kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「アベノミクス、核心は民間需要の不足」by マーティン・ウルフFT紙主筆(1/12, 日経FT共同特集)

タイトルにこの日記のNGワード(なんとかノミクス)が含まれるが、元記事のタイトルだから仕方がない。

標記は10日以上前の記事だが(今まで気づかなかった)、「日経FT共同特集」に載ったマーティン・ウルフ氏(フィナンシャル・タイムズ紙チーフ・エコノミクス・コメンテイター、つまりFT紙の主筆)の当該コラムは面白い。

コラムの引用の前に断っておくが、コラムの著者であるマーティン・ウルフは、その肩書きから想像がつく通り、特にリベラルなエコノミストでもなんでもない。むしろかつては強力なグローバリズム推進派の論客だった。

たとえば、ネット検索で下記の「アマゾンカスタマーレビュー」が引っかかった。昨年(2015年)、早川書房から発売されたウルフの著書『シフト&ショック──次なる金融危機をいかに防ぐか』の書評だ。当該の本は、スティグリッツクルーグマンからの賛辞も受けているらしい。以下カスタマーレビューを引用する。

経済観をアップデートせよ!(2015年5月2日)より

★★★★★ 経済観をアップデートせよ!, 2015/5/2
投稿者 考え込む人
レビュー対象商品: シフト&ショック──次なる金融危機をいかに防ぐか (単行本)

マーティン・ウルフは、長い間フィナンシャル・タイムズ紙の主筆にある人であり、経済ジャーナリストではおそらく世界一の評価を持った人物である。

(中略)

内容であるが、上記の議論動向を追ってきた者にとっては、ウルフの所論は意外でも何でもない。市場の流動性は、いちばん求められているときには消え去る。企業部門の貯蓄過剰は同時に投資先の不足であり、行き先のないマネーは不動産市場や新興国に向かいグローバル・インバラス問題、つまりは金融バブルとその崩壊を引き起こす。企業部門の貯蓄過剰はまた、政府債務の拡大の原因にもなっている。ファーマの効率的市場仮説やジェンセンのROE経営論は世界を誤らせた。1980年代以降に方向として定着した自由化、税制、ボーナス文化、ストック・オプションといった道具立ては、危機をむしろ拡大するものだった。金融工学の発展はリスクを解消するどころか、みんなで同時に同じリスクを抱え込ませ、何も知らない人をだまして彼らの上にリスクを移転させた。富めるもののインナー・サークルが政治や学問を差配した結果、富の集中は益々進み、他方に失業と貧困という社会的不公正を生んでいる。清算主義的政策は罪のないひとを苦しめる不公正なもので、緊縮財政も同様である。選挙権を持たず、説明責任もない債権国政府やグローバル官僚、投資家たちが、危機を勝手に起こし、その解決方法を選ぶ力を持っている。現在は民主主義と資本主義の正統性の危機である。グローバル化の便益は大きいが、付随する問題が大きい場合は、後戻りも必要である。今回の危機を進めた真犯人はのうのうとしているが、罰せられるべき人は罰するべきである。

この内容で「あの」フィナンシャル・タイムズ主筆である「あの」マーティン・ウルフが本を出したことにインパクトがある。フィナンシャル・タイムズは長らく、そして今もロンドンのシティの金融業界の利害の代弁者である。その主筆ウルフは、政治的リベラルで知られるノーベル賞経済学者のスティグリッツクルーグマンなどと異なり、そういったバイアスがないという信用がある。ウルフは1970年代以来の英米グローバル化、金融自由化、規制緩和など新自由主義政策の強い支持者であった。邦訳もされた『徹底討論 グローバリゼーション賛成/反対』では、反グローバル化論者のスーザン・ジョージに対し、グローバル化の弁護を行っている(どうでもいいがamazon書評でウルフ側に立ってスーザン・ジョージを盛大にクサした山形浩生氏がピケティ翻訳をものしたのもさらに隔世感を高める。ウルフは本書でジョージに何も言及していないが、同書をもう一度見てみたら、ウルフはジョージにかなり折れていることが分かる)。ウルフは保守本流をずっと歩んでおり、反権力志向のリベラルから、もっとも遠い一人である。本書のスタンスも、あくまで世論主流を作り出すエリートの一員として仲間に呼びかける形であり、反権力とはおよそ程遠い。

この本は、アメリカ発の世界金融危機と、ヨーロッパ発のヨーロッパ債務危機を主に扱う。個人的に大いに頷けたのは、国際収支のグローバル・インバランス問題を取り上げ、ヨーロッパ債務危機におけるドイツの振る舞いをきちんと責めている点である。ドイツには、ユーロから為替の便益を受けるほぼ唯一の国で、本来ならば便益に付随した相応のコストを負担してしかるべきなのだが、それに知らんぷりして他国に清算主義を強いるズルさがある。国際金融のトリレンマ論などの道理が分かっていれば、ドイツのおかしさは見えようものだが、事柄の複雑さゆえか、わが国ではドイツ側に立ってギリシャを責める意見が多く、あまつさえドイツの公的負債解消を褒めて日本をけなす向きすらある。とんでもない。ユーロ誕生以前のドイツは、輸出産業の弱い競争力と政府債務に苦しむグチャグチャの状況だった。ユーロという安い貨幣を手に入れた途端、他のユーロ諸国の近隣窮乏化と引き換えに輸出拡大を行うドーピング国家に変貌し、経常黒字を貯めこんだ今では自国の財政健全化を達成する一方、他国には不況と失業と財政赤字を輸出し、世界経済を不安定にする主原因になっている。この点は、日本における類書での言及が相対的に少ない内容で、誰かちゃんと書いてくれないかと待ち望んでいた。

かつてケインズは、著書『雇用・利子・貨幣における一般理論』において、誰もかれもが、若い時分に接した経済学者や政治哲学者の奴隷のまま生涯を終えるのであり、25歳から35歳より後に新しい理論の影響を受ける人はほとんどいない、と書いた。これは全くそのとおりである。職業柄、政府のレポートをよく見るが、あるとき資料データがこちらが認識する事実と食い違うので驚きとともに主張元を確かめたところ、2007年以前からのみデータをとって、2014年の政策方針が正当化されていた。驚いたことに、都合よく既にはじけたバブル期のデータだけを引っ張り出して、古い方針の堅持する議論をしていたのだ。いくらなんでもひどい例だが、これに限らず、日本で政策に関わる人間の大勢は、2008年以降に変わった経済常識をアップデートできていない。

ウルフによれば、日本の状況はむしろ、欧米に先行するもので、ウルフの処方箋もまた、そのまま日本にも活きる。しかし、本書の観点からしてみると、現状の日本の政策方向は、企業に貯蓄を積み上げることで所得格差とグローバル・インバランス問題、さらに公的債務の拡大を促進し、金融工学応用を進めることで政府事業の市場化や清算主義化を進めるものであり、ウルフの新たな提言と、結果的にほぼ真逆の方向を行きつつある。実のところ、いまや世界で日本だけが、2007年以前の新自由主義イデオロギーを堅持しているともいえる。

象徴的なのは、日本で安倍政権で重用されている経済学者の多く、たとえば竹中平蔵氏、伊藤元重氏、土居健朗氏などである。彼らは、海外における近年の議論状況を丸っきり無視しているようで、今でもかつての小泉改革の路線に沿った提言しかしていない。十年一日、失敗続きなのに改める気配が全く、いまだに「改革が足りない」と繰り返すのみである。彼らばかりを責めるわけにもいかない。その背後には、若いころに培った知識を経済危機後のものにアップデートしようとしない、政治家や官僚、財界、メディアの怠惰な姿勢がある。目の前のことで精いっぱいで、勉強や思考の時間がとれないのだろうか。

60歳を超えたかつてのグローバル化の闘士ウルフが、新たな時代状況で認識を変えたことには、感嘆の念を覚える。ケインズのいうとおり、25歳から35歳より後に新しい理論の影響を受けることは、ほんらい難しい。この点についてウルフは、遥か昔オックスフォード時代から、シュンペーターハイエクなど市場均衡に懐疑的なオーストリア学派からの知的影響を受けていることに言及しつつ、最近とみに「ケインズの研究への強い関心と畏敬の念が揺り起こされた」と書いている。畏敬の念とは面白い表現である。ケインズに対してはおそらく、釈迦の掌のうえにいた孫悟空のような気持ちを感じたのだろう。

こう考えると、本書の内容は新しいと同時に古くもある。2007年以前にもバジョットやケインズガルブレイスミンスキーなど、危機が起きるメカニズムを知り、警告をした人々はいたし、その気になれば意見を容れることもできた。しかし、学者も金融業界も政府も、それらの知見を、あたかも存在しないかのように無視していた。本書の内容は新しい文献に軽薄に飛びついて出した結論ではなく、ブームでおかしくなっていた頭を、また正気に戻そうというだけなのである。つまり、時代のテストをクリアできた経済学だけを残し、その枠内で結論を出し直したのだ(もちろん、経済学には最低限、方法論的な進歩があり、より複雑で精密な知見となるので、完全に古い結論の繰り返しではない)。単なる思いつきや流行で考えを変えたのではなく、あとしばらく、あっさり別の正論に置き換わったりはしないだろう。

本書はリベラルでもサヨクでもない、フィナンシャルタイムズ主筆の警告である。ウルフ自身の価値観は、これまでと一切変わってないという。変わったのは、経済に対する考え方だという。30年前の解決策は、今では問題へと姿を変えた。危機が発生すれば、エリート層に対する信任が失われる。一般人は自分たちの繁栄と引き換えに、エリート層の権力、特権、繁栄を受け入れる。だから、危機が一般人を犠牲にする一方、エリートが肥え太ったりすると、エリートの信任が失われる。今回の危機は、エリートが強欲かつ無能と烙印を押された出来事であった。だからエリートに呼びかける。掛かっているのは我々の民主主義の正統性であり、資本主義経済の公平感と持続性である。しっかり誠実に対処しなければ、君たちの正統性が失われるのだ、と。

(後略)

つまりウルフは2009年の世界金融危機を経て自らの経済観をアップデートした「かつてのグローバル化の闘士」ということらしい。

そのウルフの「日経FT共同特集」のコラムを、以下コメントを挿みながら引用する。

アベノミクス、核心は民間需要の不足 :日本経済新聞 より

アベノミクス、核心は民間需要の不足
FTチーフ・エコノミクス・コメンテイター マーティン・ウルフ
2016/1/12 2:00

 2012年12月から日本の首相を務めている安倍晋三氏の名にちなみ「アベノミクス」として知られる政策は、日本経済の再活性化を図る大胆な試みだった。そのアベノミクスには3本の「矢」がある。財政政策、金融政策、成長戦略だ。この3本の矢は、安倍氏が約束した再生をもたらすのか。残念ながら、それはありそうにない。

 3本の矢のうち、最も強く放たれたのは金融政策だ。日本銀行は13年4月に開始した量的・質的金融緩和の下、同年第1四半期末時点で国内総生産(GDP)比34%の規模だったバランスシートを2年半で同73%にまで拡大した。GDP比でみた場合、日銀のバランスシートは米連邦準備理事会(FRB)、欧州中央銀行(ECB)、イングランド銀行を大きく上回っている。

 しかし、財政政策の矢は放たれていない。国際通貨基金IMF)によると、13年の日本の財政拡大は景気循環要因調整後でGDPの0.4%に過ぎない。同調整後の財政赤字は14年、同年春の消費税率5%から8%への引き上げという誤った政策を主因としてGDP比1.3%減少している。15年も同様の緊縮となる見通しだ。

「きまぐれな日々」のコメント欄に、安倍政権(自民党)も野党もケインジアン政策だから選挙で経済問題は争点にならないと書いたコメンテーターがいたが、ウルフは「財政政策の矢は放たれていない」、「15年も同様の緊縮となる見通しだ」と書いている。ケインジアンどころか反ケインズ的政策といえる。ところが、その安倍政権の反ケインジアン政策さえをも、経済軸上のさらなる右側から批判するのが、民主党であり維新の党であり朝日新聞であり古舘伊知郎なのだ。このあたりに日本の経済論議のどうしようもなさがある。

引用を続ける。

 そして3本目の矢、構造改革はごく控えめにとどまっている。政府は農協改革を行った。米国主導の環太平洋経済連携協定(TPP)で自由化にも応じた。エネルギーと税制の改革でも中程度の前進は果たした。しかし、女性の機会拡大は遅々としている。移民の受け入れ拡大はおおむねタブーのままだ。労働市場正規雇用と非正規雇用の格差が定着し、二極化したままになっている。

この段落の前半あたりに、「かつてのグローバル化の闘士」としてのウルフの顔を覗かせているといったところか。しかし、女性の機会拡大云々以降の、段落の後半は正論だ。

 これまでのところの結果はどうなのか。インフレ率に関しては、日本は小幅に前進した。15年11月までの1年間の物価上昇率(食料品、アルコール飲料、エネルギーを除く)は0.9%と依然、目標の2%を大きく下回っている。生産活動に関しても結果は期待外れだ。15年第3四半期までの1年間に実質GDPは1.7%増えた。しかし、安倍氏が首相に就任した12年末から15年第3四半期までの間に、日本経済は実質ベースで2.4%しか成長していない。実質GDPは08年第1四半期と同等の水準にすぎない。

 根本的な疑問は、日本経済を苦しめているものをアベノミクスが正しく特定しているかどうかだ。

 労働市場はすばらしい状態にある。失業率は3%台前半とどまっている。労働力が減っていることを考慮すれば、経済成長率も悪くはない。我々の分析によれば労働者1人当たりGDPの成長率は2000〜10年の年率1.5%から10〜15年の同2%に上昇している。どちらの数字も高所得国の最上位にある主要7カ国(G7)中の最高だ。

 IMFによると、購買力平価ベースで14年の日本の1人当たりGDPは米国の水準の69%にすぎず、G7の中で下にはイタリアしかいない。抜本的改革が成長加速につながる可能性はある。しかし、労働者1人当たりGDPで日本が1.5%前後を超える年間成長率を持続するだけでも並々ならぬことだ。その場合でもなお、大規模な移民受け入れなしでは年間成長率は1%にとどまり、思い描いている2%を大きく下回ることになる。日本銀行によると、現在の潜在成長率は0.5%にすぎない。

■デフレ拭いきれず

 となると、日本の問題は供給ではない――あるいは、もしそうだとしても根因は労働力の減少だ。真の問題は民間需要の弱さにある。その表れが民間部門の巨額の資金余剰、すなわち民間投資に対する民間貯蓄の超過だ。この超過は1990年代半ば以降、GDP比5〜14%の範囲で推移している。

 人口が減少している国は、家計の最大の投資である住宅の新設を必要としない。したがって驚くまでもなく、家計の投資は1990年代初めのGDP比7%から現在は同4%にまで低下している。この家計投資の減少が家計貯蓄率の低下を相殺してきた。その結果が家計の資金余剰の継続だ。

 企業部門の資金余剰はさらに大きい。そのGDP比は2001〜13年の平均で7%、ピークの09年と10年には9%に及んだ。この企業の資金余剰は内部留保の強さによるもので、2000年代初頭以降の平均で国民所得の22%に達している。一方、企業の総投資は緩やかな下降線をたどり、同じ期間の平均でGDP比14%となっている。しかし、それでも投資率は他のG7諸国を大きく上回る。

 それに相対する借り手は政府だ。公的債務は1990年のGDP比67%から2015年の同246%へと急増し、純債務のGDP比は13%から126%へ上昇した。それでもなお、赤字財政の継続と超低金利にもかかわらず緩やかなデフレを拭いきれていない。

 日銀による低利国債の買い入れが民間部門の巨額の資金余剰の解消につながることは、およそ考えにくい。

内部留保を賃金と税へ

 では、どうすべきなのか。まず1つの選択肢は、現状の大幅な赤字財政と日銀の国債買い入れを継続し、民間部門の余剰資金が早々に消えるのを期待することだ。しかし残念ながら、そうなる可能性はおよそ乏しい。たとえそうなったとしても、財政赤字を安全になくすことができない。この政策は、財政赤字の恒常的なマネタイゼーション中央銀行が政府の発行する国債を引き受けて財政赤字を穴埋めすること)に行き着く結果になる。

 2つ目の選択肢は、政策が実際にマネタイゼーションであるということを認めることだ。日銀は財政ファイナンス、つまり家計への移転について政府に同意するだろう。その意思はインフレ目標の達成まで続く。さらに加えて、公的部門の債務に覆われた日本では、債務負担の軽減を見据えて、より高いインフレ目標を再設定することもできる。

 3つ目の選択肢は、厳格な緊縮財政だ。民間部門が国家財政の健全化を認識して過剰な貯蓄を減らすことになる、という論理だ。しかし、日本では極めて現実味が薄いようにみえる。むしろ深い景気後退に行き着く可能性のほうがはるかに高い。

岡田克也朝日新聞がご執心なのはこの「3つめの選択肢」であることは言うまでもない。

 4つ目の選択肢は、経常収支の黒字拡大を通じて過剰な貯蓄を輸出することだ。これは、まさしくドイツがしたことだ。安倍氏の首相就任以降、実質実効為替レートは約30%の円安に振れている。この策だと、日銀が外国債券の買い入れで貢献できる。あるいは、政府が日本国債を売却して得た資金で政府系ファンドを設立するという手もある。しかし、十分な規模で行われた場合、このような政策は世界の不均衡の悪化も引き起こす。そうなると国外で不興を買うことになる。

これはウルフが強く批判する選択肢であることは、最初に引用したカスタマーレビューで見た通りだが、ドイツを絶賛してギリシャをこき下ろすのもまた、朝日新聞毎日新聞やTBSやテレビ朝日などが強く好むところだ。

で、ウルフが推奨するのは下記の「5つ目の選択肢」だ。

 5つ目の選択肢は、民間部門の慢性的な貯蓄過剰に真正面から切り込むことだ。そのためにはまず、日本が貯蓄をしすぎていることを認識しなければならない。したがって、消費増税はなすべきことの真逆になる。日本企業の過剰な内部留保を賃金と税に移していくことが、最終的に構造的な貯蓄過剰の解消につながる。たとえば、減価償却引当金を大幅に減らすという方法がある。コーポレートガバナンス企業統治)改革も企業収益の分配の拡大につながりうる。さらにもう1つの可能性として賃上げがある。

 要するに「供給でなく需要が重要なのだ、愚か者」ということだ。民間、特に企業部門の構造的な貯蓄過剰が政府を赤字財政に向かわせて債務が膨らんでいる。アベノミクスは、この根底にある現実を認識していない。日本は民間の余剰資金を輸出するか除去するか、いずれかの方法で余剰を相殺しなければならない。これこそが最大の課題だ。

 最初のステップは核心にある問題、すなわち民間需要の不足という問題を認識することだ。そうして初めて、解決が可能になる。

(c) The Financial Times Limited 2016. All Rights Reserved. The Nikkei Inc. is solely responsible for providing this translated content and The Financial Times Limited does not accept any liability for the accuracy or quality of the translation.


このコラムについた「はてなブックマーク」から「人気コメント」(10件)を引用する。

Gl17 アベノミクスの基本方針がデフレ強化の強力エンジンであるという論証。個人の消費能力を削って法人利益へ、て基本は「失われた20年」元凶の旧来自民から何一つブレてないからね。

todo987654321 日経新聞はこの記事を百万回読むこと

terazzo つまり消費減税だよ、愚か者>したがって、消費増税はなすべきことの真逆になる。

inumash 「日本企業の過剰な内部留保を賃金と税に移していくこと」これ主張すると「内部留保の大半が設備や建物になっているから換金は無理」と反論が来るが、実はその多くが有価証券等の金融資産になってるという指摘も。

el-condor 結局ここに尽きるよね<内部留保を賃金と税へ/つまるところ、外形標準課税なんぞ止めて法人増税さっさとやれ、という理解でよいのかな。

jungle 需要不足なのに需要側からさらに絞りとることしか考えず供給側ばっかり優遇してる政権。

blueboy 安倍首相 「わかりました。では、法人税減税をします」 → 全然わかってない。

moegi_yg だから消費を増やすため消費税を下げるべき。やるべき事と真逆の事をして、景気が良くなるなんて魔法があるわけ無いんだよ。

arrack サプライサイド経済学の呪縛はいつまで続くんだろうか。

sewerrat デフレの原因は需要不足であって供給(企業)側にはない。そして需要なんて貧困者や子育て家庭のポケットに金を突っ込めばあっという間に生まれる。話は簡単なんだよ。


問題は、「かつてのグローバル化の闘士」からさえも経済軸上の左側から批判を受ける、世界的に見れば「経済右派」的としか言いようのない安倍政権の経済政策を、経済軸上のさらなる右側から批判するのが、民主党であり維新の党であり朝日新聞であり毎日新聞であり古舘伊知郎であるという絶望的な事実だ。

敵が「さらなる経済極右」であるなら、そんなトンデモな敵は安倍晋三にとって何の脅威にもならない。だからこそ、今国会で安倍晋三は2017年(もう来年だよ)の消費税増税の延期を検討することを匂わせる発言すらせず、それどころか公明党と結託して(昨年秋には安倍晋三が「裁定」の猿芝居までやらかして)新聞社をも手なずけて軽減税率の話を決めた。新聞社はどこも(朝日も毎日も読売も産経も、もちろん日経も)消費税増税大賛成で、しかも軽減税率のおこぼれにもあずかるのだから、そりゃ安倍晋三の「すし仲間」にでもなってうまい酒が飲めようというものだ。仮に、今後消費税増税の再延期に迫られる情勢になったとしても、それを民主党安倍晋三よりも先に言い出すことは絶対にあり得ない。なんとなれば、民主党の代表は財政再建原理主義者の岡田克也だからだ。なんたる閉塞状況。

ため息しか出てこない今日この頃なのである。