kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

菅直人はなぜ新自由主義に傾斜するのか

最近は週刊誌はたまに立ち読みする程度になった。四国に住んでいた頃、東京の1日遅れ、場合によっては2日遅れで発売される週刊誌に載る安倍晋三官房長官時代)の批判記事をしばしばブログで紹介するために、新聞に載る週刊誌の見出しをチェックしては週刊誌を買い込んでいたものだが*1、前日早朝に見たサッカーW杯の試合(6月24日のデンマーク戦)のグラビアが掲載された週刊誌を、翌日本屋で見て、さすがに東京は早いなあと思うけれども、週刊誌の政局記事はあまりに陳腐なので、立ち読みする気もあまり起きない。雑誌記者の方が世の中の流れから取り残されているように思える。

何月何日号かわからないが、『週刊ポスト』に載っていた増税批判記事もひどかった。菅首相の消費増税構想を批判したまでは良かったが、菅首相所得税増税もたくらんでいる、消費税の逆進性批判をかわすために、金持ちと中間層からも増税しようとしているなどと書いていた。

要するに『週刊ポスト』は「小さな政府」を志向する新自由主義派の週刊誌なのだろう。


週刊朝日』に掲載されていた坂野潤治・東大名誉教授「菅内閣は日本初の社会民主主義政権だ」(2010年7月9日号)は、少し面白かった。

坂野名誉教授は、鳩山由紀夫小沢一郎を「保守」の流れに位置づける。これは坂野名誉教授ならずとも当然だが、鳩山一郎から中曽根康弘を経由した流れ(安倍晋三も同じ流れに属する)に鳩山由紀夫を、吉田茂から田中角栄を経由した流れに小沢一郎を位置づけ、両者はともに戦前の政友会の流れをくむ政治家だとする。

国民は政権交代に期待していたのに、自主独立を目指す、政治思想的にはタカ派中曽根康弘系列(というよりは鳩山一郎系列)の鳩山由紀夫と、開発を志向する田中角栄系列の小沢一郎の組み合わせでは自民党と同じだから、国民の期待を裏切ったのは当然であって、それに対して菅直人政権は日本初の社会民主主義政権だ、と坂野名誉教授は言う。

確かに過去に菅直人が語った言葉(『論座』2007年6〜10月号に連載された菅直人のインタビューなど)を読むと、菅は以前から社会主義でも自由主義でもない、北欧の社会民主主義国を念頭に置いていたと語っている。現在では菅は「第三の道」を土建国家でもない新自由主義でもない道だ、と言っているが、もともとは社会主義でも自由主義でもない社会民主主義だ、という発想からきているのではないか。それが、トニー・ブレアの頃にはイギリス労働党福祉国家でもマーガレット・サッチャー新自由主義でもない両者の折衷に変質してしまったように思われる*2

しかし、トニー・ブレアサッチャー流の新自由主義とかなり妥協したように、菅直人小泉純一郎流の新自由主義への妥協が過ぎる。現在、菅政権に対して左側から浴びせられる「新自由主義」との批判の中には、的外れなものもあるが、的を射たものもある。私自身も、たとえば枝野幸男が「みんなの党」に秋波を送ったなどという報道に接すると、血管がブチ切れそうになる。

なぜこんなことになるのか、と考えてみた。

前述『週刊朝日』の坂野名誉教授の位置づけでは、小泉純一郎は戦前の民政党浜口雄幸の流れをくむ政治家で、さらにその流れをくむのが前原誠司だという。

要するに新自由主義の流れだが、坂野名誉教授は「新自由主義」とは言わず「自由主義」と言っている。

菅直人自身は社会党に所属したことはないが、社会党から分かれた社会市民連合(のち社会民主連合)の流れに属する菅のグループは、ずっとのちに社会党から分かれた横路孝弘グループを合わせて「民主党左派」として考えても、党内でも多数派とはいえず、常に鳩山由紀夫小沢一郎の「保守」と、前原誠司ら「(新)自由主義」とのせめぎ合いで、困難な政権運営を強いられる。

鳩山・小沢の「保守」が退いた現在、菅と組んだ新自由主義勢力の影響力が増すのは当然ともいえるが、それ以上に、菅直人枝野幸男には自発的に新自由主義側になびく傾向があるように思う。枝野幸男など、菅直人前原誠司の両方のグループに所属している。

その鍵は、おそらく保守主義と(新)自由主義とのせめぎ合いに由来しているのだろう。坂野名誉教授が小泉純一郎が流れをくむとする浜口雄幸は、戦前、非常に人気のあった政治家らしい。ここらへんは不勉強なのでもう少し勉強したいけれど、その一因として、民政党浜口雄幸が「政友会政治」に対抗する型の政治家だったことがあるのではなかろうか。

菅直人らだけではなく、土井たか子時代の社民党でさえ、保守よりは新自由主義に親和性が強くて、2001年当時、社民党は、「改革」という言葉を、小泉純一郎同様の肯定的な意味合いで用いていた。当時、小泉の新自由主義政治に反対する政治勢力共産党だけだった。これもまた、小泉純一郎が「旧来自民党」に反対する政治家だったからだろう。民主党左派にせよ社民党にせよ、本来小泉の目指す「小さな政府」とは正反対の、高福祉高負担を目指す政治勢力だったはずだが、そんなことは政治家たち自身も全然顧慮しなかった。ましてや、国民の間に社民主義の思想が全然浸透しようはずもなく、今に至るも「税金には何でも反対」の「小さな政府」を、おそらく日本人の過半数が支持している。

そのことがよく表れていたのが、この記事の初めの方で紹介した『週刊ポスト』の記事である。「小さな政府」は、高福祉高負担を目指す社会民主主義とは180度反対の思想なのだが、それと本来社民主義を目指すべき勢力が「反保守」を共通項として野合してしまうところに、日本政治の病巣があるように思った。

*1:安倍晋三が総理大臣に就任する前には、安倍を批判した記事が載ることは比較的少なく、批判記事は貴重だった。

*2:このあたりはギデンズに当たったことがないので、想像でものを書いている。乞うご批判。