下記ツイートの人を最近ネットでよく見かける。共感するところも少なくないのだが、時折理解できないツイートがある。下記はその一例。
おそらく「政府支出は増やすべきだが政府機能は縮小すべき(または今以上に拡大する必要はない)」と考えている人は相当数いて、そういう人ほど維新を批判してたりするのだが、実は維新もまったく同じ主張をしているんだよな。
— 琉牛牛 (@ryuryukyu) 2022年11月4日
理解できないのは、最後の「実は維新もまったく同じ主張をしている」というくだり。私の認識では、維新はひたすら政府収入も政府支出も減らすことしか言っていない。
ツイート主は何を理由に維新が政府支出の増額を訴えていると思っているのだろうか。そう考えていたら、維新の政策であるベーシックインカムだの軍事費増額だのが思い浮かんだ。しかし維新は同時に、かつて橋下徹が「バサーット切る」と「ト」を片仮名にしてツイートを発信したことに示されている通り、社会保障の現物給付を極端に切り詰めることを政策の柱にしている。トータルでは政府支出は削減される。このような維新の政策はミルトン・フリードマンの経済思想をそっくりなぞったものだ。財政政策に関する維新の公約は2012年衆院選当時と今年の参院選時とでほとんど変わっていないようだから、維新とはかつても今も変わらず、ひたすら「小さな政府」を目指す過激な新自由主義政党であり続けているというのが私の認識だ。
もし、上記の私の認識に対して、いや違う、政府支出をトータルで増やせというのが維新の政策だというのなら、そのエビデンスを誰か示していただけませんか。少なくとも私はそれを全く知らないので。
あと、最近はTwitter未登録者による過去のツイートへのアクセスが大きく制限されているのでリンクできないのだが、同じツイートの発信者が、自民党の社会民主主義政策云々と書いていたように思う。しかしそれは歴史的に見て大きな誤りだ。
自民党は高度成長時代に社会保障費の増額を抑える経済政策をとり続けてきた。それで高度成長期という絶好のチャンスを棒に振ってしまった。特に悪質だったのは清和会と宏池会だった。1970年に赤字財政を問題視したのは大蔵官僚上がりの福田赳夫であり、1978年に総理大臣になって「小さな政府」をブチ上げたのが同じく大蔵官僚上がりの大平正芳だった。この2人とは違って、田中角栄は1973年を「福祉元年」と銘打って、社会保障費の大幅な増額を目指したが時既に遅く、まさに角栄が「福祉元年」と位置づけようとした1973年こそ高度成長時代最後の年だった。そのために日本は欧州のような福祉国家になり損ね、アメリカと同様の「小さな政府」の国になってしまった。そんな自民党は昔から今に至るまで一貫して「社会民主主義」とは対極にある政党だというのが私の認識だ。
なお大平は1979年に一般消費税創設を衆院選の公約にしようとしたものの、批判を受けて取り下げるなど迷走した結果衆院選に敗れたが、大平は何も消費税の税収を社会保障に充てようとしたわけではない。大平から竹下登、さらには橋本龍太郎に至る消費税の政策は、直接税の減税とセットにされていた。つまり再分配を弱める方向の新自由主義政策だったことを忘れてはならない。竹下登など、総理大臣を務めた超好況期において、本来は財政を抑えなければならない時期だったのに(財政再建をやるならその時期しかなかったに違いない)、増えた税収は使わなければならないとばかりにバラマキ政策*1を行って好況をバブルにしてしまい、日本経済に取り返しのつかない大ダメージを与えた。その後不況期の緊縮路線に走ったのが橋本龍太郎であり、さらに極端にまで新自由主義を推し進めたのが小泉純一郎だった。
以上書いた通り、自民党のどこをどう切り取っても「社会民主主義」など全く出てこない。1970年代までの日本政府の経済政策にそういう側面があったとしたら、それは野党第一党だった社会党の主張を一部政策に取り入れたからに過ぎない。現在自民党の一部から時折出る「増税」の意見も、政府支出を6兆円増やさなければ実現できない防衛費(軍事費)増額に充てるためだろう。論外である。