×××新選組の支持者が、自らが×××(山本太郎)を支持する理由として「市民を守る独裁を選ぶ」とツイートに書いたあと、それを削除したらしい。
実は弊ブログもこの件を取り上げようと思っていたのだった。×××(山本)支持者の思考の典型例だと思ったからだ。だが、上記リンク先に取り上げられているので直接の形で取り上げるのは止めた。読者の皆様には是非とも上記ブログ記事をご覧いただきたい。以下に結論の部分を引用する。
驚いたのは、「独裁」を育む沃土が既に拡がっていることだ。1968年の世界的大叛乱からすでに半世紀以上経っているというのに! 冷戦の崩壊からも既に30年以上経っているというのに! 北朝鮮人を、また国内的にはオウム信者を上から目線で嘲笑することはもはやできない、ということはたしかなようだ。
かつてのオザシン(「小沢信者」)にも似たような傾向があった。
但し小沢一郎と山本太郎では全く個性が異なる。小沢の場合は「信者」たちが勝手に虚像を作り上げたものであって、実像との乖離が甚だしかったが、山本の場合は率先して自らへの崇拝を煽るアジテーションをやっているように見える。
また、上記ブログ記事に出てくるmakotoというヤマシン(「山本太郎信者」)のような人たちを見ていると、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』に出てくる大審問官を渇望する人たちなんだろうなと(いつも)思う。
弊ブログに「大審問官」と「山本太郎」の両方の言葉が含まれる過去の記事が1つだけあった。但しそこでは両者を結びつけて論じてはいない。
上記記事でJ-CASTの書評サイトに掲載された橋本健二『中流崩壊』(朝日新書2020)の書評を引用した。「大審問官」への言及はそれに含まれる。
「自由からの逃走」が怖い
本書は後段で「中流崩壊」が社会や政治にどのような影響を与えていくのかについても言及している。
例えば有名なドイツの社会心理学者エーリッヒ・フロム(1900~1980)は、中産階級が経済的自由を獲得する一方で、人々が孤独感などを克服するため権威に服従し、同じような服従志向の人々と一体化して精神の安定を得ようとする傾向があると指摘していた。いわゆる「自由からの逃走」だ。ドイツの下層中産階級がファシズムを支持する心理的基盤になったという。
コロナ禍の各国を眺めれば、その萌芽はあちこちにある。ルーツとして、めんどりの庇護を求めるひな鳥の逸話(『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」)なども思い出す。
ここでも「大審問官」はファシズム勃興に関連づけて論じられていたのだった。
「大審問官」といえば、昨年12月に(批判する目的で)読んだ佐藤優の『生き抜くためのドストエフスキー入門 - 「五大長編」集中講義』(新潮文庫2021)で、佐藤は「大審問官肯定論」を堂々とブチ上げていた。これを読書ブログで批判したことがある。
kj-books-and-music.hatenablog.com
以下、上記リンクの記事から引用する。
ところで斎藤幸平の本を絶賛していた一人が佐藤優だ。私はこの佐藤が大嫌いで、近年はことにマルクスを悪用して人々の牙を抜いてしまおうとしているかのような一連の講演録を読んでは腹を立てていた(それらをブログで取り上げたことがないと記憶するが)。先日本屋に行ったら相変わらず池上彰とつるんで講談社現代新書から駄本を出していたが買わなかった。しかしドストエフスキーの「五大長篇」を解説した講演会を活字化した下記新潮文庫は薄かったので買って読み、またしても激怒したのだった。
何に腹を立てたかというと、佐藤が『カラマーゾフの兄弟』に出てくる「大審問官」の論理を大々的に肯定していたことだ。佐藤は、カラマーゾフ家の三男・アリョーシャが心酔したゾシマ長老の遺体が腐敗したのは「ゾシマが間違えた信仰をしていた」*2からだという。ロシア正教では「聖人は腐らない」*3はずだというのだ。そして「大審問官」を、佐藤の講演当時総理大臣だった菅義偉や、プーチン、そして習近平らも同じ考え方をしている、と言いつつ*4、「ドストエフスキーが、大審問官を肯定的に評価しているのは明らかではないでしょうか」*5と言い放っている。つまり佐藤は菅(義)やプーチンや習近平を肯定しているともとれる。私はこれを読んで、佐藤は自らを大審問官になぞらえているのではないかと疑った。またこのような佐藤のあり方は、佐藤が創価学会を強く擁護していることとも関係があるかもしれないとも思った。
出典:https://kj-books-and-music.hatenablog.com/entry/2021/12/31/141023
いつだったかプーチン(ロシア)を擁護する佐藤優は「逆張り」しているのではないかとのツイートに対して、「ツイッター政治おじいちゃんお化け」氏が「佐藤優は逆張りではない。佐藤はロシアのエージェントに近い」*1との主旨の的確な指摘をしていたことを思い出した。
その佐藤は講演及びそれを書き起こした著書で堂々とプーチン肯定論をぶっていた。
昔、「『右』も『左』もない。オレは『下』や」を標語として、極右政治家の城内実や平沼赳夫を「反新自由主義の闘士」として持ち上げていた某ブログの執筆者が佐藤優を崇拝していた。2000年代後半のことだ。
そういった流れが徐々に強まってきている。決して馬鹿にならない大きな脅威だ。
*1:表現はこの通りではない。曖昧な記憶に基づいて書いた。