kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

石垣のり子参院議員の「ロシアを一方的に非難することこそ誠実な態度」とする正論と、想田和弘の「ゼレンスキーを礼賛しないとまるで国賊のようにぶっ叩く風潮」を捏造する妄論との目も眩むような落差

 私はFacebookに登録していないので、想田和弘という映画監督にして某パブリックエネミーへの追随者が「二元論にはまった挙げ句、ゼレンスキーを礼賛しないとまるで国賊のようにぶっ叩く風潮」がどうのとFacebookに書いたことは知らなかった。リンクは示さないが、やはり現在前述の某パブリックエネミーと深く関わっている某人*1のブログ記事にて知った。

 しかし某人の意見とは全く異なり、私はどこに「ゼレンスキーを礼賛しないとまるで国賊のようにぶっ叩く風潮」なんかがあるのだ、これこそ「藁人形論法」の最たるものだという感想しか持てなかった。

 現に弊ブログはこの「藁人形論法」によって「ゼレンスキーを美化している」などと非難を受けたことがある。

 いったい弊ブログの記事のどこにゼレンスキーを美化した文章があるというのだろうか。弊ブログがやっているのは、非難の焦点をプーチンのロシアに絞ることだけである。原則としてロシア非難に集中し、ロシアを非難する際にわざわざ「NATOの東方拡大」など、原則として持ち出さないことにしている*2(但し戦争の初めの頃に持ち出したことはある。少し考えが浅かった)。

 少し前に立憲民主党の石垣のり子(のりこ)参院議員が一連のツイートを発信した。私には彼女を買えない部分もあるが、その一連のツイートは実にみごとだった。以下にその全部のツイートをリンクする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長いが、「間然するところのない」とはこういう論理を指す、実に良い見本だ。

 石垣議員は、一時某パブリックエネミーの「信者」たちに持ち上げられていたが、上記の一連のツイートを発するずっと前から前記「信者」たちに裏切り者との罵倒を浴び、今では某パブリックエネミーの「信者」たちの標的の一つになっている。

 上記石垣氏の一連のツイートに引き比べて、「二元論にはまった挙げ句、ゼレンスキーを礼賛しないとまるで国賊のようにぶっ叩く風潮」などと、ありもしない「風潮」をでっち上げる想田某や、それに無批判に言及する×××関係者はいかに卑小な存在だろうか。目も眩むほどの落差を感じる。

 なお、上記で「ありもしない」と書いたのはあくまでも「風潮」であって、個別には「ゼレンスキーを礼賛しないとまるで国賊のようにぶっ叩く」人間は確かにいるに違いない。しかしそれはほんの一部であって、多くは前述の弊ブログのように、実際にはプーチンやロシアに対する非難のみをしてウクライナ(ゼレンスキー)やアメリカについては何も言っていない人間を指して「ゼレンスキーに対して何も言わない」態度を「ゼレンスキーを礼賛(美化)している」ことにすり替えてしまう「藁人形論法」の風評被害に遭っているだけだ。

 想田監督や同監督の妄言を受け売りする某人に対しては、腹の底から沸き上がる激しい怒りを禁じ得ない。

 一刻も早く目を覚ませ。

*1:「×××オーナーズ」の一員であるらしい。

*2:NATOの東方拡大」自体は事実だし問題があると私は認識しているが、単に「今はそれを持ち出すべき時ではない」と考えているのである。停戦がなされたあとであれば大々的に論じることは構わない、というよりむしろ積極的に論じられるべきであろう。