kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

続・ロシアのクリミア編入と「小沢信者」

本記事は、前記事 ロシアのクリミア編入と「小沢信者」 - kojitakenの日記(2014年3月20日)の関連記事。


前記事を書いた翌日からの3連休の最初の2日間、ネットを休んでいた。幸運にして、正月休みのあと初めてゆっくり休める状態になったので、「遠出」とまではいえないもののそれなりに自宅から離れたところに出かけていた。特に天気の良かった昨日(3/22)は良いリフレッシュになった。

その間にネットでやったのは、携帯で「きまぐれな日々」へのコメントの承認をしたのと、当ダイアリーのコメント欄のやりとりを見ていたくらいである。

論じられていたのは、ロシアのクリミア編入をめぐってだったが、既に木曜日(3/20)にテレビ朝日の『報道ステーション』が、ウクライナの新政府に入り込んだ極右勢力が暴れていることと、クリミアでタタール人が殺害されたことを伝えていた。

私はわざわざこの日記には書いてこなかったけれども、ロシアがクリミアを編入する前にヘリテージ財団などのアメリカのネオコンが何やらうごめいていたことや、クリミア・タタール人の指導者がクリミアのロシア編入の可否を問う住民投票へのボイコットを呼びかけていたことはもちろん知っている。

私は正直言って、キエフといえばムソルグスキーの『展覧会の絵』の終曲「キエフの大門」を、それもムソルグスキーの原作(ピアノ曲)ではなく、ラヴェルが編曲した絢爛華麗なオーケストラの響きを思い出し、ウクライナといえば「小ロシア」ともいい、チャイコフスキー交響曲第2番(この曲の旋律は全然記憶に残っていない)の副題になってるよなあ、とか、真っ先に思い出すのはその程度という人間である。

また、タタール人といえば「韃靼(だったん)人の踊り」というボロディンの音楽を思い出す。「韃靼」という字は常用漢字にはないので、「だったん人の踊り」とか「ダッタン人の踊り」などと表記されることもあり、私は最初カタカナ表示で知った。その後ひらがな表記を知り、なぜひらがなで書くのかと疑問を持ったところから「韃靼」というタタールの中国名を知ったのだった。

タタールとはモンゴル系の遊牧民族を指すが、モンゴル国民がスターリン支配下ソ連になめさせられた辛酸については、一昨年、下記の本を読んで詳しく知った。


ノモンハン戦争―モンゴルと満洲国 (岩波新書)

ノモンハン戦争―モンゴルと満洲国 (岩波新書)


この本の感想文を当ダイアリーに書いたつもりだったが、日記内検索をかけたところ書いていなかったようだ。日本帝国主義にあっても、モンゴルの人たちは、右翼の好きな言葉で言えば「親日」的であって、ノモンハン戦争においてもモンゴル兵は日本軍と戦うのに尻込みしたという。それは、何もモンゴルの人たちが「右翼反動的」であったからではなく、軍国主義の侵略者・日本よりももっと恐ろしいスターリンの「究極の恐怖政治」に苦しめられ、多くの国民が殺されていたからである。クリミアのタタール人たちが、第2次大戦中にヒトラーに親和的だったのも同様の心理規制に基づくものであって、いわゆる「敵味方思考」の結果だが、彼らは、「スターリンヒトラーか」という、究極の選択を迫られていた。現代の目から見れば、スターリンヒトラーはともに非難されるべき「絶対悪」であることはいうまでもない。

現在、単純な「敵味方思考」を重ねて簡単に「プーチン支持」の結論を導く人たちは、身近な脅威に迫られてではなく、床屋ならぬネット政談で、たとえば「小沢一郎擁護」の動機から「敵」と「味方」を決める、「政論ごっこ」をやっているのだろうが、その程度の意見発信であっても何らかの影響力を持つ可能性は絶無ではないだけに、それなりに「罪深い」といえるだろう(笑)。

マスメディアは「冷戦の再来か」と言うが、冷戦時代は「資本主義対共産主義」のイデオロギー対立を「建前」にしていた。しかし、ソ連が崩壊し、中国がトウ小平以来「共産党支配下の資本主義経済」を目指したあとの現在は、そのようなイデオロギー対立はない。それでもあえて経済政策の路線に違いを見出そうとするなら、西側でフリードマン主義が一世を風靡したあとに資本主義化した中国やロシアは、ことに西欧と比較すると、「超新自由主義国」とでもいうべき過激な新自由主義の支配する、貧富の差がきわめて大きな国といえるだろう。

「小沢信者」たちは、かつて小沢一郎も信奉した「新自由主義」の国にして、ミルトン・フリードマンを排出したアメリカを「教祖のかたき」として忌み嫌うのであるが、「ポリティカル・コンパス」の「経済軸」で見れば、「左」から見て北欧諸国、西欧諸国、日韓、アメリカ、中露という順番になるのではないかと私は勝手に考えている。たとえば中国には相続税はない。「階級(格差)を固定するためのプロジェクト」という、マルクス主義系地理学者、デヴィッド:ハーヴェイ流の定義を当てはめれば、中国やロシアは過激な新自由主義国といえるだろう。そのロシアの指導者プーチンと、「岸信介の孫」である安倍晋三のウマが合うのもさもありなんと思うし、プーチンにシンパシーを表明する「小沢信者」たちの思考回路が、その安倍晋三とあまりによく似ていることに呆れるのである。

私は、排外主義を声高に叫ぶネトウヨなどの輩に、ロシアのクリミア編入を非難する資格はないと思うが、それと同時に、いとも簡単にロシアのクリミア編入を肯定する輩は、いずれ日本が侵略戦争を開始しても、あっさりそれを支持してしまうんだろうなと予想する。その時小沢一郎がまだ生きていて、日本の侵略戦争を支持する声明を発するならば、それに呼応した「信者」どもが「非国民狩り」をして怪気炎を吐くだろう(笑)。