私はFacebookに登録していないので、想田和弘という映画監督にして某パブリックエネミーへの追随者が「二元論にはまった挙げ句、ゼレンスキーを礼賛しないとまるで国賊のようにぶっ叩く風潮」がどうのとFacebookに書いたことは知らなかった。リンクは示さないが、やはり現在前述の某パブリックエネミーと深く関わっている某人*1のブログ記事にて知った。
しかし某人の意見とは全く異なり、私はどこに「ゼレンスキーを礼賛しないとまるで国賊のようにぶっ叩く風潮」なんかがあるのだ、これこそ「藁人形論法」の最たるものだという感想しか持てなかった。
現に弊ブログはこの「藁人形論法」によって「ゼレンスキーを美化している」などと非難を受けたことがある。
いったい弊ブログの記事のどこにゼレンスキーを美化した文章があるというのだろうか。弊ブログがやっているのは、非難の焦点をプーチンのロシアに絞ることだけである。原則としてロシア非難に集中し、ロシアを非難する際にわざわざ「NATOの東方拡大」など、原則として持ち出さないことにしている*2(但し戦争の初めの頃に持ち出したことはある。少し考えが浅かった)。
少し前に立憲民主党の石垣のり子(のりこ)参院議員が一連のツイートを発信した。私には彼女を買えない部分もあるが、その一連のツイートは実にみごとだった。以下にその全部のツイートをリンクする。
日本国憲法は前文で「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と高らかにうたいあげています。これが77年前に私たちが世界と交わした約束。この約束に立脚すれば、ロシアを一方的に非難することこそ、誠実な態度のはずです。
— 石垣のりこ (@norinotes) 2022年4月3日
日本国憲法前文のいう「平和を愛する諸国民の公正と信義」を具現化/言語化したものこそ、国連憲章であり国連を中心とした世界平和維持のための枠組みのはずです。ロシアはそれを完全に否定したのです。許せるはずがありません。
— 石垣のりこ (@norinotes) 2022年4月3日
日本は第一次大戦の戦勝国でした。ベルサイユ体制以降、あまりにも悲惨だった第一次大戦の反省から世界の国々は戦争そのものを「非合法化」する努力を重ねました。日本も批准したパリ不戦条約はその精華でしょう。しかしその後、日本は中国大陸への侵略を始めます。まさに今のロシアのように…
— 石垣のりこ (@norinotes) 2022年4月3日
当時の日本は戦勝国として国際平和維持に責任を有する立場でした。しかし日本は中国東北部の権益等を理由に平和秩序維持の責任を忘れ侵略を重ねていきます。第二次大戦の戦勝国であり平和維持の責任があるにもかかわらず。様々な言い訳で、ウクライナを侵略する今のロシアは当時の日本にそっくりです。
— 石垣のりこ (@norinotes) 2022年4月3日
当時の日本は、満州事変や上海事変を経ても侵略行為をやめず、次々に戦線を拡大していきます。「東亜新秩序の建設」や「新文化の創造」などと美辞麗句で自分の侵略行為を誤魔化し正当化する姿勢は、「ウクライナの非ナチ化」などと言いながら他国の主権を犯す今のロシアと同じです。
— 石垣のりこ (@norinotes) 2022年4月3日
こうした侵略行為の結果、当時の大日本帝国は世界から孤立し、今のロシア同様、世界中から経済制裁を受けることとなります。それでも日本は戦争をやめず、「自分は悪くない。世界が悪い」と被害者ポジションを決め込み、愚かにも真珠湾攻撃/マレー沖海戦で英米仏蘭などの各国に宣戦布告したのです。
— 石垣のりこ (@norinotes) 2022年4月3日
当然のことながら、日本は敗北します。しかも主要都市のほとんどを焦土とされ、沖縄では悲惨な地上戦となりました。広島・長崎では原子爆弾を使用されるなど、まさに完膚なきまでに叩き潰されてしまいます。15年にわたって続いた侵略行為は日本にとって最悪の結果で終わったのです。
— 石垣のりこ (@norinotes) 2022年4月3日
これらの反省に基づいて、戦後、日本は新たな歩みを進めました。第一次大戦後の世界潮流に反して侵略行為を始めてしまった反省。議会制民主主義を機能不全にさせてしまった反省。東アジア近隣諸国民および自国民に多大なる犠牲を強いた反省に基づき、日本国憲法は生まれたはずです。
— 石垣のりこ (@norinotes) 2022年4月3日
しかし残念ながら「憲法を守ろう」「戦争をやめよう」という掛け声で野党共闘を支援される人々の中には「ロシアもウクライナもどっちもどっち」論に陥ってしまった方が散見されます。極めて残念です。日本国憲法の崇高な理念を毀損していると言わざるをえません。
— 石垣のりこ (@norinotes) 2022年4月3日
私は、国会議員として、日本国憲法を守りたい。日本国憲法を守る人々と連帯してこの憲法を後世に伝えていきたい。しかし今般のロシアの侵略行為を見て「どっちもどっち」などという人が護憲側にいるとなると前途暗澹たる気持ちになります。
— 石垣のりこ (@norinotes) 2022年4月3日
また一方で、今回の戦争を奇貨として憲法を変えてしまおうとか、核武装であるとかの議論をなす保守とさえ呼べないような反動勢力の闇雲な扇動にも残念さを覚えます。先の大戦への反省と日本国憲法があればこそ、私たちはロシアを非難できるのではありませんか。
— 石垣のりこ (@norinotes) 2022年4月3日
ウクライナにも問題はあるのでしょう。しかしだからといってロシアが行った「国際紛争の解決の手段としての武力行使」が正当化されるわけではありません。「国際紛争の解決の手段としての武力行使」を禁ずる憲法を有する日本こそ、ロシアを糾弾する資格があるはずです。
— 石垣のりこ (@norinotes) 2022年4月3日
「9条があっても侵略は防げないぞ」という愚かな混ぜっ返しをする御仁も多いようですが、9条は「侵略をしない」規定であって、今ウクライナが行使しているような個別的自衛権の発動を否定する規定ではありません。野党各党もその認識です。(国民民主さん維新さんれいわさんは存ませんが)
— 石垣のりこ (@norinotes) 2022年4月3日
私は、憲法を守りたい。この憲法の崇高な理想を後世に伝えたい。だからこそ、今、ロシアの侵略行為を、日本国憲法の崇高な理念に基づいて最大限糾弾すべきと申し上げるのです。「護憲を叫びながらロシアを擁護する」「改憲を叫びながらロシアを非難する」との浅慮な態度からは距離を置きたいと思います
— 石垣のりこ (@norinotes) 2022年4月3日
長いが、「間然するところのない」とはこういう論理を指す、実に良い見本だ。
石垣議員は、一時某パブリックエネミーの「信者」たちに持ち上げられていたが、上記の一連のツイートを発するずっと前から前記「信者」たちに裏切り者との罵倒を浴び、今では某パブリックエネミーの「信者」たちの標的の一つになっている。
上記石垣氏の一連のツイートに引き比べて、「二元論にはまった挙げ句、ゼレンスキーを礼賛しないとまるで国賊のようにぶっ叩く風潮」などと、ありもしない「風潮」をでっち上げる想田某や、それに無批判に言及する×××関係者はいかに卑小な存在だろうか。目も眩むほどの落差を感じる。
なお、上記で「ありもしない」と書いたのはあくまでも「風潮」であって、個別には「ゼレンスキーを礼賛しないとまるで国賊のようにぶっ叩く」人間は確かにいるに違いない。しかしそれはほんの一部であって、多くは前述の弊ブログのように、実際にはプーチンやロシアに対する非難のみをしてウクライナ(ゼレンスキー)やアメリカについては何も言っていない人間を指して「ゼレンスキーに対して何も言わない」態度を「ゼレンスキーを礼賛(美化)している」ことにすり替えてしまう「藁人形論法」の風評被害に遭っているだけだ。
想田監督や同監督の妄言を受け売りする某人に対しては、腹の底から沸き上がる激しい怒りを禁じ得ない。
一刻も早く目を覚ませ。