下記記事にコメントをいただいた。
とおりすがり
私は昔からタモリは信頼できるがビートたけしは全く信用ならないと思っている。たけしはいつだったかも9条護憲を口にしたことがあったらしいが、過去の言動の大部分は右翼ネオリベ(ことに後者)の方向性を持っている。
しかし問題の核心はそこにはない。
「一昔前のリベラル派≒左翼系ならば、問答無用に戦争反対を声高に叫びアメリカとロシアに停戦を呼びかけたはず」という認識が根本的に間違っている。
この論法だと、ベトナム戦争について「一昔前のリベラル派≒左翼系ならば、問答無用に戦争反対を声高に叫びアメリカとソ連に停戦を呼びかけたはず」ということになってしまう。
「一昔前のリベラル派≒左翼系ならば、問答無用に侵略戦争反対を叫んだはず」というのが正しい。戦争反対よりも前に「侵略反対」が優先されなければならない。何もゼレンスキーを英雄視する必要など全くないし、某元号政党*1支持層に顕著に見られるようなカリスマ指導者信奉は危険だが、「どっちもどっち」論にはまってしまうことはそれよりもはるかに危険だ。
なお、一昔前の左翼(革新派=当時は「リベラル」という言い方はしなかった)は必ずしもその理想に合ってはいなかった。ベトナム戦争でのアメリカ非難は正しかったが、親中派は1979年に中国のベトナム侵攻を非難できなかったし、あろうことか中国と関係が深かったカンボジア、ポル・ポト政権の大虐殺を否定する人たちまでいた。また、同じ1979年にソ連が引き起こしたアフガニスタン侵略を非難できない人たちがいた。向坂逸郎がその一人だ。さらに時代を遡ると、親中派・親ソ派ともに両国が行う核実験を非難できない人たちが少なくなかった。
現在のロシアは社会主義国ではないし、プーチンは帝政ロシアの復活を夢見る極右だ。そのプーチンにどんな幻想を持っているのかは知らないが、プーチンの侵略戦争の責任を「どっちもどっちの戦争反対論」に矮小化してしまう一部の「リベラル・左派」こそ強く非難されるべきだ。
*1:この「組」は国会のロシア非難決議に唯一反対した露骨にロシア寄りの政党だが。
山口二郎に連なるリベラル派連中、例えばこたつぬこ氏などは確実に「新しい戦前」に日本国民を誘いますよ。
もっと具体的に言えばウクライナ戦争においてウクライナを支持した全てのリベラル派。
一昔前のリベラル派≒左翼系ならば、問答無用に戦争反対を声高に叫びアメリカとロシアに停戦を呼びかけたはず。
明日のウクライナは日本で、同じくロシアは中国です。
ビートたけしも日曜日のタックルでタモリと同じような事を言ったとか?(未確認)
安倍晋三らを応援してた吉本芸人らとは違いますね、タモリとたけしは。