kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

民進党代表選の争点が「『野党共闘』継続の可否」であることは明白

一昨日も書いたが、「野党共闘」の「オピニオンリーダー」たちが言っている、「民進党代表選で前原誠司枝野幸男のどちらが選ばれても大きな違いはない」という言説はまやかしもいいところだ。それどころか、「『野党共闘』継続の可否」こそ代表選の争点だといえる。そのことが両候補の論戦からはっきりしてきた。

https://www.jiji.com/jc/article?k=2017081801173&g=pol

前原氏「野党共闘見直す」=枝野氏は継続方針−民進

 民進党代表選(9月1日投開票)に出馬する前原誠司元外相は18日、BSフジの番組で、次期衆院選での共産党との関係について「日米安保、消費税で意見が違う。選挙協力できますか」と述べ、従来の共闘路線を見直す考えを明らかにした。これに対し枝野幸男官房長官は同じ番組で、共闘路線の継続を訴えた。
 前原氏は、民進党の現状に関し「共産党との協力にかじを切り過ぎている」と指摘。「衆院選は政権選択の選挙だ。根本的な政策理念が違うのに一緒に組もうという話にならない」と強調した。
 一方、枝野氏は、昨年の参院選の1人区で4野党が候補者を一本化したことの「経験を生かす」と表明。「できる限り(の協力)をいかに最大化するかは政治の技術の問題だ」と述べた。

時事通信 2017/08/18-22:22)

昨日には小沢一派の一員・木内孝胤の離党届提出も報じられたが、小沢一郎が影響力を行使し得るはずの松野頼久グループが、従来同グループが「野党共闘に前向き」とみられていたにもかかわらず前原誠司を推していることを誰も批判しようとしない。しかしこのことは強く批判されるべきだろう。さらには小沢一郎も批判の対象になってしかるべきだ。もちろん彼らに推されている前原誠司は特に強く批判されなければならない。

なお、なぜ「小池ファ★スト」に迎合する姿勢を隠そうともしない前原誠司が圧倒的に優勢なのに木内孝胤民進党を離党したかについては、「小池ファ★スト」側の一本釣りがあったとみるほかない。国政政党名が「日本ファ★ストの会」になるかどうかは知らないが(別の名前にするとの話もあるようだ)、新党発足後の民進党出身議員には江戸幕府の「親藩」「譜代」「外様」のような階級ができることは絶対に間違いなく、「親藩」に相当するのが長島昭久細野豪志だ。民進党代表選が行われる前の今の段階でスカウトされた木内孝胤は「譜代」にあたる。あとから加わる連中が「外様」になるわけだ。

長島や細野にとってみれば、あとから加わってきた連中にでかい顔をされるのは我慢ならないに決まっているし、それ以前に、少なくとも衆院選前には「小池ファ★スト」より大勢力である民進党がそのまま「小池ファ★スト」と合流することは絶対にあり得ない。民進党丸ごととの合流が「小池ファ★スト」の自殺行為に他ならないことはあまりにも明らかだ。だから、「小池ファ★スト」側は、間違いなく新党加入希望者の入党可否決定に当たって、民進党からの離党を絶対条件とする。彼らには同じことを都議選前に「都民ファ□ストの会」でやってきた実績もある。

これが、前原誠司民進党代表選に勝ったら、民進党は解党することになるだろうと私が予想する理由だ。

一方、枝野幸男が勝ったら、「小池ファ★スト」との合流を夢見て前原誠司を推しているであろう連中が集団で離党することは目に見えているから、民進党は間違いなく分裂する。

しかし、前原がここまで「野党共闘からの離脱」を強く示唆するに至った今となってみれば、分裂は解党よりよほどマシだと考えるほかない。これは、蓮舫小池百合子にすり寄ることによってルビコン河を渡ってしまったことの必然的帰結なのだ。

小沢一派についていえば、小沢という人間は、2010年6月の民主党代表選で、「社民党にも支持される人を」と言いながらゴリゴリの新自由主義者である樽床伸二を推したり、東日本大震災・東電原発事故のあとに行われた2011年の民主党代表選では、脱原発に与するような言説を発していながら、「原発の守護神」ともいうべきゴリゴリの原発推進派である海江田万里を推すなどの筋の通らない動きを繰り返してきた。今回、「野党共闘」推進を自らは掲げていながら、「野党共闘」見直しを公言する前原誠司を推しているのも、小沢一派ならではの矛盾した行動というほかない。

樽床伸二推しも海江田万里推しも、小沢支持者及び「小沢信者」たちから批判を受けることはなかったが、小沢一派にとって百害あって一利なしの結果に終わった。今度という今度こそは、小沢支持者たち自身が、松野頼久グループの動きやその背後にいるとみられる小沢一郎を批判しなければならない。これがもう本当に最後のチャンスだ。

それができないのであれば、彼らは「小沢信者」とのレッテルから括弧を外した、正真正銘の小沢信者と言わざるを得ない。