kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「緊縮」って普通は金融政策ではなく財政政策に使われる言葉だろ?

 私は長年のはてなユーザーでありながら、実ははてなのサービスやコンテンツについてまるで無知だったりする。昨日ようやく読み終えた*1村上春樹の『村上さんのところ』での問答が4年前にはてなで公開されていたことも知らなかった。

 

村上さんのところ (新潮文庫)

村上さんのところ (新潮文庫)

 

 

 上記の本も、出版が2015年、文庫化されたのが昨年(2018年)5月だが、4年前には文庫化されてから読めば良いと思っていたし、文庫本になってからも何か月か経ってそろそろ平積みから外されるかもなと思った頃にようやく買って、それからさらに数か月「積ん読」にしていた。だから今頃知ったのだが、4か月間開設されていたサイトの累積ページビューは1億0677万3168PVだったという。『kojitakenの日記』のはてなダイアリー版は、更新が停止されてからも管理画面にはアクセスできるので先日見に行って累積ページビューを確認したら2558万0360PVだった。但し公開期間は2006年7月29日から2019年1月27日までで、150か月の区切りにあと2日だけ足りなかった。で、PV総数は4か月開いていた『村上さんのところ』のおよそ4分の1だから計算は実に容易で、はてなダイアリー版『kojitakenの日記』時間あたりの平均PVは『村上さんのところ』の約150分の1だったことになる。それくらいあったのならまあいいかってところ。今では細々とやっているこの日記も、2012年頃にはそれなりのアクセス数があったのだ。そういや今日で日記をつけた日は4000日になる。10年間一度も欠かさずに更新しても3652日か2653日だから、それに足すこと347日ないし348日。これも概算で、平均して1週間の7日間のうち6日くらいは更新していたことになる。但し昨年には相当息切れして年の後半には更新しない日の方が多かった。現在ははてなブログに移転したので移転直前から通算して31日連続更新中で、今日めでたく4000日更新と相成った。

 以上は長い長い前振り。はてなダイアリーは先月28日に更新を停止したのだが、「はてな匿名ダイアリー」はどうするんだろうと思っていた。私はもちろん自分のダイアリーを持っていたし、他人が書く匿名ダイアリーを読む習慣もなかったし、最近は「はてなブックマーク」にアクセスすることもめっきり減ったので全然知らずにほったらかしにしていたが、さっきふと「はてなブックマーク」の「マイページ」を見ていて、下記「はてな匿名ダイアリー」に多数の「はてブ」がついていたのを発見した。

 

anond.hatelabo.jp

b.hatena.ne.jp

 

 なんと、「はてな匿名ダイアリー」はまだ更新が続いていたのだ。

 上記リンクの、いわゆる「増田」*2の元記事には賛成できる部分は少ないが、一部を切り取って断片的に批評しておく。

 

先日の「悪夢のような民主党政権」と言うのを首相が言うのは確かによろしくなかったが、一切受け入れず反発して現政権批判に向けるのもよろしくなかった。

耳が痛いとは思うものの、左派失策もしっかり受け入れ、自省し、先に向けて生かしていくべきだと思う。

支持率は正直だ。https://www.tv-asahi.co.jp/hst/poll/graph_seitou.html

2016年都知事選鳥越氏を担いだこと、宇都宮氏を攻撃した事の総括もなく、何事もなかったかのように過ごしている事を、私は見ている。

 

 自民党大会での安倍晋三の発言はもちろん論外だ。だが、「政権批判に向けるのもよろしくない」という増田の意見もまたよろしくない。

 私はごく最近になってようやく気づいたのだが、今の日本では「批判=悪」という刷り込みがなされて久しいようで、そんな感覚は保守化(右翼化)がしばしば指摘された私の世代でさえ普通ではなかったし、ましてや私たちより上の世代では文化大革命紅衛兵が言っていたという「造反有理」(反逆には道理がある)という言葉に多くの若者が共感していたという*3から、世代間の感覚の落差にはすさまじいものがありそうだ。いや、増田の年齢を知らないから私より相当若いだろうと思って「ありそうだ」と書くのだが。

 ただ、「左派の失策もしっかり受け入れ、自省し、先に向けて生かしていくべきだ」というのには、3年半近く政権の座にあった民主党が、主流派・反主流派(小沢派)のどちらも左派では全然なかったという留保つきで同意する。

 増田は「支持率は正直だ」というが、マスメディアの支持率よりも正確に民意を反映しているのは国政選挙における各党の得票率だろう。これこそ棄権者を除いた有権者に対する「全数調査」なのだから。

 最後の都知事選については、2016年の悶着より2014年都知事選で「リベラル・左派」の多くが小泉純一郎がバックにいた細川護煕を応援したことの方がもっと問題だし、2016年については彼らの多くが小池百合子に投票したであろうことが最大の問題だと思っている。

 

 国政選挙の結果*4に話を戻すと、これを軽視したツイートを昨日みつけたばかりだった。下記のツイートは、先日この日記で公開した記事を強く批判している。

 

 

 あーあ、この人も「なんとかのミクス」とかいう、この日記での6年前からの禁句を使っちゃってるよ。どうしようもないよなあ、なんでそんなに安倍政権を応援したいんだよと毒づいてしまうのだが、それはともかく、「個別事情をいくら羅列したところで、何とかのミクスがより優れていた論拠にはならない」*5というのは本当にその通りだ。それには強く同意する。

 で、2012年以来5度行われた国政選挙での各党の得票率に、民意の全体が反映されている。そして、原発基地問題が選挙での得票率を大きく左右することは、福島や沖縄などそれらが深刻な問題になっている地域以外はなく、国政選挙において人々が投票先を決める大きな要因が経済問題であることは定説になっている。

 その国政選挙で現在の野党は2012年以来5連敗しているのだ。

 5度の敗戦を分析・総括し、野党、特に旧民主党系の諸政党の経済政策に問題はなかったか、それを精査するのが来たる選挙での勝利を目指す野党及びその支持者の態度であってしかるべきだろう。

 しかし、上記呟きの主に代表される、一部、いやかなりの旧民主党系支持者たちは、支持政党の国政選挙での5連敗をそもそも否認しているように私には見える。

 2012年の衆院選日本未来の党が惨敗した時、「小沢信者」たちが「不正選挙」だと騒いだことがあった。上記呟きの主たちはそこまでは行かないにしても、選挙での敗北を否認する点についてはそれら「小沢信者」たちと変わるところは何もない。これでは何回選挙をやっても負け続けるはずだ。

 ことに呆れたのは、上記呟きの主が上記ツイートからの流れで発した下記のツイートを、こたつぬこ(木下ちがや)氏がリツイートしていたことだ。

 

 

 上記ツイートが絶賛するアマゾンカスタマーレビューを私も読んだが、これ以上ないくらい呆れ果てたレビューだった。以下リンクを張って引用する。

 

https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/RSMVZ6ZMSHHUQ

beforedayafter

2018年7月5日

 
松尾らが言っていることは、財政ファイナンスを除けば従来左派の主張と何ら変わりません。たとえば日本共産党の総選挙政策を読めばかいてあることばかりです。金融政策に関しても、適度な緩和に反対する左派などおりません。過剰な緩和のマイナス面についてはスティグリッツらも指摘していることで、それを指摘したからといって「緊縮」などではありません。
財政ファイナンスについては、経済学的には禁じ手とされており、実現の可能性はほぼゼロです。マイナス金利ですら、米国には忌避されつつあります。仮に行ったとしても、一時的な措置に留まり、問題解決にはいたりません。
最も重要なのは、「再分配(政府による分配)」よりもまず「分配(労使交渉による分配)」を健全化することでしょう。政府による再分配も大事ですが、労働者の生活を支える恒常的な基盤はまず「分配」の方です。ここが壊れていては再分配も追いつきません。これには労働者の交渉力を高めることが必要です。
ところが本書では労働運動に関する記述がほとんどありません。これはどうしたことでしょうか。労働者の賃金を破壊する高プロ法案は?生活者を脅かす水道民営化は?本当に労働者の生活に関心があるの?
本書では実現不可能な餌を撒いて、存在しない「脳内左派」を叩くことに終始しており、実質的には安倍政権の応援歌となっています。
なにより、松尾は「リフレ派」としてアベノミクスを推進した立場であり、惨憺たる失敗という現実をまともに見る事すらできていません。
面白いデータがあります。松尾はアベノミクスの問題を消費税引き上げのせいにしますが、1997年に消費税が引き上げられた際には、半年ほどで消費総合指数は元に回復しました。ところがリフレ政策を行っているアベノミクスでは、いつまでたっても回復しません。これは、アベノミクスの効果があまりに小さいか、むしろ逆効果であることを示しています。消費の改善がないのですから、リフレ政策の第一の矢自体が機能していないのは明白であり、就業数などをリフレと結びつけるのはご都合主義と言わざるを得ません。就業数の増加は、団塊世代の引退など人口動態で普通に説明できます。
アベノミクスの失敗は、金融政策の過大評価と、労働問題の過小評価にあるといってよいでしょうが、松尾は全く同じ轍を踏ませようとしています。
まともな左派にとってはトロイの木馬、もしくは無能な味方といって差し支えないでしょう。

 

 赤字ボールドの部分からは、どうやらレビュー主が「緊縮」を「金融引き締め」の意味に、つまり「反緊縮」を「反・金融引き締め(=金融緩和推進)」の意味に使っているように見えるが、私はこれを読んで「えっ、『緊縮』って財政政策について使われる言葉だろ」と思ったのだった。

 そこで押し入れの中の箱に入れてあった下記の2冊の本を引っ張り出して、目次に「緊縮」の文字がある節のみ参照してみたが、私の思っていた通りだった。

 

この経済政策が民主主義を救う: 安倍政権に勝てる対案

この経済政策が民主主義を救う: 安倍政権に勝てる対案

 

  

 

 参照したのは、引用した2冊のうち『この経済政策が民主主義を救う』では第5章第3節「日本における緊縮とリフレ」(175-190頁)で、ここでは民主党政権ではなく2001年から06年まで日本を支配した小泉純一郎政権の経済政策が批評されているが、177頁に「反リフレの財政緊縮策で経済崩壊寸前に」(これは小泉純一郎政権に対する批評)、179頁に「緊縮財政下の金融緩和で脆弱な景気回復」(同前)との見出しがある一方、181頁には「金融緩和打ち止めで景気挫折」との見出しが打たれている。つまり、「緊縮」の言葉は財政政策についてのみ用いられており、金融政策に対しては用いられていない。なお蛇足だが私が最初にリフレ派に説得されたのはこの小泉政権の時代だ*6。説得される前には今のこたつぬこ氏と同じように「リフレなんて信仰みたいなものだ」と思っていた。現在では、リフレ政策については「まだ否定的な検証結果が出ていない仮説」だと認識している。

 いわゆる『そろ左派』では、第3章(161-218頁)が「左と右からの反緊縮の波」と銘打たれているが、ここでも「財政政策を重視した緊縮策」などと、基本的に財政政策を指して「緊縮」の語が用いられている。ここで「基本的に」と書いたのは、金融引き締めと緊縮財政を総称して「緊縮」と表現する傾向も一部に見られるからだ。これは本来財政政策に使われる言葉を金融政策にも拡張して使われているんだろうと思う。だが、もともと財政政策を指すことに変わりはないのではないか。

 私自身が「緊縮」の語を用いる時は常に「緊縮財政」を意味して用いていたのだが、それに対して財政政策については何も言わずに金融緩和ばかり批判するコメントばかり寄越す輩がいるので*7、財政のことを言ってるのになんで言ってもない金融のことばかり文句言ってくるんだといつも腹を立てていたのだが、そういうことなのかとやっとわかった。そいつは反緊縮といえば金融緩和反対のことだと思っていたのだ。他にもそう思っている連中とか、そもそも金融政策と財政政策の区別がつかない連中などが結構いるのかもしれない。

 なお安倍政権下の経済政策についていえば、松尾匡が2004年以降の小泉政権について批評した「緊縮財政下の金融緩和で脆弱な景気回復」がこれまでは当てはまっていたと考えている。過去形で書いたのは、どうやら「脆弱な景気回復の時期」さえも終わりつつあるように思われるからだ。

 カスタマーレビューの話に戻ると、レビュー主は

最も重要なのは、「再分配(政府による分配)」よりもまず「分配(労使交渉による分配)」を健全化することでしょう。

などと書いて、財政政策を切り捨ててしまっている。これを読んで、かつて佐藤優がトマ・ピケティを批判した時に使った論法によく似ているな、と思った。佐藤はピケティを批判するのにマルクスを援用しつつ、ピケティの提案を「国家社会主義だ」とこき下ろしていた*8。かつて多大なアクセス数を誇ったブログ『世に倦む日日』の管理人もよく「マルクスは再分配のことなど言っていない」と言うが(マルクスが展開したのは革命のための理論なんだからそんなことは当たり前だ)、要するにカスタマーレビュー主も佐藤優も『世に倦む日日』のブログ主もみな「再分配軽視論者」だってことだ。

 彼らと新自由主義との相性は抜群だ。現に、上記カスタマーレビューを「自分の感想とほぼ一致するものがあった」と絶賛する呟きの主のツイートを眺めてみれば良い。ゴリゴリの緊縮財政志向の人間であることがよくわかる。下記に一例を挙げる。

 

 

 どうやらこの御仁、(消費税の)増税と緊縮財政政策を政府にしてもらいたくて仕方がないらしい。こんな人の呟きを「『野党共闘』の軍師」とか「共産党系学者」などと言われている人がリツイートしていて良いのか、「野党共闘」に参加する日本共産党を含む野党は、政権の座についたら緊縮財政政策をやらかすのではないか、このような強い疑念に駆られる。

 

 上記呟きの主以外についても、この日記に戴いたコメントから例を挙げる。

 

杉山真大 (id:mtcedar)

遂にこういうことを言う御仁まで現れる始末。 https://twitter.com/GruessGott2018/status/1095978179376820224

民主党政権への批判を味噌も糞も否定してしまった挙句、実際に割を食った人間さえも自業自得の様に言うのを見ていると、連中は無能な味方としか思えませんね。

 

 コメントからリンクを張られたツイートは下記。

 

 

 このような冷酷非情なことをほざくゴリゴリの新自由主義者(としか思えない)のツイートを、「リベラル」の大物たち*9リツイートしている*10のを見ると、夏の参議院選挙(もしかしたら衆参同日選挙になるかもしれない)に野党が勝利することなど夢のまた夢。そう思えてならない。

*1:一般読者が書く文章って実に読みにくいんだよな。村上春樹のエッセイ集を読むのより頁あたり3倍くらい時間がかかったような感覚。

*2:anonymous=アノニマス=の「マス」をとった、「はてな村」の俗語。

*3:私自身は文革に対しては少年時代の昔から一貫して強い批判を持っていた。

*4:いうまでもないが、民意は議席数ではなく得票率で測られるべきだ。議席数は小沢一郎菅直人らを筆頭とする旧民主党の政治家たちが導入に骨を折った衆院選小選挙区制によって大きく歪められている。

*5:そもそも私は「なんとかのミクス」とやらを支持したことなど一度もなく、安倍政権の経済政策のうちの金融緩和だけを一部支持しているに過ぎないのだが、この手の石頭たちには何度言っても聞く耳を持たないようだ。

*6:経済学の門外漢である私自身が議論に参戦したわけではなく、両陣営の論戦を眺めた結果リフレ派に軍配を挙げたに過ぎないが。

*7:この手のコメントは特定人物によって発せられているが、いつも単なる悪口だけの垂れ流しで議論につながる可能性が皆無なので、しばらく前から承認するのを止めた。削除はしないで私自身にのみ見える状態にしてある。

*8:マルクスをしきりに引用するあたり、佐藤優とは「絶叫しない蓑田胸喜」にほかならないのではないかと最近思うようになった。

*9:こちらはこたつぬこ氏ではなく他の人たちを指す。

*10:この呟きをリツイートしているわけではなく、他のツイートだが。