kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「戦後のマルクス主義の経済学者はどこかで小泉・竹中路線とつながる」(by 坂野潤治)

惰性について - kojitakenの日記(2015年12月9日)の続き。

大阪ダブル選で大阪維新の会*1が2勝したのは、何も共産党の勢いが止まったからではなく、大阪維新の会の候補に投票するのが大阪人の「惰性」になっているからだと思う。私はこの選挙についてはずっと「維新2勝」以外の結果になるとは全く思わなかった。これまで、「今度こそ橋下は失速する」と期待して裏切られたことが何度あったことか。大阪では、ずっと前に凋落しきった民主党は無論のこと、大阪自民でさえ維新に対抗する力はない。ましてや共産党に大阪ダブル選の勝利をもたらす力など最初からあろうはずがなかった。

大阪だけではない。私がブログを始めてからの10年間で(もちろんそれ以前からずっとだが)、復古的というより排外主義的な思考をすることが日本人の惰性になってしまっている。それに気づきもしない、さる「『右』も『左』もない」元政治ブロガー(現在ではブログの更新を停止している)は、2006年12月に安倍晋三が強行した教育基本法改正を「敗着」と評した。確かに安倍晋三は翌年9月には辞任に追い込まれたが、安倍晋三によって改悪された教育基本法は今もそのままだし、何より安倍晋三自身が2012年に総理大臣の座をトリモロした。何が「敗着」なものか、と思う。同一人物は、2013年の特定秘密保護法成立も安倍晋三の「敗着」だと評したが、安倍晋三は今度は辞任にすら追い込まれず、それどころか2014年の衆院選に圧勝した。噴飯ものなのは、教育基本法特定秘密保護法安倍晋三の「敗着」と評した同じ人物が、2007年に安倍晋三が辞任に追い込まれるや、「水に落ちた犬は叩かない」とほざいて安倍晋三批判を止め、あろうことか城内実平沼赳夫の応援に専念しはじめたことだ。安倍晋三が逆らえなかった小泉純一郎の手によって自民党を追い出されていたとはいえ、城内は安倍晋三のかわいい子分であり、平沼は安倍晋三が畏敬する極右政治家の大先輩だ。つまり、もともと櫻井よしこのファンを公言していた「右翼」っ気満々の「喜八」は、自ら復古的・排外的な流れを惰性力にすべく、狭い「反自民ブログ界隈で力を加えた。その程度の惰性力でも馬鹿にならないことは、2009年に城内実をはじめとする「平沼一派」を批判していた頃、「政権交代」を掲げる少なからぬ人たちの不興を買ったことから身を持って思い知らされている。

前振りが長くなったが、昨日の記事で予告した坂野潤治の指摘について、山口二郎との対談本から引用する。


歴史を繰り返すな

歴史を繰り返すな

 坂野 比較経済史学者の斎藤修さんと割と親しいのだけれど、僕の『日本近代史』を贈った礼状が来て、そこに普選後の社会主義者がなぜ福祉国家論者にならなかったのかと書いてあるんだ。一九二五年に普選になったときに、社会主義者福祉国家に行くのが世界的なルートなのに、なぜ行かなかったのかという問いを立てて『日本近代史』を読んでみたと。これは初期議会の民党*2が、「政費節減・民力休養」を大声で叫んで大成功した。要するに小さな政府論が大受けした。これが左翼リベラルの主張になって、それの伝統が強くて、二五年の政治的平等を獲得した時にも、その後も、一貫してリベラルから左翼は小さな政府論になったんじゃないかと。民政党井上準之助が超デフレ政策を打つと支持されるし、逆に、高橋是清以降のインフレ政策を左翼はあまり支持しない。

 戦後も、大内兵衛さんを含めて、労農派の経済学者というのは、赤字国債反対、インフレ絶対反対なんだ。高度成長で所得倍増がどんどん進んでいる時に、それを再分配の方に持って行く理論化の経験が全くなかったというのは、ちょっと驚くほどのことなんだな。

(中略)

 坂野 戦後のマルクス主義の経済学者は(略)どこかで小泉・竹中路線とつながってしまうところがあるように思うんです。(115-116頁)

以下は「××信者」が泣いて喜びそうな坂野先生のお言葉。

 坂野 (略)民主党だって小沢さんが「生活第一」というと、みんなものすごく抵抗があったんだと思う。民主党の中も多くは新自由主義だし、民主党のくせに福祉国家が分かっていないんだ。彼らの大元の日本社会党もまったく分かっていなかったんだけどね。(117頁)

まあ小沢一郎とて選挙に勝つための方便に過ぎなかったことが露呈したのが民主党政権のていたらくだったと私は思うけれども、民主党の他の政治家が誰もやらなかった「国民の生活が第一」というスローガンを立てて民主党を圧勝させたのを小沢の功績に帰さないわけにはいかないとは、さしもの私でさえ思う。ただ、あまりの過剰な圧勝はその反動もとてつもなく大きく、そのツケを現在払わされているのだろうとも思う。

本からの引用に戻る。

 坂野 (略)大内兵衛国債発行絶対反対論というのは、むしろリスクの個人化につながる話(略)

(中略)

 坂野 自由党の政費節減というのは、要するに、「事業仕分け」と同じなんです。ただ、無駄を省いて、それを福祉に回すとはっきり出していれば、「生活第一」が貫かれたんだけどね。それが、プライマリー・バランスの回復という話になってしまったからダメだったんです。(118-119頁)

この最後の部分は私には違和感がある。どんな政権だろうが「無駄を省く」ことなど当たり前なのであって、それをわざわざ掲げたこと自体が民主党政権の誤りだったと思う。つまり、福祉はそのままで役人の私腹を肥やす党の無駄だけ省こうとしてもそこにはどうしても無理がある。当時民主党政権が行ったよりももっと大規模な財政支出の拡大が必要だった。また、特に菅政権の時代には、高橋洋一(私はこの人が大嫌いだが)がリフレ政策を菅直人に売り込み、菅はそれに一時興味を示したけれども結局は受け入れなかったという。安倍晋三がのちにこれを採用したことを思うと、これもあまりにもったいない話だった。当時菅直人にそのような行動をとらせたのも、明治時代の民党の「政費節減・民力休養」以来の「リベラル・左翼」の伝統というか惰性力だったのかもしれない。

ところで、坂野氏の『日本近代史』の魅力は、歴代政権がどんな経済政策をとってきたかについて触れながら日本近代史を語っているところにある。


日本近代史 (ちくま新書)

日本近代史 (ちくま新書)


しかし、その坂野氏も、山口二郎との対談本の中で、安倍政権について甘い見通しを語っている箇所がある。以下引用する。

 坂野 実は安倍政権やその周辺の右派的言動に相当な反感を持っている人は、結構多い。ただ、反感は抱きながらも、同時に何もやれっこないだろう、うるさい声は耳を塞いで入れば、やがては止む、という消極的な、この政権を支えているように思う。僕自身も「このままでは危い」という危機感より、「いいかげんに静かにしてくれないか」という気持ちの方が強いんだ。(124頁)

これは、第2次安倍内閣発足後半年も経たずして、同内閣の発足によって「崩壊の時代が始まった」と言ったのと同じ人とは思えない、根拠のない楽観論だったと言わざるを得ない。この山口二郎との対談の頃、安倍晋三集団的自衛権の政府解釈変更の閣議決定を行ったが(2014年7月)、その5か月後には衆議院解散総選挙を行って自民党が圧勝した。これで民意の支持を受けたとして、安倍晋三は今年安保法制の成立を強行させた。その過程でも、一時内閣支持率を大きく下げたが、今では元に戻っている。

その間の民意の変化を言ってみようか。たとえば今年8月の「安倍談話」。なんだ、もっと危なっかしい談話になると思ってたら、意外と穏健じゃないか。マスコミの宣伝は「狼少年」だったんだな。こう考えた有権者が、一時支持を取り止めていた内閣支持の立場に回帰した。また同じ図式は安保法制にも当てはまる。安保法制ができたらすぐにも戦争が始まるようなことをマスコミは言っていたが、なんだ、何も起きないじゃないか。じゃあ安倍さんに任せといて大丈夫だよな、少なくとも党内で大抗争をやらかした民主党みたいな真似するわけないもんな、といったあんばいだ。

だからこそ安保法案は絶対に成立させてはならなかったし、8月の「安倍談話」はそれが出された時に瞬時に強い批判を行わなければならなかったのだ*3

*1:言うまでもなく地方政党名は「おおさか維新の会」ではなく「大阪維新の会」だが、東京など大阪以外の人ばかりか、大阪の人でさえ間違えている例が少なくない。

*2:自由党立憲改進党など、自由民権運動の流れを汲み、藩閥政府に反対した政党のこと。=原書註を転記

*3:後者は朝日新聞が実行したが、私は朝日は安倍談話があのような内容になり、それを産経や渡部昇一ら極右文化人をすぐさま支持するという流れになることをあらかじめ知っていたのだと推測している。東京新聞はそれを知らなかったから、安倍談話を評価する社説を出してしまった。朝日は「腐っても鯛」で、今なおエスタブリッシュメントの一員として遇されている(言うまでもなくこれは皮肉である)。その表れが安倍談話批判の社説ではなかったか。一方、東京新聞中日新聞)はエスタブリッシュメント埒外にあるのだろう。