kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

さんざん小泉純一郎や竹中平蔵のお先棒を担いだ田原総一朗が2020年末に「竹中平蔵批判」のコラムを書いたようだが、その中身はひどいデタラメだった(呆)

 今回はほのめかしではなく直接引用するが、下記ブログ記事に引用されている田原総一朗の主張には奇異の念を抱かざるを得ない。

 

mewrun7.exblog.jp

 

 上記ブログ主は、弊ブログがいつも「『リベラル』あるいは『都会保守』」という表現で当てこすっている人だが、立憲民主党のシンパで、多くの東京都在住の民主・民進有権者たちが蓮舫に投票した2016年参院選小川敏夫に投票した程度にはリベラル(括弧なし)な人だ。しかし、日本社会に長年刷り込まれた新自由主義的な考えからどうしても脱却できない面をかなり強く持っていて、すぐに橋下徹小池百合子に心惹かれたりしてしまう。何より、小沢一郎民主党内で大きな権力をふるっていた2006〜11年頃には、相当に小沢に迎合的だった。そういったところがどうしても私の癇に障る。

 もちろん、氏も理屈では小泉・竹中の新自由主義に反対すると標榜しているし、何より氏がブログを立ち上げたのは確か2005年の郵政総選挙投票日直前で、小泉自民党圧勝確実の情勢に危機感を感じてブログを立ち上げられたのだった。しかし私の見るところ、「どんなに強くネオリベに反対しているつもりでも、ネオリベ的思考が刷り込まれてしまっている」ところが壁になっていて、思考を前進させることができなくなっているように見受けられる。

 

 以上は前振り。この記事で私が本当に批判したいのはブログ主ではなく田原総一朗だ。

 記事のタイトルを見て、田原が竹中平蔵を批判してるって本当かよ、と思った。

 というのは、田原こそ1990年代後半にしきりに竹中を自らが司会する番組、特に日曜午前にテレビ朝日が放送していた『サンデープロジェクト』に何度も竹中を招き、さんざん持ち上げてきた元凶だからだ。そうこうしているうちに竹中は自民党政権に登用された。最初に竹中を登用したのは故小渕恵三で、1998年に経済政略会議の委員として政権に取り込んだのだった。それからもう23年にもなる。

 最初は竹中に調子を合わせていた榊原英資が竹中を「ペーパードライバー」と批判したのは2002年だった。しかしこの年にも田原は大きな悪行をやらかしている。それは、発足直後の小泉純一郎政権の人気がやや翳りを見せ始めるかと思われたこの年、『それでも、小泉純一郎を支持します』と題したクソ本を、あの幻冬舎から出したことだ。

 

www.gentosha.co.jp

 

 結局、田原の援護射撃のおかげかどうかは全く知らないが、小泉の人気は間もなく下げ止まり、3年後にはあの思い出したくもない郵政総選挙につながった。田原はその総括など全くしていないに違いない。

 むしろこの時期の田原で唯一評価できるのは、2002年8月のサンデープロジェクトでゲストの一人だった高市早苗をさんざんにこき下ろし、高市に悔し涙を流させたことだ。田原は高市の復古的極右の主張を激しく非難し、「無知で下品な人」と罵倒されたのだった。これには普段田原に批判的だった私も、大いに溜飲を下げた。

 しかし経済政策でネオリベを援護しまくる田原は私の怨嗟の的であり続けた。

 そんな田原が竹中を批判したという。前記のブログ記事を見ると、昨年末に『週刊朝日』に載ったコラムでのことらしい。

 そこで文章を読んだが、やはり首を傾げさせるものだった。以下孫引きする。

 

田原総一朗竹中平蔵氏に大批判 その異常さを日本は受容できない」

 

 連載「ギロン堂」田原総一朗 2020.12.2 07:00週刊朝日

 

菅政権の「成長戦略会議」メンバーの竹中平蔵氏が各所から批判を浴びている。その状況について、ジャーナリストの田原総一朗氏は米国や英国の2大政党が掲げる政策の役割という文脈で読み解く。

 

 先日、「サンデー毎日」で佐高信氏と対談した。テーマは竹中平蔵という人物についてであった。

 

 菅義偉首相は内閣の柱として、竹中氏を中核とする「成長戦略会議」なる組織を設置した。安倍前政権下で成長戦略を担った西村康稔氏を担当相とする経済政策は問題ありとして、全面的に対抗するためである。佐高氏は、その竹中氏を「弱肉強食の新自由主義者で、危険極まりない」と批判している。

 

 気になるのは、ここへ来て竹中氏が各所から集中砲火的に批判を浴びていることである。

 

 たとえば、文藝春秋の12月号では、藤原正彦氏の「亡国の改革至上主義」なる竹中氏批判が大きな売り物になっているが、藤原氏は安倍前首相を「戦後初めて自主外交を展開した」と絶賛しているのである。その藤原氏が、竹中氏を「小泉内閣から安倍内閣に至る二十年間にわたり政権の中枢にいて、ありとあらゆる巧言と二枚舌を駆使し、新自由主義の伝道師として日本をミスリードし、日本の富をアメリカに貢いできた、学者でも政治家でも実業家でもない疑惑の人物」として批判している。

 

 さらに、中央公論でも神津里季生、中島岳志の両氏が新自由主義者だと批判し、週刊朝日でも竹中氏が主張するベーシックインカムは「経済オンチ」だと厳しく批判している。また、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した佐々木実氏も、著書で竹中氏を「日本で最も危険な男」と描いている。

 

 こうした集中的な竹中氏批判を読んで、私は坂野潤治氏の言葉を思い出した。坂野氏は近代史の研究者として、私が最も信頼している人物である。

 

 米国や英国には2大政党がある。米国には共和党民主党があり、共和党は生産性を向上させるために自由競争を重視する。だが、自由競争が続くと、勝者と敗者の格差が大きくなり、生活が苦しくなる敗者が圧倒的に多くなる。そこで民主党政権になる。民主党は格差を縮めるために多くの規制を設け、多数の敗者を助けるために、大規模な社会保障を設ける。

 

 だが、規制を設けると経済が低迷し、社会保障の規模を大きくすると財政事情が悪化する。そこで次の選挙では共和党が勝つ。言ってみれば、共和党は小さな政府、民主党大きな政府で、それが順番に政権を取っている。英国も同様だ。

 

 坂野氏によれば、日本は自民党も野党も大きな政府で、野党は自民党を批判するだけで、政策ビジョンを持っていないために自民党政権が続いているというのである。自民党田中派、大平派などは典型的な大きな政府だった。

 

 ところが、経済が悪化して財政事情が極めて悪くなったので、小泉内閣は思い切って小さな政府に転換した。それを仕切ったのが竹中氏だったのである。スローガンは「痛みを伴う構造改革」で少なからぬ拒否反応が出た。さらに、経済悪化の中で、日本の企業は正社員をリストラできないので、非正規社員を雇用できるように法改正した。これが、のちに批判の的となった。

 

 言ってみれば、野党はもちろん、保守層にとっても、竹中氏の小さな政府は異常であり、受け入れられないのだ。つまり、竹中氏批判は、大きな政府を変えるな、ということなのではないだろうか。※週刊朝日  2020年12月11日号』

 

 ここで田原が言及した坂野潤治は、昨年10月14日に亡くなった。それが記事に反映されていないのも変だが、田原のコラムで坂野氏が言ったことにされている内容はもっと変だ。坂野氏は「自民党田中派、大平派などは典型的な大きな政府だった」と言ったとされる。しかし実際には、田中派は確かに大きな政府だったが、大平正芳といえば「小さな政府」の代名詞みたいな政治家だった。たとえば、元朝日新聞の東洋大教授・薬師寺克行が下記コラムで指摘している通りだ。

 

toyokeizai.net

 

 以下引用する。

 

大平、福田両氏は財政の悪化に危機感を持った

 

すべての政治家が、無責任な積極財政派だったわけではない。建議は「昭和の政治家は戦後初めて継続的な特例公債の発行に至った際に、「万死に値する」と述べたとされるが、その後、先人たちが苦労の末に達成した特例公債からの脱却はバブルとともに潰(つい)えた一時の夢であったかのようである」と触れている。

「万死に値する」と語ったのは三木武夫内閣のときの大平正芳蔵相だ。オイルショックの後遺症が残る1975年、大平は税収減を補うため2兆円の赤字国債発行に踏み切らざるを得なくなった。この時、大平は「一生をかけて償う」とも語っており、実際、後に首相になったとき、「一般消費税」の導入を試みた。世論の反発もあって失敗したが、大平は小さな政府論の立場から財政の均衡を重視する立場を貫いた。

戦後、初めて赤字国債を発行した1965年に佐藤栄作内閣で蔵相だった福田赳夫も、後に悔しい思いを語っている。筆者には「政府が財政支出で日本の景気を左右する時代はいずれ終わる。そうならなければならない」と語ってくれたことが印象に残っている。

残念ながら今の政治家に、福田や大平のような矜持を感じることはほとんどない。

 

東洋経済オンライン 2018年12月4日)

 

出典:https://toyokeizai.net/articles/-/252577?page=2

 

 大平や福田赳夫は、彼らと同じ立場に立つ薬師寺*1が指摘する通り財政均衡政策を信奉する「小さな政府」論者であり、これは典型的な新自由主義政策の一つだ。多くのリフレ派やMMT派、あるいは彼らと対立する財政均衡論者たち(特にネットの立民支持者たちに多い)などの主張とは異なり、財政学者の神野直彦はこういう政策を批判する立場に立つ*2

 この程度の常識的な事項くらいは、各論者たちは頭に入れておいてもらいたいと私はかねがね思っている。私見では、神野直彦はリフレ派・MMT派・財政均衡派のいずれの陣営からも誤解されている。

 田原批判に戻ると、私が訝るのは本当に坂野潤治が「大平は『大きな政府』派だった」などと言ったり書いたりしたのかということだ。田原のコラムが週刊朝日に載った頃には坂野氏はもう亡くなっていたので、田原が「死人に口なし」で出鱈目なことを言い放ったのではないかとさえ疑われる。

 極めつきは、田原がコラムを「竹中氏批判は、大きな政府を変えるな、ということなのではないだろうか」という間抜けな文章で締めくくっていることだ。

 事実は、日本が大きな政府であったことなど一度もない。高度成長末期の1973年に田中角栄が「福祉元年」と銘打ったことがあったが、裏を返せば1972年までの日本は福祉国家ではなかったということだ。最悪なことに、角栄が「福祉国家元年」にするはずだった1973年は高度成長最後の年であり、その後の日本は財政規模の拡大など思う仁摩なせなかったばかりか、福田赳夫大平正芳、それに(間に鈴木善幸を挟むが)中曽根康弘といった「小さな政府」系の人たちが相次いで総理大臣になったこともあって、今に至るまで「大きな政府」であったことなど一度もないのだ。

 このように、田原のコラムは出鱈目もいいところだった。こんなコラムを書いて(というか口述筆記だろうが)お茶を濁すのではなく、田原はさんざん竹中平蔵小泉純一郎らの新自由主義のお先棒を担いだことを総括しなければならないはずだ。

*1:いかにも元朝日新聞の人らしいと思う。なお薬師寺改憲論者でもある。

*2:但し神野は野放図な財政拡大にも反対している。国債の利払いは逆再分配になるからである。