kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

安倍政権の財政政策を「緊縮」ではなく「庶民には緊縮」と正しく呼ぼう

 「はてなブログ」に引っ越しを強制されてからあと1週間で1か月になるが、「はてなダイアリー」時代の末期から、Twitterからリンクを張って言及されてもトラックバックが来なくなった。そして「はてなブログ」ではトラックバックの機能自体がない。

 トラックバックの機能廃止は他のブログサービスでも例が多く、ネットでのオープンなコミュニケーションの主役は、だいぶ前からTwitterに取って代わられているようだ。そこでは140字以内という厳しい制限下で、かなり激しいやり取りも交わされているようだが、トラックバックがなくなり、コメント欄も「はてなダイアリー」時代より使いにくくなった「はてなブログ」みたいな方が落ち着けて良いんじゃないかと思うようになった。Twitterからの不愉快なidトラックバックが目に入らなくなったことは本当にありがたい。「住めば都」というやつで、おかげで引っ越し以来気持ちよく毎日更新できている。いつまで続くかはわからないが(泊まりがけの旅行に出る時はコンピュータを持ち歩くまいと思っているから、遅くともその時までには連続更新が止まるはずだ)。

 さて、十年ひと昔とはよく言ったもので、いろんな人のツイートを眺めていると、そういや10年ちょっと前の2008年秋に総理大臣になった麻生太郎は「積極財政」がウリだったんだよなあ、それで当時から極右と新自由主義の両方に反対していた私は、一部の人から「もしかしたら積極財政の麻生政権を支持するかも」などと言われたことがあったものだ。それが政権交代から自民党への政権復帰を経て麻生太郎財務大臣になると、ゴリゴリの緊縮論者になった。民主党政権時代にも菅直人が2010年1月に財務大臣になるや、財務官僚のレクにすっかり洗脳されて、数か月後に菅が総理大臣になったらさっそく消費増税をブチ上げたこともあった。あれは鳩山由紀夫が沖縄基地問題で「辺野古現行案」への回帰を決定したことと、小沢一郎東日本大震災・東電原発事故の時期に「菅降ろし」をやらかしたことを合わせて、民主党政権の三大失策だと私はみなしている。つまりトロイカが1人ずつ致命的な失策をやらかしたわけだ。そしてトロイカは誰もその失策の反省や総括をしていない。菅直人への悪口に話が逸れてしまったが、麻生太郎も財務官僚のレクにイチコロの類だったのだろう。なお安倍晋三は経産官僚にもののみごとに丸め込まれている。昔の通産省時代から民族主義的と城山三郎に論評された役所の体質が安倍晋三の「酷使様気取り」の右翼趣味とよく合ったのだろう。

 10年前と今とを比べると、反政権陣営での経済政策論はすっかり「経済右派」側に後退してしまったなあと嘆かずにはいられない。2006年からNHKが何度かのNHKスペシャルで「ワーキングプア」を取り上げた時期があって、あの頃には新自由主義批判が最盛期を迎えていた。安倍晋三福田康夫麻生太郎と続いた自民党政権は、それぞれ小泉純一郎政権の負の遺産によって「反新自由主義」の視点から批判に晒されることが多かったし、当時著名な経済学者がそれまでの新自由主義的な自らのスタンスを自己批判して、反新自由主義に転向したこともあった。竹中平蔵に対する批判は今でもよくなされるが、当時はまさに批判の嵐で、テレビ番組に竹中が出演した時、新聞のテレビ欄に「そんなに私は悪いのか」という煽り文句が載ったこともあった。

 ところが昨今は様相が一変し、安倍政権が行ってきた金融緩和の政策が、どういうわけか財政政策と混同されて(それは意識的にか無知故にかはわからないが)、反政権人士たちの間で緊縮財政がもてはやされているようにしか見えない。1930年頃に大恐慌下で緊縮財政をやらかすという致命的な失策を犯した濱口雄幸の立憲民政党政権は、朝日新聞に代表される新聞には大いに支持されたし国民的な人気も結構高かったようだが、今の「リベラル・左派」は、歴史に学ばず90年前に「先祖返り」しているかのように見える。しつこく書くが、私は何もリフレの話などをしているわけでは全然ないから、緊縮財政に惹かれがちのリベラルたちには、坂野潤治の本をお読みいただきたいと強く希望する次第だ。

 現在は、なにしろ下記のツイート主が引用している「緊縮脳」の人間(「クライマー某」)のツイートを、「野党共闘」の某軍師がリツイートするというどうしようもない時代だ。

 

 

 というか、安倍政権の財政政策は「庶民には緊縮」なんだよ。単に「緊縮」というから議論の混乱を招く。これからは、安倍政策の財政政策を再分配重視の立場から批判する心ある人々(何もリベラル・左派に限らず、この点に関しては保守派であっても構わない)は「緊縮」の2文字ではなく「庶民には緊縮」の6文字を必ず使う習慣をつけることを強く推奨する。

 で、日本政府の財政政策が世界でも稀に見る「緊縮志向」であることを指摘するツイートを以下に示す。

 

 

 この人も「クライマー某」に反応しているが、クライマー某が志向する緊縮財政こそ新自由主義を代表する経済政策なんだよ。そんなことは「基本の『き』」だろう。ところがこんなツイート主を甘やかすようなリツイートを「野党共闘」の軍師である「こたつぬこ」(木下ちがや)氏がやる。氏が共産党員であるという風評の真偽を私は知らないが、少なくとも数日前に書いた記事で示したように、共産党は財政の再分配機能を重視している。「こたつぬこ」氏は小沢一郎にすり寄ったり、昔の立憲民政党的な緊縮財政志向の人を甘やかすようなリツイートをしたりと、いったいこの人は何を考えているのかと思うことが多い。「野党共闘」をとんでもない場所へと導く「ハーメルンの笛吹き」のように私には見える。蛇足ながら私は2009年からエクセルで読書記録をつけているが、その記念すべき1冊目、つまり2009年に最初に読んだ本が、ちくま文庫に収められた阿部謹也の『ハーメルンの笛吹き男 - 伝説とその世界』なのだった。

 

ハーメルンの笛吹き男―伝説とその世界 (ちくま文庫)

ハーメルンの笛吹き男―伝説とその世界 (ちくま文庫)

 

 

 なお、安倍晋三は数年前に「俺の経済政策で増えた税収の使い道は俺が決める」と抜かしたとかいう風説があったが、仮にそういう発言を安倍本人がしていなかったとしても、安倍政権の税収の使い道を見ると、上記の言葉通りのことを安倍はやってきたといえる。

 これは緊縮財政か積極財政かという議論以前の「政治の私物化」以外の何物でもない。安倍によるお友達と軍事と原発と外国への税金の無駄遣いこそ「バラマキ」そのものであって、あれは本来日本国民が安倍に「レッドカード」を出して一発で退場させなければならなかったくらいの論外も論外、外道としか言いようのない行いだ。こういうバラマキを「積極財政」と呼ぶこと自体誤りだと私は思っている。あんなのを財政政策の本来の機能と混同されてはたまったものではない。しかしその一方で、お友達と軍事と原発と外国へのバラマキへの批判を財政政策全体の否定へと短絡する「緊縮志向」の人々にも困ったものだなあと思う今日この頃なのである。