kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

一般市民には「いかなる政治家をも批判する」在野精神が求められる

定期的に下記のコメントを書くような頭の悪い人間が現れるので、ここで私の基本方針を明らかにしておく。

きまぐれな日々 「共産党の国会開会式出席」に物言えぬ「政権批判者」たち(2016年1月18日)のコメント欄より。

http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1423.html#comment19279

kojitakenはどの政党を支持しているのか、またどの政治家を支持しているのか明示せよ。

2016.01.23 00:45 一般

前々から書いているように私は支持政党なしの無党派層の人間だ。以前にも書いたと思うが、かつての日本社会党のような政党を(同党がかつて抱えていた問題点をクリアしてという必要条件はあるが)再興する必要があると考えている。「きまぐれな日々」の記事に関連していえば、私は「民主集中制」を認めないので日本共産党を支持することはないし、かといって財政極右の保守政党としか言いようのない民主党や、小沢一郎衛星政党に成り下がったあげくにいまや「絶滅危惧種」の社民党なんかは論外だ。

それから政治家に対するスタンスだが、一般論として国会議員(地方議会の議員もそうだが)は権力者であり、一般市民とは非対称的な関係にあるのだから、権力の行使を受ける側にいるわれわれ一般市民には、いかなる政治家に対しても批判をする在野精神が求められるというのが私の持論だ。一般にはジャーナリズムに本来求められる、などとされる「権力のチェック機能」を、ジャーナリストならぬ一般市民であっても、誰しも持たなければならないと考えている。

上記「一般」と名乗る人物は、もしかしたら「小沢信者」か、さもなくば特定の政治家または特定の政党に「帰依」してしまっている人間に違いないと私は想像するのだけれど、もしそうであったなら、そういうあり方こそ「立憲主義」に反する「人治主義」にほかならない。

「きまぐれな日々」の上記記事のコメント欄に、共産党民主集中制立憲主義に反する人治主義だという指摘があったけれども、それこそ水島朝穂氏が「マルクス主義法学」の問題点として指摘していたことだ。水島氏によると「マルクス主義法学」は立憲主義を認めない。確かに民主集中制とは人治主義だ。いつの頃からか「立憲主義」を党是にしたらしい共産党が、「民主集中制」をいつまでも保ち続けているのは大問題であって、「国民連合政府」を言うようになってからの共産党のあっという間の急激な右傾化は、人治主義の問題点を露呈したものだ。

同じ欠陥を共産党よりもっとひどい形で示しているのが「小沢信者」であって、信者の頭の中にあるのは「民主集中制」ならぬ「小沢集中制」といえる。人治主義者の極北ともいえる「小沢信者」こそ「立憲主義の敵」の最たるものだ。

こうやって親切に書いてやっても、「一般」と称する頭の悪い人間には理解できず、何か月か後にはまた同じようなことを書いて寄越すんだろうけどね。