような印象を受けるのである。

そもそも、日本の「リフレ派」には再分配軽視の新自由主義派も多い。すぐに名前が浮かぶのは高橋洋一長谷川幸洋だ。一方で「再分配も重視するリフレ派」がいることも私は知っている。だから本来なら、「リフレ派」同士で、金融政策以外で意見が異なる点に関して、互いに批判し合うような関係であっても良さそうに思うのだが、そんな気配は全然感じられず、ひたすら安倍政権支持に凝り固まっているようにしか私には見えない。その結束の堅さは、従来から私がずっと批判してきた「小沢信者」の集団に相通じるものを感じる。集団内の相互批判が欠けているように思われる。

だから、「ヘタレ右派」を自称する「リフレ派」の論者に、「左派・リベラルはなぜ安倍政権を倒せないのか?」などと書かれると、強い反発を感じるのである。

大きなお世話である。それはこちらの課題であって、そちらの課題ではないはずだ。

つまり、もし論者が、

歴史認識については、戦前日本の侵略や人権侵害という、世界的に否定できない事実まで否定してしまい、世界から批判を浴びることが懸念されます。

とか、

日本の右派は人権を軽視し、所得再分配にも消極的ですから、弱者を放置する政治になってしまいます。だから彼らがあまり暴走するのも困りものです。

などと書くことから想像されるような「リベラルに理解のある保守派」の方であるのなら、右派再分配軽視の財政政策や派遣労働を拡大して格差を固定する労働政策、歴史修正主義そのものの歴史観、それに憲法違反が指摘される安保法案のゴリ押しなどによって、せっかく成果を挙げかかった金融政策を台無しにしようとしている安倍政権に対して諌言を発することこそ、その立場の人がやるべきことなのではないか。ブログ主はなぜそれをやらずに*3、「左派・リベラルはなぜ安倍政権を倒せないのか?」などとリベラル・左派を挑発するのか。

全く納得できないのである。

*1:http://list.jca.apc.org/public/cml/2013-June/024816.html

*2:私は原則としてこの言葉を使わないのだが、ここではスティグリッツ及び朝日新聞が使っているので止むを得ず使う。

*3:そんなことをすると「リフレ派」の結束を乱してしまうからではないかと私は邪推している。日本の「リフレ派」もタコツボ化が甚だしいように私には見える。