kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「菅野完『アッキード事件の核心に迫る“籠池ノート”の中身』」(週刊朝日)

http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20170403/1491176322#c1491256923

この事件の特殊性として、総理夫妻のパーソナリティーが要因のひとつである

 これは、ほんとにそうだと思います(パーソナリティーに思想性とか思想傾向、信条が含まれるものと考えれば)。今私たちは、安倍夫妻のような思想信条の持ち主が権力を握ったときの恐ろしさを眼前にしているわけで、それに対抗する勢力は皆無という地獄。一本の芦である私の脳内の思想信条も共謀罪で物理的に叩きつぶされる日もちかいのではと感じる毎日・・・ほんとに恐ろしいです。


これは本当にそうなんですよねえ。

実は昨日公開した きまぐれな日々 日本国の「日本会議化」が進み、森友学園だけが「民主化」(2017年4月3日)のタイトルにわれながらちょっと違和感があって、「日本国の『日本会議化』」ってちょっと不適切な一般化じゃないかなあと思ったのでした。

今起きているのは「日本国民の『安倍化』」というべきかもしれない。「安倍晋三化」でも「安倍夫妻化」でもなくて「安倍化」。「安倍晋三化」か「安倍昭恵化」のいずれかという意味。このどちらかに属している日本国民は滅茶苦茶多い。

2007年に第1次安倍内閣安倍晋三の政権投げ出して潰れた時、私にとって今までの人生であれほど腹の底から喜べる痛快な政治のニュースはなかったのだけれど、一方で櫻井よしこだの中西輝政だのの極右人士たちの激怒あるいは嘆き悲しみぶりといったらなかった。あそこまで極右人士たちに愛される政治家はいない。00年代のネトウヨの世界では、安倍晋三よりもむしろ「俺たちの麻生」に人気があったように見受けられるが、「極右文化人」たちの間では麻生太郎の人気はさほどでもなかった。2012年の安倍晋三の総理大臣復帰後は、ネトウヨの間でも安倍晋三への個人崇拝が強まるようになった。

思い返せば、2002年に対北朝鮮の強硬姿勢で売り出した頃から安倍晋三には妙な人気があった。私は初めてテレビで安倍晋三の顔を見た瞬間に激しい嫌悪を感じ、以来この男にシンパシーを感じたことなど一度もない人間だが、この男には極右人士たちをはじめとする多くの人たちの琴線に触れるものが何やらあるのかもしれない。

そして安倍昭恵。『週刊朝日』は昨年(2016年)8月に

昭恵さんは「主人の届かないところに行く」と公言。その行動は結果的に政権のイメージアップにつながる。安倍首相周辺は“最大の補完勢力”とたたえている。

と書いたようだ(下記ブログ記事に紹介されている。記事からはネットに公開された週刊朝日の記事にリンクが張られているが、リンク切れになっている)。

当時、【安倍昭恵氏は「最大の補完勢力」!?】“晴天のアッキー”沖縄・高江へ電撃訪問 地元の困惑と首相周辺のニンマリ - ぽぽんぷぐにゃん(2016年8月18日)は下記のように書いた。

>安倍首相周辺は“最大の補完勢力”とたたえている。

こういう事ですよね。

高江の問題について知ってる人や、反対している人ならともかく、事情をよく知らない人たちには「安倍政権のイメージアップ」になったんじゃないでしょうかね。


島尻氏を涙ながらに応援した昭恵氏が、高江をどういう風に思っているのかも疑問なところ。

調和の取れた世界が云々・・・と書いてたようなので、「早く反対運動を鎮圧しろ」くらいにい思っててもおかしくありませんよね。

実際に、その後に逮捕者も出ましたからねえ・・・。


その通りだ。

上記記事が書かれた2か月後、山城博治議長が逮捕されて5か月も拘留されたが、安倍昭恵は山城議長釈放の口利きなど一切しなかった。もし安倍夫妻が「仮面夫婦」であり、かつ安倍昭恵三宅洋平と「意気投合」していたのであれば、昭恵は晋三に山城議長の釈放を強く訴えて夫婦喧嘩になり、離婚に至っても不思議はないはずだがそうはならず、「雲隠れ」している今も、某御用ジャーナリストに「イイネ!」をつけているらしい。

そんな安倍昭恵の追及に腰の引ける「リベラル」がいかに多いことか。彼らは倍晋三には拒絶反応を示しているのに、安倍昭恵の毒が全身に回っていることに全く気づいていないようだ。

今日の一本は菅野完が『週刊朝日』に書いた記事。籠池泰典父子のアプローチを受ける前には「大阪の問題」として事件を捉え、中央の政治家の関与にはあまり関心がなさそうに見受けられた*1菅野完は、籠池泰典に資料に接して安倍夫妻、特に安倍昭恵を厳しく批判するようになったという印象を私は持っている。

菅野完「アッキード事件の核心に迫る“籠池ノート”の中身」 (1/3) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

菅野完「アッキード事件の核心に迫る“籠池ノート”の中身」
(更新 2017/4/ 4 07:00)


 籠池泰典氏が安倍昭恵夫人付職員に送った手紙はノートのコピーだった。そのノートには政治家や役所に送った記述が大量に残る。その全容を知る著述家の菅野完(すがの・たもつ)氏が「アッキード事件」の核心に迫った。

*  *  *

安倍晋三首相から100万円の寄付を頂戴している」。衝撃的な告白から、森友学園籠池泰典氏の「運命」は急展開を遂げた。「首相に対する侮辱だ」との理由で開かれた証人喚問。政府・与党からの偽証罪をちらつかせた連日の恫喝。大阪地検特捜部による告発状の受理。そして、大阪府・市による幼稚園と保育園への立ち入り調査……。こうした出来事の全てが、たった10日のうちに、一個人に対して発動されたのだ。もはやこれは「国家権力の総力を挙げた弾圧」としか言いようがないだろう。

 国会を大きく揺さぶった谷査恵子首相夫人付きから籠池氏に宛てたfax──。今、私の手元にはこのfaxと「籠池氏からの手紙」の両方がある。

 双方とも、証人喚問前後に断続的に実施した、籠池氏へのインタビューの過程で「発掘」したものだ。

 正直に告白するが、谷氏からのfaxを書類の山から見つけた瞬間、私はこの文書を「ただの連絡文」と認識し、処理してしまっていた。この文書の1枚目の文面は、社交辞令に終始しているからだ。「あまり意味のない文書だろう」と書類の山に戻そうとした瞬間、2枚目末尾にある「平成28年度での予算措置を行う方向で調整中」との文言が目に飛び込んだ。その時初めて、「これは、行政の業務文書ではないか」と気づいたのだ。

 一方の「籠池からの手紙」は、籠池氏が提供してくれたノートの束の中から発見した。籠池氏は古い人間だ。手書きで文書を起案し、そのコピーに押印して手紙を送達するという昭和の時代の文書送達管理手法を、未だに実践している。

 従ってノートの束の中には、役所や政治家に送った手紙の「原本」が大量に残されている。その大量の手紙の「原本」の山に、谷氏からのfaxと平仄のあうものは一つしかない。そしてその手紙は自民党葉梨康弘衆議院議員が公開した手紙と同じものだ。

 だがこの「籠池からの手紙」はいささか読解し難い。なぜなら手紙の内容が、「50年定借として早い時期に買い取るという形に契約変更したい」「学校の用地が半値で借りられたらありがたい」「本来なら平成27年度予算で返ってくるはずの立て替え払いが、予算化されていなかったので早急に予算化してもらいたい」と、手前勝手な要求事項だけを無味乾燥に箇条書きしたものにすぎないからだ。

 冒頭の挨拶や自己紹介、依頼内容の概要など、手紙らしい内容は一切ない。ただただ要求内容が羅列されるだけ。「籠池氏が何をしている人か」「なんでこんな手紙を送りつけてきたのか」という予備知識がなければ、到底、理解できるような代物ではない。しかしながら、これに対する返答である谷氏からのfaxは、予備知識のない人間であれば読解不可能なはずの「籠池からの手紙」を見事に読み込み、その要求事項の全てに遺漏なく的確に返答しており、先述のように「工事立替費の次年度での予算化」という「籠池の要求」を完全に満たす回答まである。ここまで円滑なコミュニケーションが成立するためには、「籠池が手紙を送る意図」を、谷氏に「解説」する人物がどうしても必要だ。

 籠池氏は証人喚問で「一昨年10月、お願いがあって昭恵夫人に電話し、留守電に残した」と証言している。そしてこのエピソード自体は昭恵夫人本人も、フェイスブックで発表したコメントの中で認めている。ならば、「籠池の意図」を谷氏に「解説」する役割は、昭恵夫人が担当したと解釈するのが自然だろう。つまり昭恵夫人は「籠池の意図」を正確に理解し、その内容を財務省に伝えるよう、自分の秘書である谷査恵子に命じたとしか言いようがないのだ。これでは政治家が行う「陳情処理」や「口利き」と全く同じではないか。

 このように「籠池からの手紙」と谷氏からのfaxの両方を並べ読み比べてみれば、「昭恵夫人による土地取引への関与」の実態が、誰の目にも明らかになる。

 参院予算委員会民進党福山哲郎議員から「あのfaxを政府はどのようにして入手したのか?」と糾された菅義偉官房長官は、「谷さん本人から入手した。個人で保有していたもので、個人で保管していた以上、行政文書に当たらない」との見解を示した。つまり政府は「公的な資料は全て廃棄したので存在しないが、見つかった資料があるなら、それは私的なものであり、政府は責任を負わない」と答弁しているのだ。あまりにも無茶苦茶ではないか。

 このように、政府・与党は相変わらず、苦しい答弁を繰り返しており、空虚な言葉だけが、積み上がっていく。そしてなぜかテレビでは、政府・与党を擁護し続ける「識者」の類いが幅を利かせている。

 しかし一度冷静になってもらいたい。

 2月中旬に森友問題が明るみに出て以降、政府・与党側から進んでなんらかの資料が公開されたためしは一度もない。国会で答弁に立つ政府委員や閣僚たちは口を揃えて「資料は廃棄した」「そのような資料は存在しない」と言い張る。一方、「百万円の振替票」にせよ、谷氏からのfaxにせよ、「業者と役所の打ち合わせ記録」にせよ、議論の検討材料となる資料はことごとく籠池氏側から提示されたものばかりだ。つまり我々は今、「紙を捨てたと言い張る側が、紙を提出してくる側を『嘘つき』呼ばわりする」という、極めて珍妙な光景を目撃しているのだ。こう考えると、政府の答弁は「苦しい言い訳」としか表現のしようがあるまい。

 瑞穂の國記念小學院の設置認可や敷地の国有地払い下げに「私や妻、事務所は一切関わっていない。もし関わっていれば首相も国会議員も辞める」と答弁したのは、安倍首相本人だ。

 政府はこの答弁を守るため、嘘に嘘を重ねてきた。そして今や、「個人で保管していた文書である以上、公文書ではない」との苦しい言い訳を繰り出すところまで追い込まれている。あまりにも無理のある答弁を繰り返すことは、国家の危機管理機能や統治機能を根底から毀損する行為だ。たかだか首相一人のプライドを守るために、政府高官たちが嘘に嘘を重ね、国家を溶解させていく姿は見るに忍びない。

もうゲームオーバーだろう。首相、いい加減、諦めなさいな。

週刊朝日2017年4月14日号より抜粋


普通なら「政権はもう持たない」と思わせる事態の推移なのだが、2012年12月の政権再交代以降、4年3か月以上築き上げられてきた「独裁安倍城」は想像もつかないほど堅固なものになっているようだ。昨日も共謀罪法案の6日審議入りで自公が合意したとのニュースが(大方の人々の予想通りの結果ではあったが)報じられた。

この政権の元で行き着くところまで行くとして、それはいかなる惨状かと思うとぞっとするのだが。

そうそう、危うく書き忘れるところだったが、韓国の野党「共に民主党」の大統領選候補に文在寅氏が決まった件を、TBSの『NEWS23』が「反日」という形容で報じていた。

反日」なる言葉を、在京民放5局のうちではもっとも「左」に位置するとされるTBSが韓国の大統領候補を「反日」と形容するとは、とぞっとした。

これも「日本国民の『安倍化』」の一つの表れだ。この番組のアンカーは、元朝日新聞の幹部記者・星浩が務めている。

*1:上西小百合も同様だった。上西は今もその立場のようだ。