kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

長谷川幸洋とリフレ派

忘れてしまわないうちにこれを上げておこう。

http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20170205/1486257200#c1486485032

id:urinarazuke 2017/02/08 01:30

小熊英二といえば、共編著『平成史』の総説で、長谷川幸洋のTPP賛成論を皮肉たっぷりに揶揄していたのが思い出される。
今現物が手元にないので、あくまでうろ覚えだが、
“長谷川氏は「TPPが消費者の利益になることは明らかなのだから、無条件で賛成に決まっている」と言うが、彼の頭には「生産者もまた消費者である」という概念は全くないらしい”
といった論旨であったと思う。


かくのごとく、小熊氏が長谷川氏に賛同しているというのも、あくまで「脱原発」という一論点に限っての「一点共闘」であって、決して長谷川氏の全論調・全人格に付和雷同している訳ではないことは自明であろう。
ブログ主はこの態度に不満のようだが、筆者は、「一点共闘」「是々非々」「右も左もない」で何ら構わないと思う。
無論、仮に小熊氏が、「脱原発で共闘するために、長谷川氏の他の右翼的言説に見て見ぬふりをしている」のであれば非難されて当然だろうが、そうでないことは上記の例でも明らか。


ちなみに、この悪しき反面教師の代表例が、リフレ派。
数少ない「まともなリフレ派」であるはずの稲葉振一郎氏や松尾匡氏は、大事な「お仲間」であるからとばかりに、「りふれは」(©hamachan)の連中(畑中禿臣とか、下司念とか…誰のことかは想像にお任せします^^;;)の差別主義・レイシズム丸出しの聞くに堪えない汚言を窘めようともしない。
こういう態度は、ボロクソに叩かれて然るべきであろう。


閑話休題論語の「君子和而不同、小人同而不和」の句が思い浮かぶ。
本来、きちんとトレーニングを受けた人文・社会科学者であれば、「人の言説と人格を厳密に区別する」ことは当然の態度であるはずなのだが、現実には、小熊氏ほどこの「君子」的態度を完璧に使いこなせている学者も本当に珍しいと思う。


私はもともと文系ではなく理系の人間で、かつ学問の道には進まなかったのですが、大学院(修士課程のみ)時代に教えを受けた研究室の助手の例を思い出しても、「人の言説と人格を厳密に区別する」ことなんか全然できていませんでしたね。学者なんて言ったってその程度か、と内心馬鹿にしていました。

小熊英二の名前を上げたのは、もともとこの人の脱原発の本を読んで違和感があったことと、この人や前任の朝日論壇時評を担当していた高橋源一郎らがあまり好きではない(高橋源一郎については単に「好きではない」にとどまらず「大嫌い」に近い)ことと、しばらく前に目にした『世に倦む日日』(このブログも賛同できない部分の方が賛同できる部分より多いですが)の下記の一節が頭にあったためです。

戦後日本の中間層システムを憎悪する小熊英二 - 朝日新聞の説教3連発 : 世に倦む日日(2017年1月18日)より

前年比で5分の1の動員規模となった「安倍政権NO」の渋谷デモ。そのデモ行進の映像に小熊英二が出ていた。偶然に撮られたというより、自分の姿を故意に見せていたという雰囲気で、隊列の先頭に近い位置で歩道寄りの左端を歩いていた。カメラを意識した視線だった。2012年の官邸前デモのときもそうで、わざと目立つように国会記者会館の前庭に入り込み、連れてきた子どもを抱き上げて遊ぶところを、窮屈な歩道で立ちんぼしているデモ参加者に見せつけていた。こちらに親密さを誇示するように、金平茂紀長谷川幸洋と話し込んでいた絵を思い出す。狭い歩道上には広瀬隆も一人で立っていたけれど、なぜか小熊英二は、一般市民が立ち入りできない国会記者会館の敷地にいつもいた。


さらに言えば、東電原発事故の頃(2011年)からずっと長谷川幸洋や古賀茂明といった新自由主義派の面々を嫌っていた私は、周囲の「脱原発派」たちが長谷川や古賀の言い分に耳を傾けていることに当時から腹を立てていて、それを根に持っていたことが挙げられます(だから、自民党が政権に復帰した後になってもまだ長谷川幸洋を「味方」だと思い込んでいた間抜けな「小沢信者」をあげつらったりするわけです)。

でも、小熊英二長谷川幸洋をきっちり批判しているなら、それはそれで大いに評価すべきことでしょう。そういう評価があることを念頭に置いて今後小熊氏の文章に接していきたいと思います。

リフレ派については、そもそもリフレ派を含む経済学者たちの世界は、他のどんな学問と比較しても「人の言説と人格を厳密に区別する」ことのできない人たちの世界だ、という固定観念が私にはあります。彼らには下手に近づけない敷居の高さをいつも感じています。というのも、思い出したくもありませんが2010年にこっぴどい目に遭ったことがありまして、以後警戒してあまり近づかないようにしている次第です。

いくら正しいことを言って、最近ではそれがリテラにまで取り上げられるようになっても、高橋洋一長谷川幸洋の妄言や妄動をろくに批判できないようでは人々に説得力を与えることができず、それが日本からポデモスやバーニー・サンダースジェレミー・コービンが出てこない一因になっている。そういう見方もできるかもしれません。この私の書き方も「腰が引けている」と言われてしまうかもしれませんが。