kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

ケネス・カンボン『ゲスト オブ ヒロヒト - 新潟俘虜収容所1941-1945』を読む 〜 カナダ人俘虜と『住んでみたドイツ8勝2敗で日本の勝ち』を書いた極右トンデモ人士・川口マーン惠美のとの永久に交わらない平行線

鬼怒川の決壊が「ソーラーパネル設置のせいだ」として、原発を推進する安倍晋三を盲信するネトウヨが噴き上がっている。下記は、「2ちゃんねる」に派遣法改悪のスレが立った途端、それを妨害するためにネトウヨが投稿したもの。

http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1441913647/2(一部リンクを省略)

ハケン】改正労働者派遣法が成立へ=受け入れ期間の制限撤廃−衆院時事通信©2ch.net

2 :名無しさん@1周年:2015/09/11(金) 04:34:15.98 ID:7k6OaQwX0
  【下等遺伝子朝鮮人ブサヨが必死に世論工作中w
  でも反日報道機関テロ朝報道ステーション」でさえ報道!w
  反原発が絶対命題でゴリ押しソーラー発電全力推進の
  極左テロリスト反日破壊活動組織民主党が引き起こした災害テロ犯罪だ!
  下等遺伝子朝鮮人ブサヨが喚けば喚くほど民主党が引き起こした「党災」の証明になるw】
  894 山師さん@トレード中 2015/09/10(木) 17:59:45.58 id:GmHRzvJT0
  2 :名無しさん@1周年:2015/09/10(木) 17:43:57.67 id:WKtMuRLd0
  ソーラー発電業者による人災です

  鬼怒川の左岸に自然に土が堆積して丘になり、自然の堤防の役割を果たしている部分があった
   ↓
  今年3月、ソーラーパネルが設置される事になり業者により自然堤防の丘が高さ2mも削られ平らに整地された
   ↓
  住民から「堤防がなくなって危ない」と役所に問い合わせ
   ↓
  民有地の工事なので役所は文句を言えず
   ↓
  ソーラー発電の業者は「建物じゃないから申請不要」と市に掘削許可をとらずに工事(法令的にはOK)
   ↓
  だが市は「住民が心配してるので少し土嚢を積ませて」と業者に相談し、業者も承諾して気持ちばかりの土嚢が積まれた
   ↓
  その場所が最初に越水(午前6:30)

  場所:https://goo.gl/maps/a8BXQ
  昨年の時点で行政が認識してたソース
  http://d.hatena.ne.jp/hyakubann/touch/20140725
  ソーラーパネルの会社
  http://www.solar-energy-i.co.jp

  決壊したのはここじゃないとほざくバカがいるが、そもそも堤防が業者に削られて無くなってるんだから決壊するわけない
  「堤防が壊れる」=「決壊」だからな
  ここが最初に越水したんだよ
  ここが越水しなければこの付近はこんなに水没してない(決壊したのはもう少し下流)

  ソース
  http://www.jma.go.jp/jp/flood/103.html
  09月10日06時30分
  常総市若宮戸地先(左岸)25.3k付近より越水(レベル5)←ソーラーパネル
  09月10日08時00分
  筑西市船玉(左岸)44.1k付近、筑西市伊佐山(川島橋)(左岸)45.9k付近より越水(レベル5)
  09月10日13時20分
  常総市新石下地先(左岸)21k付近より氾濫(レベル5)←決壊したとこ

  ・若宮戸付近の越水は人災
  ・船玉の越水、石下の決壊はおそらく自然災害

  太陽光発電等の自然エネルギー活用を推進したのは安倍自民党政権
  太陽光発電を言い訳にして自然堤防の破壊を認可していたのは極左テロリスト民主党政権

  事実は誤魔化せない
  堤防決壊は明白に「民主党による『党災』」


上記は極端な例だが、ネトウヨ安倍晋三自民党経産省・電力会社・電力総連(御用組合)などが総がかりとなって再生可能エネルギー批判に血道を上げているのは周知の通り。それを批判した「はてなダイアリー」の記事が下記。


ところで、この記事で書きたいのは実は再生可能エネルギー原発の話ではない。上記リンク先記事に、興味深いくだりを見つけたので、それを紹介したい。以下引用する。

http://b.hatena.ne.jp/deep_one/20150907#bookmark-265107079

再生可能エネルギーは不安定だから〜みたいな人は、この事実をどう受け止めるのか。』…単に安定させるためのバックアップとして火力発電所も増やしてるだけだが。http://gendai.ismedia.jp/articles/-/44833/蓄電技術待ち。


あのね、川口マーン恵美などそもそもエネルギーの専門家でもないし、評価に値しないから。

ドイツも騙された慰安婦報道の虚偽

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41563

8月20日付の古森義久氏の「朝日新聞慰安婦虚報は日本にどれだけの実害を与えたのか」は、涙が出るほど素晴らしい、まさに玉稿だった。

だから、大学で日本学と東アジア問題を専攻した長女は、「ママ、それはあまり外では言わない方がいいわよ」と忠告してくれた。確かに、ドイツで右翼と思われるほど厄介なことはない。

この際ついでに言わせてもらえば、彼女が大学の講義で使っていた教材は、信条的には朝日新聞のそれに合致するものであった。学究の場は、ドイツも日本も左寄りなのである。実の娘を納得させることさえ、私はできなかった。


『住んでみたドイツ8勝2敗で日本の勝ち』という「日本スゴイ」本の著者・川口マーン惠美は、やはりというべきか、再生可能エネルギーをこき下ろし、池田信夫(ノビー)に心酔し、歴史修正主義に走る極右人士だった。『住んでみた〜』は本屋でよく見かける新書本だが、タイトルだけでげんなりして中身を確かめる気にもならなかった。なので、本屋に平積みしてあるのはもう数え切れないくらい見かけたが、中身は全然知らなかったのだった。だから、川口が予想通りの極右人士であったことを確認できただけでもありがたかった。

しかし、世の中には川口のトンデモ本を読んで説得されていた「リベラル」がいた。そう、あの人*1である。

https://twitter.com/tkt058/status/589503221086887936http://ranmaspirit0518.blog82.fc2.com/blog-entry-1581.html 経由)

SPIRIT(スピリット)
@tkt058

幸いこっちにも、 #川口マーン惠美 氏の『#住んでみたドイツ8勝2敗で日本の勝ち』があるし。改めてじっくり読んでいこうと思う。
#減点法 #本 #マスターベーション #日..「早川タダノリ氏連載「日本スゴイ自画自賛の系譜」」 http://togetter.com/li/805373#c1865770

11:58 - 2015年4月18日


上記Twitterは下記に始まるTwitter連打の4番目に当たる。

https://twitter.com/tkt058/status/589501744905728001

SPIRIT(スピリット)
@tkt058

日本礼賛本は、細かな点はともかく、(多分これは本次第)『日本のいいところ』を見つけようとする姿勢は評価したいというのが僕の持論。(もちろんヘイト本は論外だとしても)
#本..「早川タダノリ氏連載「日本スゴイ自画自賛の系譜」」 http://togetter.com/li/805373#c1865763

11:52 - 2015年4月18日


再生可能エネルギーをこき下ろして池田信夫(ノビー)に心酔し、歴史修正主義に走る川口の『住んでみたドイツ8勝2敗で日本の勝ち』は、実質的な「ヘイト本」に違いあるまいと私は推測し、得意の「読まずに批判する」行為を行う次第。

川口マーン惠美トンデモ本など立ち読みすらしない私が今日読み終えようとしているのは、2週間前に図書館で見つけた下記の本である。著者は、日本軍に捉えられたスコットランド系カナダ軍(英連邦軍)俘虜だった、医師のケネス・カンボンである。この本は、さしずめ川口マーン惠美や上記の「リベラル」に言わせれば、「日本ヒドイ」本に属するであろうことは明白である。


ゲスト オブ ヒロヒト―新潟俘虜収容所1941‐1945

ゲスト オブ ヒロヒト―新潟俘虜収容所1941‐1945


以下、本書の「エピローグ」から引用する。この本は1990年に書かれたが(日本語版は1995年出版)、下記は1985年に著者が来日した時の感想である。

 兼六園訪問を終え、広島に着いた。原爆落下の中心地近くに造園された平和公園の美しさをもってしても、広島そのものから受ける感動を消し去ることはできない。写真と遺品が展示されていてる原爆資料館は、人類に対する恐ろしい警告というべきであろう。私は「エノラゲイ」に発せられた米軍の命令書を読んで、とくに興味を引かれたことがある。そこには「広島が曇天の場合は、新潟に向かえ」とあった(著者は新潟の俘虜収容所に収容されていた=引用者註)。
 アイリーン(著者の妻=引用者註)は「原爆を使用したのは恥ずかしいことだ」と言っていた。私の反応はもう少し複雑なものだ。なぜなら、原爆抜きにして、日本にいた私やその他大勢の俘虜たちばかりか、何百万という日本人も、そして連合国の兵隊たちも生き残ることはできなかったという思いがあるからである。
 それにつけても戦争終結直前(一九四五年夏)に発せられた寺内元帥の命令書を思い出さずにはいられない。
「敵軍の本州上陸と同時に、俘虜全員を射殺せよ」
 これが実際に計画されていたことに疑いの余地はない。われわれが収容所の前に掘った巨大な穴は、防空壕として準備されたものではなく本当はわれわれ俘虜の墓穴だったのである。
 さらにいうならば、終戦四十周年に関するマスコミの取り上げ方には失望を禁じ得ない。日本のマスコミはもっぱら広島と長崎の原爆の恐ろしさに焦点を合わせていただけだ。広島と長崎を合わせたよりもっと多くの人が、理由もなく殺されたりレイプされた南京の虐殺事件にはまったく触れていない。戦争俘虜についてはもちろんのこと、占領地の一般市民に対する日本軍の蛮行に関する記事を目にすることもついぞなかった。中国では二千万人の無辜の民が日本軍によって殺害されたと見積もられている。「大東亜共栄圏」の陰で、これほど多くの人が……。広島で見かけたスローガンを繰り返してみよう。そこには「許すとは、忘れることではない」とあった。
 トルーマン大統領の原爆使用の決断については、今までも多くの批判があった。こういう批判はえてして戦争に直接かかわらなかった連中から出るものだ。私の言う直接とは実際に第一線で戦い、命の危険を冒すということである。
 かかる空理空論(と私は思う)は、人道主義や平和主義の論点に立つ論者の華麗な文体としてはすばらしくとも、「いのち」の実感に乏しい。日本人の国土防衛にかける準備のすさまじさを私は膚で感じこの目で見ている。
 たしかに日本側でも、理性的な指導者たちが和平の企てを追求していたことは事実だが、実権はまだ軍に握られていた。降伏が決定した時でさえ、軍のなかにはそれを阻止しようとする強硬な反対分子がいたのだ。あの恐ろしい原子力の実演を抜きにしては、日本軍はおろか多くの市民すら降伏を受け入れなかったのではなかろうか。


 反核デモと広島平和行進の日々は、私にとっては、見ていて快い光景とは思えなかった。私が、それとは違うドラムの音に合わせて行進する若い兵隊として身につけた、ずっとむかしの習癖を今でも心のどこかで引きずっているからだろうか。
 そうはいうが、核武装ばかりかすべての種類の軍備撤廃に、私がつねに強く賛成していることをはっきりさせておかなければならない。もし、私がこのような気性の人間でなければ平和主義者になっていたと思う。


 東京へ戻ってから靖国神社を訪ねた。幸い、ホテルからも近い。軍国時代に戦場で命を落としたすべての日本兵のための壮大なモニュメントである。私は神社の本殿に上がりささやかな賽銭を投げた。俘虜として、何年も前にもっと多くの地味な貢献をしたことを胸に秘めながら。
 ちょうどそのとき、日本の首相(中曽根康弘=引用者註)が戦後初めてとはいえ靖国神社公式参拝したことを、中国の通信社が酷評していた。レーガン大統領がドイツで戦没者の墓地を参詣したことに対する非難に賛成できないように、中国の態度にはとうてい理解できない。自分たちの国のために死んでいった兵士に敬意を払うのは、ファシズムイデオロギーを容認することとは関係ないのである。それより、尊い若人の生命を無駄に失わせたという許されざる行為にもっと注意を払うべきではないだろうか。

(ケネス・カンボン著(森正昭訳)『ゲスト オブ ヒロヒト - 新潟俘虜収容所1941-1945』(築地書館,1995)193-196頁)


いうまでもないが、私はアメリカの原爆投下や靖国神社に関する著者の意見には反対である。アメリカの原爆投下は、連合国の軍や国民の命を救うためではなく、ソ連との軍拡競争において優位に立つために行われた、人類史上もっとも許し難い戦争犯罪であって、その罪の重さは、ナチスドイツやスターリン毛沢東や、それに何よりも日本軍国主義者たち(昭和天皇を含む)に匹敵すると私は考えている。また靖国神社を擁護する著者の感覚は全く理解不能である。

しかし、著者は戦争や俘虜の体験を通じて、日本軍に斬られたり撃たれたりして殺され、あるいは収容所で虐待されたあげくに命を落とし、運良く生き残った場合でさえも精神を病んで社会復帰できなかった戦友を多く持つ連合国の元軍人である。上記の感想は連合国側の人間にとってある意味典型的なものであるといえるかもしれない。

その人たちと対するのに、何やら「『日本のいいところ』を見つけようとする姿勢」を持っていると「リベラル」氏が認識しているらしい「川口マーン惠美」なる極右人士の著書を読んで説得されているようでどうする、と言いたいのである。どう考えても、両者は永久に交わることのない平行線ではないか。「川口マーン惠美」の思考からは、まっとうな歴史認識がはなはだしく欠落している。

「リベラル」がこのていたらくなら、近い将来、日本は再び国際的に孤立するのではないかと憂慮してやまない今日この頃なのである。