kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

釈由美子(解説・萩原浩司)『山の常識 釈問百答』(ヤマケイ新書)と「標高2000メートルの盲腸県境と危険すぎる県境」(西村まさゆき氏)を読む

8月26日から27日にかけて下記の本を読んでいた。軽登山ならぬ軽読書である。



NHK-BSの番組の司会をきっかけに「山ガール」(本人曰く「山ガールというには、もうおこがましい年齢」だそうだが=本書13頁より=)になったという俳優・釈由美子の質問に山岳雑誌編集者の萩原浩司氏が答える形式になっている。釈は、2013年8月に白山に登ったのをきっかけに、翌年には山岳雑誌編集者や山小屋支配人のサポートを受けながら日本第三番目の高峰・奥穂高岳に登った。目標は槍ヶ岳から穂高岳までの縦走だそうで、これをやるためには「大キレット(大切戸)」と呼ばれる、稜線が切れ落ちて、いったん稜線を急降下したあと再び急上昇しなければならない難所を通過しなければならない。もちろん一歩足を踏み外したら死ぬ恐れがあるし、事実この縦走路では毎年のように死者が出ている。だから、槍穂縦走なんて本気かよ、本格派じゃん、とのけぞってしまった。

その本の42〜43頁にこんなことが書かれている。なお、下記の引用部分はすべて萩原浩司氏の解説部分である。

(前略)山頂を含めて山の稜線部だけ、ほかの県を押しのけるように県境が延びているところがありますよ。
(中略)それは福島県です。福島、山形、新潟の境になっている飯豊連峰を地図で見てみてください。よく見ると、三国峠から飯豊本山、御西岳にかけての稜線部分だけ、福島県が延びていることがわかります。
(中略)飯豊本山の山頂の東側に飯豊山神社というのがあるでしょ。この神社が昔から福島県側の一の木村(現喜多方市)の土地であったという主張が認められ、その境内である山頂部も福島県ということになったのです。(後略)

釈由美子(解説=萩原浩司)『山の常識 釈問百答』(ヤマケイ新書)42-43頁)


私はこのことを知らなかった。

偶然というべきか、私がこの箇所を読んだのと同じ8月26日に、下記記事が公開され、評判をとっている。

標高2000メートルの盲腸県境と危険すぎる県境 :: デイリーポータルZ

詳しくはリンク先をお読みいただきたいが、著者は山岳ガイドに導かれながら、細長く延びる福島県領の稜線を歩いたそうだ。以下少し引用する。

平野さんの話によると、江戸時代このあたりはすべて会津藩領だったという。昔、会津の子供達は、14、5歳になると、飯豊山登山をし、御秘所という難所を越えられたら一人前の男と認められたという。


記事には「御秘所」の画像とともに「左右どちらに落ちても死亡する」とのキャプションがつけられている。

槍穂の「大キレット」の岩場と比較してどうなのかは両方とも行ったことがないのでわからないが、「御秘所」稜線の岩には鎖が取りつけられている。江戸時代には鎖なんかなかった可能性が高い。

再び記事から引用する。

飯豊山という山と会津は昔から切っても切れない縁があった。

幕末、戊辰戦争で新政府軍に敗北した会津藩を含む福島県は、明治維新後、福島市に県庁が置かれることとなった。ところが、福島市は広大な福島県の領土の中で、東に寄りすぎていた。

そのため、もともと会津藩領だった東蒲原郡が「県庁から遠すぎる」という理由で、新潟県編入されることとなった。

飯豊山東蒲原郡と一緒に新潟県編入されるはずだったのだが、これに、麓の一ノ木村(現在の喜多方市山都村)が猛反発する。

飯豊山は古来より山岳信仰の盛んな山で、飯豊山山頂付近には麓の一ノ木村にある飯豊山神社の奥の宮があるためだ。

その後、新潟県の実川村(現在の阿賀町)は、飯豊山は古来より越後の山だとして対立、結局、内務大臣の裁定により、飯豊山神社の参道は福島県の一ノ木村の領土だということになり、紛争はおさまり、細長い県境が残った。という経緯がある。

つまり、この細長い県境はすべて飯豊山神社奥の宮に通じる参道ということになるのだ。


なるほど、こちらの方がより詳しくて正確と思われる説明だ。

さて、釈由美子の「著書」に話を戻すと、「著者」(いちいち括弧付きですみません)は、山登りを通じて長年不仲だった父親と和解したのだそうだ。以下「あとがきにかえて」から引用する。

(前略)私にとって、山は、父そのものだったのです。成人して、家族旅行もなくなり、すれ違うことが多くなりました。私が仕事を始めてからは、家庭の事情で何度もケンカをし、父とは疎遠になりました。

 そんな犬猿の仲だった親子が、今や肩を並べて満足そうに、山頂で記念写真を撮る姿を誰が想像できたでしょうか。母は今でも信じられないと、いちばん喜んでいます。

(中略)

 私にとって山に登る目的は、「父を感じたいから」なのかもしれません。

 幼少のころ見ていた父の大きな背中が、今は少しくたびれて感じる時もあるけれど(笑)私にとって、変わらず偉大でたくましくて優しい父の背中を眩しく見つめながら、これからも一緒に山に登りに行きたいと思っています。

釈由美子(解説=萩原浩司)『山の常識 釈問百答』(ヤマケイ新書)227-229頁)


また、本文中にはこんなことも書かれている。

 雲ノ平! そこは父がテント泊で行きたいと言っている場所です。そのためにテントや寝袋もプレゼントしたんですよ。湿原があったりして、とってもいい場所のようですね。来年の夏は、父といっしょに、テント泊と温泉を楽しみに、そこに行ってみたいと思います。

釈由美子(解説=萩原浩司)『山の常識 釈問百答』(ヤマケイ新書)75頁)


読みながら、脳裏にちょっと引っかかるものがあったのだが、その時には気づかなかった。釈由美子はお父さんと雲ノ平に行けただろうかと思ってネット検索をかけて初めて、頭に引っかかっていたものが何であったかに気がついた。

釈さんのお父さんは今年1月10日に亡くなられていたのだった。昨年10月に肺腺癌がみつかり、闘病わずか3か月で逝ってしまったという。さらに、上に引用した「あとがきにかえて」が書かれた頃には、既にお父さんの癌がみつかり、余命宣告も受けていたという。

そういえば、釈さんがお父さんの死に号泣したという記事を読んだ記憶がかすかにあった。頭に引っかかっていたのはそれだったのだ。

しんみりしてしまった。これも偶然だが、この本を読んでいた8月26日は私の父の命日でもあるのだ。私の父は釈さんのお父さんとは全く違って、山にも海にも行かず、運動をしないばかりか多量の喫煙や飲酒など、不摂生ばかりしていたが、釈さんのお父さんはその私の父よりずっと若い66歳で亡くなられていた。

遅ればせながら釈由美子さんのお父さんのご冥福をお祈りする。

また、この文章は『@Nifty』の「デイリーポータルZ」の8月26日付記事「標高2000メートルの盲腸県境と危険すぎる県境」を読まなければ書くことはなかった。著者の西村まさゆき氏に感謝の意を表したい。