kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

参院選で山本党が伸びた理由と共産・立民両党がなすべきこと

 今回の参院選で、山本党(元号党。この政党は一刻も早く党名から元号を外すべきだと思う)が票を集めた理由はあまりにも明らかだ。

 かつての自民党は「国民政党」などといわれていたが、現在ではあからさまなエスタブリッシュメント層のための「階級政党」だ。デヴィッド・ハーヴェイの定義に従えば*1自民党は明白な「新自由主義政党」でもある。

 一方、野党第一党立憲民主党と、同党と同じルーツを持つ国民民主党は、中間層を主な支持基盤とする政党だ。これら旧民主党系政党には、ことに「団塊の世代」からの支持が多い。旧民主系は、高度成長時代の恩恵を受けた中間層に支えられた政党であるともいえる。

 しかし、近年の格差の拡大、もっとはっきりいえば「階級社会化」は、旧民主党系の支持層からはみ出す人々を多く生み出した。旧民主党系の政党は、もはやこれらの人々のニーズを満たす政党ではなくなってきた。2000年代にはまだ現在ほど階級社会化が進んでいなかったことと、小沢一郎に対するカリスマ渇望の2つの要因が相俟って民主党への政権交代が実現したが、それも民主党政権が成果をあげられなかったばかりか小沢・反小沢双方が醜い党内抗争に明け暮れたために、人々から見放された。

 自民党は中間層から「下」の階級に落ちた人々、あるいは最初から「下」の階級にいる人々のニーズを満たす政党では全くないが、衰退社会においては過去の栄光にすがる人々が多く発生するという人間社会の習性を利用して権力を維持し続けている。

 しかし、そのような自民党に幻想を抱く人々ばかりではない。自民党の正体を見抜いている人々は多いが、かといって、たとえば派遣労働者など、橋本健二がいうところの「アンダークラス」の人々は、旧民主系からももはや疎外されている。

 前記橋本氏の『新・日本の階級社会』(講談社現代新書,2018)では確か、アンダークラスのニーズを満たす政党の候補として立憲民主党の名前が挙げられていたと思うが、一昨年の衆院選後の立民はそのような方向には必ずしも進まなかった。それは、今も生き残っている中間層が占める同党のコアな支持層がそういう方向性を望んでおらず、その方向性へと党が進むことを阻止する強い圧力をかけているからだ(要するに旧民主党系の支持層にはネオリベ志向が強いという意味)と私は考えているが、橋本氏もその後に出した『アンダークラス - 新たな下層階級の出現』(ちくま新書,2018)ではもはや立憲民主党への期待は書かなくなった。

 上記のような、自民からも旧民主系からも疎外された人々の受け皿として、山本党が支持を集めたのだ。

 もちろん以前からそのような人々の受け皿として共産党がある。だが、最近の共産党は「野党共闘」に入り込んで自らも右傾化し、大阪ダブル選挙で自民に抱きついてかえって維新に勢いをつけてしまうなど失点が多い。だから、階級社会化して自民からも旧民主系からも疎外された人々の受け皿になり切れず、また日本社会に昔からある共産党への忌避感情が今なお残存していることもあって、山本党が伸びた。そういうことだろう。

 共産や立民の指導者たち(志位和夫枝野幸男)が山本党との協力を口にすることは、衆院選が主に小選挙区制で戦われる以上当然であり、一方、「野党共闘」の「軍師」と目されるこたつぬこ(木下ちがや)氏が山本太郎批判のボルテージを上げることも、山本党の支持層が共産党の支持層ともろにバッティングする以上当然だ。

 相互批判それ自体は健全だが、単なる罵り合いになっては無意味だ。

 たとえば立民(や民民)は、アンダークラス層をも包含するような経済政策に転換することが求められるし*2、共産も「野党共闘」を続けるのであれば、そういう方向に「共闘」のパートナーを動かす努力も求められる。これまでは、「野党共闘」の言い出しっぺが「剛腕」の異名をとる小沢一郎だった(と思われる)ためか、一方的な譲歩ばかりが目立ったし、大阪での自民への抱きつきなど百害あって一利なしの行動も目立った。これらへの検証と総括が求められる。

 旧民主系・共産が上記のようなアクションをとって初めて、山本党に明らかにみられる危険な体質に対する批判が説得力を持ちうるのではないだろうか。

*1:時間がないので詳細は省略する。あとで追記するかもしれない。

*2:ことに人口減などによって衰退過程にある社会では、高度成長期のように成長過程にある社会よりも、ドラスティックな再分配が必要になるというのが私の持論だが、この記事には盛り込めなかった。近いうちに改めて記事をアップしたい。