kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

長谷川幸洋と東京新聞(中日新聞)について

長谷川幸洋といえば、中日新聞東京新聞論説副主幹であり、安倍晋三の「すし友」であり、新自由主義者であり、「リフレ派」(「りふれは」)の論客であり、「脱原発」論者である。このようにいろいろな顔を持つために、長谷川に騙された「リベラル」や「脱原発派」や「小沢信者」は数知れない。

http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20170108/1483848474#c1483891855

id:axfxzo 2017/01/09 01:10

MXは阪神に肩入れしていた時期があったはず。それとここでデータ整理されていることとつながりがないとは強ち言えないかも。現在はソフトバンクに肩入れはしているけど。
思えば開局当時のこの局は、やたら星野がやる東京中日スポーツのコマーシャルが流れていたものだ。
あのころはひたすらローカルニュースばかり流す、無味乾燥なチャンネルだったが昔のアニメなどの再放送をはじめ小商を続けつつ、今では雑誌などでも上手くやっているテレビ局だと評価されている。社会の右旋回と独立局のフットワークとのシンクロであろう。
あと、長谷川幸洋についていえばこれを全国デビューさせた功績、もとい、悪行として田原総一朗も付け加えておきたいね。
インサイダーなるなんだか分からない業界誌の高野を常に副官にしていた田原総一朗だったが、どうしたわけか彼とのコラボが立ち消えてその隙間を埋めるかのように長谷川幸洋
がしゃしゃり出始めたのも、ここらのデータ整理話などと重なるものがある。もはや古事記女をはじめとして『右翼言論人のお披露目番組』と成り果てて久しい朝生であるが、私が長谷川幸洋を認識したのも新世紀に入って数年後の朝生であった。朝の田原の(正しくはテレ朝のは番組で高野から長谷川にスイッチというのも…正確な番組のポジションなどは知らないが…でしゃばる頻度などという点でも似たようなものがあったと記憶するが。

MXとの関連で阪神、中日、ソフトバンクが挙げられていますが、これはNHK-BSがホームゲームをよく中継していた球団でもありますね(東京に越してきたあとの今はBSを視聴できない環境なので現状は知りませんが)。MXが阪神に肩入れしていた時期というのは私の記憶によれば1999年で、その前年からNHK-BS1が甲子園の阪神戦中継を増やして全国の少なくない阪神ファンの好評を得た(NHK-BS1の中継は関西以外の阪神ファンには嬉しいサービスだったに違いない)ことの「二匹目のドジョウ」を狙ったものでしょう。私が前の記事の脚注に書いた阪神対中日戦は1999年5月の3連戦でしたが、その第1戦と第3戦をNHK-BSがやってました。第1戦は、9回二死無走者から中日が4点差を追いつくと、その裏にやはり二死から阪神の代打にして元中日の大豊泰昭(故人)が中日の中継ぎエース・落合英二からサヨナラ本塁打を放つという劇的な試合だったので、それにつられてつい2戦目を劣悪な映像のMXで見てしまったのでした。ちなみにその試合は中日の6点リードを阪神が1点差にまで追い上げる試合で、監督が吉田義男から野村克也に代わっただけでこんなに戦いぶりが変わるものかと驚いたものです。しかし、野村監督は阪神とはどうしても体質的に合わなかったらしく、この年を含めて3年連続最下位に終わり、星野仙一に代わりました。阪神、中日、ソフトバンクといえば、落合博満が中日の監督に就任する以前は、いずれも読売に対抗して金権補強に頼るでした(阪神ソフトバンクについては現在も読売的金権補強の体質は変わっていません。一方中日は落合博満GMになって=ようやくクビになりましたが=野田佳彦らの「財政再建厨」を連想せずにはいられない「しばき主義」に走ったあげく弱小球団に零落しました。どっちもどっちの球団経営の悪い見本だと思っています)。

プロ野球の話はこれくらいにして本論に戻ると、長谷川幸洋が目立つようになったのは田原総一朗の引きだったというのは知りませんでした。朝生はもう長いことほとんど見てませんから。去年1月に「古事記女」吉木誉絵が出ていた回を見たのは、たまたま深夜に目が醒めたらテレビがつけっ放しだったからでした。
長谷川幸洋 - Wikipediaを参照すると、長谷川は確かに今でも「朝生」に時々出演しているようです。ちなみにレギュラーで出ているのは

の3本。本当に極悪な奴です。

http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20170108/1483848474#c1483919715

id:mtcedar 2017/01/09 08:55

長谷川幸洋って、メディアで注目されたのは民主党政権の迷走を批判する言動だったりしますよね。政治主導とか何とか言ってた筈が、何時の間にやら官僚の術中にハマり云々っていう具合で。『官僚との死闘七〇〇日』(講談社http://amzn.to/2jiw5RI によると「増税による財政再建路線を支持する“財政タカ派”だった」とのことで、そこで“脱藩官僚”となる高橋洋一と知己になり以後は二人一緒に民主党政権批判(と「みんなの党」応援)でマスコミで人気になるという展開。

長谷川のみならず東京新聞中日新聞の“社論”にも言えるんですけど、「都会保守」のネオリベって点では中曽根政権時代に政権擁護の論陣を張って(消費税導入や所得税減税など「金持ち優遇」にも賛成していましたし)以来何も変わっていないし、長谷川が異端であるばかりか寧ろ主流ですらあるんじゃないかと見た方が同紙の本質を言い当てているかと思うんですよね。そもそも社長に同道して安倍総理に御馳走になって貰ったりされる長谷川の何処が異端なんでしょうか(藁

私の長谷川幸洋に関する初期の印象は、「官僚批判」と「リフレ派」がウリの人というもので、その頃から高橋洋一に近かったように記憶します。のち東電原発事故後は「脱原発派」としても売り出して、古賀茂明と組んで陰謀論を撒き散らしてました。当時の長谷川は「脱原発派」や「小沢信者」たちから大歓迎を受けてました。私が長谷川批判を書くときには彼らからの逆風を感じていた記憶があるので間違いありません。

検索語「長谷川幸洋」で日記内検索をかけてみて思い出したのですが、長谷川は2008年末に休刊になった月刊誌『現代』に、「国平修身」という筆名で「政界ディープスロート」と題した連載コラムを持っていました。

 『現代』には「国平修身」という人物が「政界ディープスロート」なる連載を持っていたが、東京新聞論説委員(現論説副主幹)の長谷川幸洋が書いたものだったと明かされたのがこの号。新自由主義者である長谷川は、積極財政論を唱えていた麻生を批判する立場に立っている。私は長谷川の主張に与するものではないが、一部保守層からの支持が高かった麻生の政策も全くほめられたものではなかったことの一端が長谷川の記事からうかがわれる。

 当時麻生は証券優遇税制の拡充策を唱えていたのだ。現在でもまだ続いている配当や売却益の優遇制度(本来の税率20%を時限的に10%としている)をさらに押し進め、1人あたり300万円の株式を1年以上保有した場合、配当や売却益を非課税にすると提案していた。だが、長谷川も指摘している通り、この政策は株式を保有していない家計にはメリットはない。

 長谷川はそれと比較して定額減税を提案していた公明党に軍配を上げているが、ここらは新自由主義者の長谷川らしい。ただ、当時公明党や長谷川が推した「定額減税」は、その後の河村たかしの「減税真理教」もとい「減税日本」が主張した「定率減税」よりはよほどマシだ。というのは「定額減税」であればベーシックインカムと同じく「逆人頭税」に相当し、中所得以下の層への恩恵が手厚くなるからだ。但し、橋下徹のように社会保障や福祉を「バサーット削る」のではかえって過激な新自由主義ということになる。現在、長谷川幸洋が橋下を支持していることはいうまでもない。

 月刊『現代』の話に戻ると、この長谷川幸洋が連載を持っていたことからもわかるように、この雑誌には新自由主義寄りのカラーがあった。ちなみに私がこの雑誌を毎号買っていた最大の理由は、辺見庸が巻頭に「潜思録」と題した巻頭言を書いていたからだ。この号では辺見は「五輪後の中国」というタイトルで中国を辛辣に批判した文章を書いている。共産党が一党支配しているが事実上の資本家がいくらでもいて、マルクス・レーニン主義を放棄してはいないが、公害、人間疎外、絶望的なまでの貧富の差があるという中国を、辺見は「これはまるで、サルの顔、タヌキの胴体、トラの手足をもち、トラツグミのような気味のわるい声で鳴くという伝説中の化け物『鵺』(ぬえ)である」と評している。だが、この月刊『現代』自体もまた、「鵺」的な性格を濃厚に持つ雑誌だった。そして、同じ性格を『現代』が休刊した翌年に政権を奪取した民主党も持っていた。


私が長谷川幸洋に言及するようになったのは民主党政権時代の2011年ですが、それ以前に国平修身名義の月刊『現代』の記事のタイトルを2件挙げてました。


東京新聞も、月刊『現代』と似た立ち位置のメディアであるように思います。その立ち位置を濱口桂一郎氏の用語を借りていえば「リベサヨ」。「リベサヨ」の「リベ」はリベラリズムではなくネオリベラリズムの略。つまり経済政策的には新自由主義志向で政治思想的には左寄り(私の用語法では括弧付きの「リベラル」)。「はてなキーワード」には「左派を自任しながら国家権力の介入を嫌悪するあまり新自由主義ネオリベラリズム)に近づく層」と定義されています。「東京新聞」なんてその代表格でしょう。だから、小沢一郎が「私の考えは橋下市長と同じだ」と繰り返し言っていたのを不問に付して、社を挙げて日本未来の党なんぞを応援できたのだと私は考えています。

私としては早い時期に長谷川幸洋に言及した記事をいくつか挙げておきます。

 リスクを承知の上で統一地方選を総括する記事を「きまぐれな日々」に書いていたが、その最中にFireFoxのブラウザごと吹っ飛んでしまい、PCの再起動に追い込まれた。いつものように自動バックアップモードで記事を書いていたので、普段なら異常終了しても自動保存の記事が残っていて再編集できるのだが、自動保存の記事ごと飛んでいた。やはりFC2ブログの調子は相変わらずおかしい。

 そんなわけで、今日も「きまぐれな日々」はお休みし、書いていた記事を思い出しながら、今夜以降こちらのブログで書いているスタイルで改めて書きたい。

 主旨は、東京都知事選の石原批判、橋下徹河村たかしが明暗を分けた件、それに原発問題だ。原発問題では、以前からの反原発派である自民党河野太郎の他、中川秀直東京新聞長谷川幸洋らが原発政策転換を求める声をあげている点を指摘し、再生可能エネルギーの推進には発送電分離を軸とした電力自由化が求められることと絡めて、規制緩和にも必要なものがあると書いていた。そのくだりを書いている最中にブログが吹っ飛んだ次第だ。

 最悪なのは、普段規制緩和を声高に叫んでいるのに原発推進派という人たちで、小泉純一郎安倍晋三がそうだったし、このまま原発政策に関して何の発言をしなければ、小沢一郎も同罪となる。そもそも現在の「大連立」工作は、原発利権を守りたい人たちが展開していると言っても過言ではない。統一地方選民主党が惨敗したことで大連立の機運が遠のいたようだが、民主党が惨敗したのは政策が自民党と同じだからであり、同じ政策だったら過去に政権を担っていた自民党を人々が選ぶのは当然だ。開き直ってエネルギー政策の転換に舵を切らない限り、民主党政権に活路はない。


「自公た」の不信任案に関して、内閣総辞職を求める読売と解散総選挙を求める産経。不信任案可決なら解散でなく内閣総辞職がベターだ - kojitakenの日記(2011年6月2日)より

 東京(中日)だが、一般にはあまり指摘されないことを書いておくと、高橋洋一と親しい長谷川幸洋が論説副主幹になった影響が最近の論調に反映されているのではないか。長谷川は、政治勢力でいえば「みんなの党」との親和性が強いように思われる。同紙は社会部はリベラルだが、政治記事は必ずしもそうではない。ただ、原発に関しては市場原理主義なら当然「脱原発・反原発」になるはずであり、その意味では筋が通っているとはいえる。

私が東京新聞を好まない理由はこのあたりに尽きますね。つまり東京新聞新自由主義色を私は嫌っているわけです。

NHK解説委員の間で原発に関して激論が交わされ、朝日新聞の「WEB論座」も一応自社への批判言論も取り上げた - kojitakenの日記(2011年7月31日)より

 それから、準全国紙である『東京新聞』(『中日新聞』)は、朝日や毎日よりももっと先鋭的な原発批判メディアだ。だが、この新聞には高橋洋一と親しい長谷川幸洋論説副主幹の思想が論説に強く反映している難点がある。要は新自由主義テイストのある「脱原発」論であって、そのあたりに同紙の問題を感じる。いってみれば「みんなの党」的な性格が東京新聞にはある。まさか、同紙の本社が「減税日本」の本拠地・名古屋にあるせいでもあるまいが。

これも一つ前のと同様の文章ですが、そういえば東京新聞の「こちら特報部」に小池百合子万々歳の記事が載ったという話を以前この日記のコメントで知りました。その後、同紙の同じ「こちら特報部」に小池批判記事は載ったでしょうか。

「脱原発」の2011年と2012年 - kojitakenの日記(2012年1月2日)は短いので全文を示します。

 年末年始のテレビ番組を見ていてつくづく思ったのは、原発推進勢力の衰退だ。

東電原発事故直後には、原発批判派を「左翼」だとして悪口を言っていた勝谷誠彦の「転向」が最たる例だが、いまや「小沢信者」も「トンデモ」も新自由主義者も、こぞって「脱原発」に熱心だ。

 このうち「小沢信者」は「リスク厨」となり、早川某や武田邦彦といった「科学者」たちがそれに迎合する姿は「醜悪」の一語に尽きる。

 もっとも、本当に警戒すべきは、「脱原発」の主張自体はそれなりに正しい新自由主義者たちだろう。具体的な名前を挙げると、長谷川幸洋や古賀茂明である。彼らの言論には、ノーテンキな「小沢信者」と違って説得力があるが、その彼らが持ち上げるのが橋下徹なのである。

 今年、もっとも早く原発の再稼働を狙うのは福井県大飯原発だろうが、これに橋下が噛みついて、またまた人気を浮揚させるのではないか。

 一方、「野ダメ」(野田佳彦)は、今年も「空気」が読めずに原発再稼働にこだわって、ますます支持率を落とすに違いない。

 ますます橋下の思う壺である。保守政治家たちの無能の罪は重い。


明後日で阪神大震災17年/脱原発世界会議/小沢一郎/橋下徹 - kojitakenの日記(2012年1月15日)より

  • 脱原発世界会議、東京新聞は1面トップらしい(朝日は第2社会面に3段の記事=最終版。早版では時事通信配信のベタ記事だったらしい=飯田哲也氏のTwitter*2より推測)。それは良いのだが、東京(中日)新聞は論説副主幹・長谷川幸洋が中心になって「みんなの党」的新自由主義社論を打ち出しているから、ここでも「脱原発」がネオリべに回収される恐れ。もっとも朝日・毎日の財政再建至上主義的(=「野ダメ」的)ネオリべに回収されても困るのだが。

以下、面倒臭くなったというか、コメントへの返信から離れてきたので、ですます調は止める。

上記の記事から飯田哲也Twitterにリンクを張ったが、飯田こそ私がこの記事を書いた2012年に橋下徹に請われて大阪府市の特別顧問に就任したあと、年末の衆院選では橋下と袂を分かったは良いとして「日本未来の党」から立候補したあげく、公示日になって中国ブロックの比例名簿登載順位をめぐって小沢一郎配下の森裕子らと揉めるという大醜態を晒した人間だ。私は飯田が大阪府市の特別顧問になる以前には飯田を信頼していたが、見る目がなかった。しかし、東京新聞衆院選日本未来の党を応援したのだから、私よりもさらにひどかったとしか言いようがない。

なお、東京新聞がダメだからといって朝日や毎日が良いとはこの記事で一言も言っていない。朝日と毎日は朝日の原真人に象徴されるように財政再建厨で、かつ朝日の場合はそれが民進党に悪影響を確実に与えているから、その意味ではより悪質といえるかもしれない。しかし大衆迎合的な性格がより目立つのは東京新聞の方だろう。

もちろん読売だの産経だの日経だのは初めから論評の対象外である。現在では、政局ネタでブログを書くためには、政府筋とのパイプが最も太い読売をとるのが近道であることはわかり切っているが、そこは「渇しても盗泉の水を飲まず」である。読売なんかに頼ってたまるものか。

とはいえ、いつも(政府筋から情報をリークしてもらえないために)読売より報道が遅い朝日なんかをとっているものだから、政界の情報を素早く捉えてブログで論評することができなくなっている。ここらへんが『きまぐれな日々』の更新が滞る一因になっている。今日はこのあと休み明けの仕事の準備に専念しなければならないので、『きまぐれな日々』は明日もお休みだ。

*1:これは、FC2のサーバーがぶっ飛んで、今に至るFC2離れを起こすきっかけになった頃の記事で、新自由主義脱原発の相性の良さを指摘し、かつ電力自由化ネオリベラリストの好きな規制緩和策だけれども、この問題に関しては電力自由化論者に理があるという主旨の文章。つまり、当時から私は長谷川幸洋新自由主義者としてとらえていた。なお、小泉純一郎小沢一郎はその後風を読んで「脱原発」派に転向したが、2011年4月現在は何も発言していなかった(小沢は、配下の者に「小沢さんは脱原発指向だ」と言わせていたが本人は黙っていた。小沢が脱原発派への転向を明言したのは「国民の生活が第一」を立ち上げたときだった。小泉純一郎の転向はさらに遅かった)。

*2:http://twitter.com/#!/iidatetsunari/status/158320216399556608