kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

樹木希林死去

樹木希林が死んだ。

樹木希林といえば、直近では映画『万引き家族』が話題だが、映画を見る習慣がない私は見ていない。少し前に、樹木が大腿骨を骨折したあと一時危篤状態になったとテレビのワイドショーが言っていた。樹木は何年か前に(訃報で知ったが2013年だったらしい)、「全身ガン」をカミングアウトしたというので、以後、「全身ガン政治家」を自ら売り物にしていた故与謝野馨を連想するようになった。与謝野馨樹木希林もその生命力の強さには感嘆したものだったが、与謝野は昨年78歳で死んだ。そしてついに樹木希林も旅立って行ったのだった。

最近はテレビ朝日報道ステーション*1をほとんど見捨てかかっているのと、帰宅時刻がひところより遅くなっているので、ニュースは主にTBSを(星浩の腑抜けぶりに腹を立てながら)見ているが、同局で放送していた1974年のドラマ『寺内貫太郎一家』と1978年に『ザ・ベストテン』で郷ひろみとデュエットした「林檎殺人事件」の映像ばかりが何度も紹介された。

このうち、『寺内貫太郎一家』は見たことがなかったので全然知らなかったが、当時既におばあさん役をやっていた。「ジュリー」との決めゼリフもこのドラマ内で出たものらしい(私はこのギャグ自体知らなかった)。私が覚えているのは、再放送で見た1976〜77年の日本テレビ系のドラマ『気まぐれ天使』で、やはり「バサマ」役をやっていたが顔が若かった。実際、主役の石立鉄男(1942年7月31日生まれ)と樹木希林(1943年1月15日生まれ)は同学年だったようだ。石立鉄男は2007年に、このドラマの前半でヒロインを演じた大原麗子*2は2009年にそれぞれ60代で亡くなっている。樹木希林も亡くなってしまったわけだが、このドラマで大根役者ぶりを晒していた森田健作はまだ生きている(現千葉県知事、68歳。反動的政治家として悪名高いが、昨年3選された)。

この『気まぐれ天使』が放送中だった1977年4月に芸名「悠木千帆」を売却して「樹木希林」に芸名を変更したのも覚えている。

さらにその翌年、「林檎殺人事件」が流行ったが、これもTBSのドラマ『ムー一族』の挿入歌だった。私はドラマは見ていなかったが歌はよく覚えている。以下、Wikipedia「林檎殺人事件」から引用する。

林檎殺人事件


「林檎殺人事件」(りんごさつじんじけん)は、日本の歌手である郷ひろみの27枚目のシングルである。

1978年6月21日にCBSソニーよりリリースされた。


解説

  • 「お化けのロック」に続く樹木希林とのデュエット曲であり、テレビドラマ『水曜劇場「ムー一族」』(TBS系列)におけるコントコーナーの挿入歌であった。
  • ザ・ベストテン』では4週連続で1位に輝き、3週目の1位となった8月24日放送時には、司会の久米宏黒柳徹子と同じ衣装で出演した。この演出は樹木の提案による。また1978年の年間ベストテン第10位に輝いた。
  • 樹木によれば、この歌は、一般的なイメージの「素敵な男女」とは別物の凸凹ペアである樹木と郷を、雌雄の区別がない両性具有のような存在とするコンセプトである。そして、曲中のフレーズ「フニフニフニフニ...」は、そのコンセプトに基づくもので、二つとない実際は一つと言う『不二』を意味するものという。
  • 歌のイメージやコンセプトは、『ムー一族』のプロデューサーだった久世光彦によるものであり、「フニフニフニフニ...」も、久世による言葉遊びである。作詞者の阿久悠は、久世から作詞を依頼されたときコンセプトも聞かされて「それだけ出来ているなら自分で書けばいい」と答えたという。


両性具有といえば、1972年に「男の子女の子」でデビューした当時の郷ひろみは、歌のタイトルといい名前といい風貌といい、まさしくそんな存在だった。家族の間で、あれは男なのか女なのか議論になったものだ。

また、サビの部分の「フニフニフニフニ」に当てられたメロディーは「ミーレーソーファー」であって、この音の動きは昔ビリー・ジョエルがパクったベートーヴェンの「悲愴ソナタ」第2楽章冒頭と同じだ。これに触れたブログ記事はないかと思って調べて見たら、直接触れてはいないものの『林檎殺人事件』から「悲愴ソナタ」を連想したとしか思えないブログ記事があった。下記2件はいずれも昨日(16日)付で、相次いで同じブログにて公開されたエントリ。


この歌が流行った1978年は、昨日予想通り広島に負けたヤクルトスワローズが初優勝した年だ。私は正直言って「ショーワ」が良かったなどとは全然思わない人間だし、先のさくらももこの訃報にしてもそうだが、「『へーセー』の終わり」など全然感じない。たかが天皇家の人間の生き死に(や退位など)で時代を区切られてたまるかと思う。

しかし、この1978年には印象深い出来事がいくつかあった。政治では、その2年前に久々の清和会政権となった福田赳夫内閣下で有事法制が議論になるなど右傾化が進むかに見えたが、秋の自民党総裁選で福田は現職総理大臣でありながら大平正芳に負けた。またプロ野球でヤクルトに負けてリーグ3連覇を逃した読売球団が「江川問題」を引き起こし、世の指弾を浴びた。日中平和友好条約が締結された年でもある。戦後日本の頂点は、のちのバブル経済の時代などではなく、この1978年前後ではなかったか。そう今にして思う。

ともあれ、故人の訃報に謹んでお悔やみ申し上げる。

*1:何でも富川悠太をも切ろうとしたりとか、それどころか番組自体を終わらせようとしている話が聞こえてくる。富川は切っても良いと思うが、代わりに安倍晋三と昵懇の早河某のお気に入りらしい徳永有美が出しゃばるようでは見る気は全く起きなくなる。

*2:なんでも、大原麗子石立鉄男に切れて降りてしまったらしく、後半では酒井和歌子がヒロインになった。