ロンドンにある「マルクスの墓」が荒らされたというニュースを聞いて、ああ、あの本に載ってた写真に写ってたやつかなと思ったらやっぱりそうだった。
この本は難解だった。マルクスの難しさは哲学の難しさで、近代経済学の難しさが数学の難しさであるのと好一対だといつも思っている。著者が巻末で挙げている参考図書に宇野弘蔵の岩波新書があるが、宇野弘蔵といえば佐藤優の縄張りであって、佐藤がピケティをこき下ろした内容を含む講演録を収めた新潮文庫の駄本でも、佐藤は宇野経済学を敷衍した講演を行っている。その佐藤が推薦していた本の中に、この本の著者・熊野純彦の著書があった。
記憶に頼って適当に書くが、上記『いま生きる階級論』で佐藤は、何かが起きて資本主義社会が他の社会に変わるまで耐え忍ぼうとかいうわけのわからない結論で締めて、結局人々の牙を抜こうとしているとしか私には読めなかった。だから読み終えて滅茶苦茶に腹が立った。こんな佐藤を、『AERA』の元編集長・浜田敬子などは崇め奉っているように見えたことがあったが*1、私には佐藤は悪質な詐欺師だとしか思えない。
話が脱線した。最初のリンク先のブログ記事から引用する。
マルクスの墓は墓碑のプレート、1956年に英国共産党によって建立されたマルクスの胸像とその台座からなっている。2月4日に襲撃された墓碑は1881年にカールの妻が夫に先立って他界したときにつくられたもの。ポール・メイソン氏も好きではないといっているけれど、たしかにスターリン主義美学が全開で醜悪であり、その価値はかつてはスターリン主義が美学まで蝕んでいたという歴史の痕跡ということに(のみ)あるともいえる。
私は前記熊野氏の岩波新書の終章に載っているロンドン・ハイゲート墓地の「マルクスの墓」の写真を見て、なんじゃこりゃ、これじゃマルクスが首級を晒されてるみたいじゃないか、気持ち悪いなあと思ったのだった。それを思い出した。
スターリン主義といえば社会主義リアリズムを思い出すが、20世紀ソ連の一部の作曲家が書いた「社会主義リアリズム」の音楽の醜悪さも、あの「マルクスの首」に相通じるものがあるんだろうか、などといい加減なことを書いておく(笑)