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坂野潤治『日本近代史』(ちくま新書)を読む

昨日、坂野潤治『日本近代史』を読了した。


日本近代史 (ちくま新書)

日本近代史 (ちくま新書)


著者・坂野潤治東京大学名誉教授で、専攻は日本近代政治史。当ダイアリーは坂野氏を2度取り上げた。

前者は今年6月20日朝日新聞に載った坂野氏のインタビュー記事の紹介。当該の朝日新聞記事を覚えておられる方も多かろうと思う。「日本の政治で悪かったのは、1890年に衆議院ができて以来、左派の勢力が増税反対でチープガバメント(安上がりの政府)を志向し続けたこと」、「保守の自民党が社会政策をやったという決まり文句は大間違い。成長によるパイが大きい時代に、余った部分をばらまいただけ」という坂野氏の主張には納得させられた。

後者は菅政権発足直後、2年前の『週刊朝日』(2010年7月9日号)に掲載された、「菅内閣は日本初の社会民主主義政権だ」と題された坂野氏のインタビュー記事を参照して書いた。さすがに菅政権が「社会民主主義政権」とは私には思えなかったので、「菅直人はなぜ新自由主義に傾斜するのか」と題して、私なりの意見を書いた。ただ、鳩山一郎から中曽根康弘を経由した流れ(安倍晋三も同じ流れに属する)に鳩山由紀夫を、吉田茂から田中角栄を経由した流れに小沢一郎を位置づけ、両者はともに戦前の政友会の流れをくむ政治家だと位置づけた坂野氏の見方は面白いと思った。坂野氏は、小泉純一郎は戦前の民政党浜口雄幸の流れをくむ政治家で、さらにその流れをくむのが前原誠司だとしていたが、鳩山由紀夫安倍晋三小沢一郎小泉純一郎前原誠司の位置づけは妥当だろうと思う。

さて、朝日新聞インタビューを取り上げた前者の記事に、コメントをいただいた*1

id:gybe11 2012/06/21 10:09
坂野潤治氏といえば、「日本近代史」(ちくま新書)は読まれましたか?(僕は読んでいる最中ですが)
なるほどと思うところも、違うなと思うところもありますが、西郷隆盛が「開国」と「攘夷」を棚上げして「改革(倒幕)派」をまとめ上げた、というところ(坂野氏は高評価)が腑に落ちました。なんだ西郷=小沢じゃん。倒幕のための倒幕、政権交代のための政権交代、改革のための改革(小沢小選挙区〜小泉〜みんなの〜橋下)。明治維新から、なんにも変わっていないのか、というよりそこに戻ってしまったのか、という感じですね
で「大阪維新の会」!


正直言って、gybe11さんのコメントを読んで『日本近代史』の存在を知り、読んでみようと思ったのだった。この本は今年3月の初版だが、売れているらしく、私が時々行く書店ではいつも平積みだった。8月24日に購入した本には2012年7月30日発行の第7刷と印刷されている。

もっとも売れているといっても、当ダイアリーで私がしばしば取り上げる某駄本とは全然売れ行きが違うらしく、あちらはamazonのカスタマーズブックレビューが、私がこの記事を書いている時点でなんと101件にも達しているのに対し、『日本近代史』には8件のコメントがつけられているのみだ。
http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BF%91%E4%BB%A3%E5%8F%B2-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%9D%82%E9%87%8E-%E6%BD%A4%E6%B2%BB/dp/448006642X


この本を正面から論じるのは、正直私には荷が重いので、上記カスタマーズレビューから共感できるものを抜粋するという怠惰なことを思いついた。まず、「重厚な通史」と題された「南アルプス」さんのレビュー。

本書は約450頁あり、新書としては最もボリュームが大きい。
著者・坂野氏は本書を2010年8月から2011年9月まで約1年をかけて執筆したという。
「近代日本の国家構想」「昭和史の決定的瞬間」など数々の名著を執筆した坂野氏であるが、本書を自らのライフワークにしようという意図があったのかもしれない。


本書が対象とするのは、1857年(安政4年)から1937年(昭和12年)までの80年間である。
著者はこの80年間を6つの段階に分ける。
 改革の時代 1857−1863
 革命の時代 1863−1871
 建設の時代 1871−1880
 運用の時代 1880−1893
 再編の時代 1894ー1924
 危機の時代 1925ー1937


そして各々の時代について、史実の羅列に陥らず、著者の問題意識に沿ってメリハリのある記述がなされている。
巷によくある物語風の歴史と正反対の、アカデミックな通史である。


具体例を挙げると、明治期の「松方デフレ」は、当時は地租が固定されていたので、物価が上昇すると政府にとって税が減収する結果を招くので、デフレ政策を採って財政健全化を図るためのものだったとか、平民宰相として人気の高い原敬は政友会の政治家であり普通選挙制に反対する保守的な政治家だった、というような問題意識である。


本書は著者の長年の研究成果が結実した重厚な書である。索引が充実しているのもよい。
本書の出版は、日本史の興味のある読者にとっては大きな朗報だと言える。


「危機の時代 1925-1937」のあとには、著者があえて書かなかった「崩壊の時代 1938-1945」がくる。「松方デフレ」と税制の話は面白かった。某元外交官の駄本が『Nabe Party 〜 再分配を重視する市民の会』のブログで取り上げられたけれど、『日本近代史』に取り上げられた税制の話をエントリに上げる手もあると思った。もっとも私自身がやるつもりはない。最近疲労がたまっているのだ。今朝も起きたら9時35分で、TBSの『サンデーモーニング』を見損ねた。何やら大宅映子が右翼的な発言をしていたらしいが。


次いで、「ブ厚く ド熱い 骨太の一冊が 百年の歴史から現代・我々に問うものは?」と題されたINAVIさんのレビュー。

本書は、日本近代史にガブリ四つで組み合ってきた著者の渾身の一冊と先ず位置付けたい。
その内容は、新書でいう「日本近代史」とは全く違う、内容の厚みと著者の思いの熱さに圧倒され、なまじの本では太刀打ちできない労力と充足感を読者に与えるものだ。現代を生きる大人こそが、この夏だからこそ読むべき一冊と断じたい。


本作は、幕末から敗戦までの日本近代百年弱を6つの時代に分けて、個々の時代の意味を説いている。しかし、それは単純にキーワードから近代史を俯瞰するものではない。よくいう転換点・ポイントといった点(イベント)を並べるのではなく、大きな国家ビジョンを持った政治家がそのビジョン実現のために、内政・外交を動かしていく流れを描き出すことで、近代日本はどう動いてきたのかをエッジ鋭く浮き出している。西郷にとっての「尊王攘夷」、維新三傑の「富国強兵」「輿論世論」、原敬と「大正デモクラシー」と、私のように浅学に教科書的丸暗記でしか認識しない者には、目から鱗な解釈に圧倒された。それは、一部で批判し合う主義主張の身勝手な歴史観とは明らかに異なる、膨大な資料と緻密な研究から抽出された貴重な見識と思う。
また、最終的に「崩壊の時代」=対支戦争の長期膠着化・対米英開戦・そして全面敗北を迎える要因を、様々な立場の政治参画主体の誰かに求めるのでなく、むしろ、多様な参画者に四分五裂した結果として「決められない政治」が出来したが故の不可避の結末と結論付ける点は、著者がそれをポスト3.11の日本に重ね合わせるラストと合わせ、最も心して読むべきところと思う。


むろん、こうした研究は他にもあるかもしれない。しかしそれでも、「今こそ大人が読むべき」と私が評する理由は、著者が近代史を描き出すことから、現代またそこに生きるものに政治に関わる覚悟を説いているからに他ならない。
ねじれて決められない今の政治を批判するのは容易いが、それは今日初めて起きたことでなく、過去にもあり、如何に克服し逆に克服出来なかったのかを知るならば、政治家だけを批判する愚かさを知らされる。それでも分からぬ者に、著者は古人の言葉を付きつけ、安易なことしか云わないマスコミとそういうユルイことしか理解しない人の愚かさを批判している。


全ての内容を十二分に理解するには多くの時間と労力を要するが、少しでも己の中で消化し、現代を考えるようにしたい。
そんな気持ちにさせられる良書である。


このレビューにも概ね同感だが、「決められない政治」という言葉には引っかかった。坂野氏の著書には「決められない政治」というフレーズは1か所も出てこないし、現在マスメディアが好んで使う「決められない政治」という言葉は坂野氏の意図とは全く違った使われ方をしていると思う。ただ、「危機の時代」の終わり頃の日本の政治状況が、二大政党である政友会と民政党がともに二派に分かれ、軍部は統制派と皇道派の対立、官僚も新官僚の台頭でそれぞれ二派に分かれ、さらに北一輝西田税といった「右傾」、亀井貴一郎の社会大衆党という「左傾」*2が一定の支持を受けるといった具合に、計10派に分かれて日本の政治が液状化していたと指摘する。そして、1937年6月4日に成立した近衛文麿内閣は、これら小刻みに分かれた分裂状態を克服しないで固定化し、そのまますべてを包摂してしまったと著者は指摘する。日中戦争を途中で停めたり、日英米戦争を回避したりするための政治体制の再編を目指す指導者はもはや存在しなかったというのである。

これに続く本書第6章「危機の時代」の末尾から、その直後に置かれた「おわりに」の冒頭を以下に抜粋する。

 これ以後の八年間は、異議申立てをする政党、官僚、財界、労働界、言論界、学界がどこにも存在しない、まさに「崩壊の時代」であった。異議を唱えるものが絶えはてた「崩壊の時代」を描く能力は、筆者にはない。

 「改革」→「革命」→「建設」→「運用」→「再編」→「危機」の六つの時代に分けて日本近代史を描いてきた本書は、「崩壊の時代」を迎えたところで結びとしたい。


おわりに


 すでに第6章で明らかにしたように、昭和一〇年代初頭の日本の指導者たちは、四分五裂して小物化していた。そのような国内状況の下で、武藤貞一が大戦争の始まりと予測した日中戦争が勃発した。昭和一〇年代初頭の日本国民は、内政と外政の二重の国難の入り口に立っていたのである。

 言うまでもなく、日本国民がこの二重の国難から同時に解放されたのが、一九四五(昭和二〇)年八月一五日である。見通しの立たない戦争をただ拡大することしかできなかった軍人や政治家たちは追放され、国民は戦争から解放された。

 二〇一一年三月一一日の大地震、大津波、大原発事故の三重苦の克服を論じるとき、多くの人々は、当然のように八月一五日の国難からの復興と対比した。敗戦で焼野原となった日本を復興させた日本人は、三月一一日の国難にも必ず打ち克てると説いたのである。

 しかし、第6章で「危機の時代」が「崩壊の時代」に移行するところを分析した筆者には、二〇一一年三月一一日は、日中戦争が勃発した一九三七年七月七日の方に近く見える。

 一九三七年七月七日の日本は「崩壊の時代」の入口に立っていたのに対し、四五年八月一五日の日本は「崩壊の時代」を終えて「改革の時代」を迎えていたのである。愚かな指導者と愚かな戦争から解放された日本国民は、希望に燃えて戦後改革を受け容れ、復興に全力を尽くしたのである。

 三月一一日の三重の国難を迎えて以後の日本には、「改革」への希望も、指導者への信頼も存在しない。もちろん東北地方の復旧、復興は日本国民の一致した願いである。しかし、それを導くべき政治指導者たちは、ちょうど昭和一〇年代初頭のように、四分五裂して小物化している。「国難」に直面すれば、必ず「明治維新」が起こり、「戦後改革」が起こるというのは、具体的な歴史分析を怠った、単なる楽観にすぎない。「明治維新」や「戦後改革」は日本の発展をもたらしたが、「昭和維新」は「危機」を深化させ、「崩壊」をもたらしたのである。

 日本国民が三月一一日に始まる「国難」を克服するためには、新しい指導者層の台頭が必要である。四分五裂化した小物指導者の下では、「復旧」も「復興」も望み薄である。

 しかし、歴史の上では「興」と「亡」はいつもセットである。明治維新の「興」に始まり、昭和維新の「亡」に終わった本書の後にも、「戦後改革」という「興」が続いた。「戦後改革」に始まり、一つのサイクルを終えようとしている戦後六六年史においても、おそらく「亡」を克服して「興」に向かう次の指導者たちは、政界、官界、財界、労働界、言論界、そして学界の中で、出番を待っているものと思われる。

坂野潤治『日本近代史』(ちくま新書, 2012年)442-445頁)


戦前では原敬を嫌って吉野作造を高く評価し、最近でも鳩山由紀夫小沢一郎に批判的で菅直人に期待し(おそらく菅直人への期待は裏切られて、いたく幻滅されたのではないかと想像するが)、先日の朝日新聞インタビューでも「社民主義こそ必要」と説く坂野氏が、「亡」の後に来る「興」として期待しているのは社民主義の政治に違いなかろうと推測する。「昭和維新」と同様、滅亡への道へと人々を導こうとしている橋下徹などでは間違ってもないだろう。

あと何点か。まず、冒頭でご紹介したid:gybe11さんのコメントについて。

西郷隆盛が「開国」と「攘夷」を棚上げして「改革(倒幕)派」をまとめ上げた、というところ(坂野氏は高評価)が腑に落ちました。なんだ西郷=小沢じゃん。倒幕のための倒幕、政権交代のための政権交代、改革のための改革(小沢小選挙区〜小泉〜みんなの〜橋下)。明治維新から、なんにも変わっていないのか、というよりそこに戻ってしまったのか、という感じですね
で「大阪維新の会」!

おそらく1993年に「政治改革」によって七党連立政権を樹立した当時の小沢一郎西郷隆盛と対比されているのだと思いますが、本書を通読して、小沢一郎というのは西郷隆盛というよりは、「再編」の時代を主導した指導者ではないかという気がします。「大阪維新の会」はもちろん筆者の言う「昭和維新」、すなわち危機を深化させ、崩壊をもたらした勢力に該当しますよね。

それから、1人でまとめ上げた日本近代史の通史という性格上、重大と思われる事柄があっさり書かれていて拍子抜けした箇所がいくつかあった。たとえば1925年の治安維持法は、巻末の索引を参照しても、371頁、407頁、422頁の3箇所で触れられているのみであることなど*3

あと面白かったのは、経済政策の観点からの記述が多く見られること。一部は既に言及したが、政友会と民政党の対立点に関して、政友会は積極財政志向で、民政党は財政規律重視志向だったことなど。それから、内政・外交に関してはある時期までは「政友会は内政タカ派、外交ハト派」で、民政党が「内政ハト派、外交タカ派」であって、それによって内政・外交のいずれかに穏健志向が担保されていたのに、「再編の時代」から「危機の時代」に移行する際、政友会が「内政も外交もタカ派」に転じたことは、岸信介政権崩壊の1960年から小渕恵三が倒れた2000年までの間、ほとんど政権を担わなかった「保守傍流」である清和会が、2000年の密室談合による森喜朗政権以来自民党で主流になったことと重ね合わせずにはいられない。

但し、民政党の源流はもともと保守派の山県有朋閥の桂太郎だった。以下本書から引用する。

 面倒なのは、保守系の山県系から出た桂太郎が結成した立憲同志会(一九一三年)伊藤博文西園寺公望の後を継いだ原敬立憲政友会にくらべて、より自由主義的だったことである。軍部と官僚閥の牛耳をとってきた山県閥が、より自由主義的だった伊藤、西園寺、原の率いる政友会よりも、自由主義的な政党(立憲同志会→憲政会→立憲民政党)を結成してしまったのである。

 このため今日においても、「大正デモクラシー」という言葉を聴いて、立憲政友会の「平民宰相」原敬を想起するか、それにとって代わってロンドン海軍軍縮を実現した、立憲民政党浜口雄幸を思い出すかは、人それぞれという状況が続いている。この千差万別の歴史認識は二一世紀の日本をリードする政界や言論人においても、継承されている。

 今日の政治家、あるいはそれを批評する言論人の間で、自分が原敬の政友会を尊敬するのか、その反対党であった浜口雄幸民政党を継承するのかが、全く自覚されていないのである。戦前の政友会に相当する自民党の政権を倒した民主党の指導者が、尊敬する人物として政友会の原敬の名前を挙げているのは、その一例である。

(本書237頁)

ずいぶん悪意を込めて書かれた表現だけれど、その政治家とは誰だろうと思って、鳩山由紀夫菅直人小沢一郎の順にググったところ、鳩山と菅は該当せず、小沢一郎ぴったしカンカンだったのには笑ってしまった。たとえばこんなブログを見つけた。

http://blog.ko-blog.jp/aburajin/kiji/22805.html(2010年1月19日)


もっとも前述のように、坂野氏自身が小沢一郎を「政友会の流れをくむ政治家」と位置づけている(『週刊朝日』2010年7月9日号)のだから、これはいささか八つ当たり気味ではないかとは、氏と同じく(と思われる)「アンチ小沢」の私でさえそう思った。それに、氏が民政党浜口雄幸の流れに位置づけている小泉純一郎は、自ら浜口雄幸を尊敬していると言っていたはずだ。

それはともかく、著者が高く評価するのは原敬でも浜口雄幸でもなく、吉野作造であるようだ。原敬に対する低評価と吉野作造に対する高評価は本書の面白い特徴だろう。索引を参照すると、原敬への言及は実に23箇所にも及ぶ。そのくらい力を入れて原敬を批判しているのである。私は子供時代から、「原敬というのは『平民宰相』などと呼ばれているけれども、実際には保守反動色の強い政治家だった」という原敬評になじんできたから、特に違和感はなかった。ただ、小沢一郎原敬に心酔しているのは知らなかった。なぜだろうと思って調べてみたが、おそらく単に原敬岩手県出身の政治家だったからだろう。

長くなってしまったが、最後にもう一点。「危機の時代」の末期、1936年に「二・二六事件」が起きたが、その直前、実は民意は「左揺れ」していたのだった。1936年2月20日に行われた総選挙で、陸軍の「皇道派」と結んで美濃部達吉天皇機関説を攻撃していた政友会が惨敗して少数野党に転落し、著者が「"自由主義政党" と言い切るには躊躇があっても、少なくとも反軍国主義、反ファシズムの党ではあった」とする民政党が第一党に返り咲いた。その直後に起きた軍事クーデターである「二・二六事件」など、国民には支持されていなかったのである。

政友会も、この惨敗を反省して、選挙の後には「反ファッショ」化して、1937年には政友会の浜田国松が陸相の寺内寿一を国会で面罵した。そして、民政党と政友会は連携して軍部に対抗しようとしたが、宇垣一成政権は陸軍の抵抗によって「流産内閣」となり、林銑十郎内閣を経て第1次近衛文麿内閣成立に至った。この頃は、「一寸先は闇」の出来事の繰り返しだったように思えるが、どうしてそうなったのか。政治勢力の四分五裂による指導者の小物化が原因、というのが著者の考え方であるようだが、それだけで解釈してしまって良いのか。

本書を読み終えて、考え込んでしまったのだった。


[追記]
当エントリで好意的に取り上げた「南アルプス」氏のAmazonのカスタマーズレビューだが、同氏はなんと孫崎享の『戦後史の正体』のカスタマーレビューにも筆頭で登場し、好意的なレビューを書いていることに気づいた。こちらには同意できない(特にレビューの後半)ことはいうまでもない。なお、私もとうとう孫崎の『戦後史の正体』を購入したが、読めば読むほど感心できない本である。

*1:http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20120620/1340151052#c1340240941

*2:但し、社会大衆党は親軍的な主張をしており、国家社会主義的傾向が強かった。著者は、本当の「左傾」は治安維持法によって、すでに根絶させられていたと書いている。

*3:うち407頁における治安維持法への言及部分は、本書評で取り上げた。