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古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

京唄子死去

http://www.asahi.com/articles/ASK473QXSK47PTFC008.html

漫才師・俳優の京唄子さん死去 「渡鬼」などに出演
2017年4月7日13時29分

 夫婦漫才で一世を風靡(ふうび)し、俳優としても活躍した京唄子(きょう・うたこ、本名鵜島ウタ子〈うじま・うたこ〉)さんが6日午前10時33分、肺炎のため大阪市内の病院で死去した。89歳だった。葬儀は近親者で営む。喪主は長女節子さん。

 1927年、京都市生まれ。宮城千賀子さん主宰の「劇団なでしこ」に入り、京町歌子を名乗る。その後、別の劇団で鳳(おおとり)啓助さんと知り合い、結婚。56年に夫婦漫才コンビとしてデビューした。

 「大きな口」をトレードマークにし、16年間放送された長寿番組「唄子・啓助のおもろい夫婦」の司会でもお茶の間に親しまれた。65年に鳳さんと離婚したもののコンビは続け、70年に唄啓劇団を結成。87年にコンビを解消し、同年、京唄子劇団を旗揚げした。

 人気ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」では本間常子役として、藤田朋子さん演じる本間長子との嫁姑(しゅうとめ)の確執をユーモアたっぷりに表現した。劇団の座長として舞台にも立ち続けたが、2009年4月に腰椎(ようつい)圧迫骨折が判明。一時芸能活動から遠ざかったが、10年秋の「渡る世間は鬼ばかり」シリーズで復帰した。

 67年、上方漫才大賞奨励賞、92年に大阪市民表彰、2008年には鳳さんとともに「上方演芸の殿堂入り」した。
(後略)

朝日新聞デジタルより)


上記引用記事で「(後略)」とした部分には、俳優の藤田朋子のコメントが掲載されていたのだが割愛した。「渡鬼」は全然見たことがなく、馴染みがなかったからだ。藤田朋子には1988年頃にNHKの朝ドラに出ていた「プッツン女優」とのイメージしかない。その後俳優として成長したのだろうけれど。

京唄子といえば1971年に森田健作が主演した「よーしかーわくーん」のセリフで知られるクソ学園ドラマ「おれは男だ!」を思い出す私のような人間などほとんどいないに違いない。

そういえばこの日記で、以前石立鉄男が死んだ時だったかそれよりもう少しあとに大原麗子が死んだ時だったか忘れたが、森田健作が端役で出ていた「気まぐれ天使」という石立主演で途中まで大原がヒロインだった(途中からなぜかヒロインが酒井和歌子に代わった)ドラマに言及した記憶がある。別に森田のファンだったわけではなく、むしろアンチに近かったのだが(自民党の政治家になってからはなおさら。そういや先日千葉県知事選があって森田が大勝で3選されたんだったな)。

子どもの頃、京唄子ミヤコ蝶々とをよく混同したものだが、ミヤコ蝶々は2000年に80歳で亡くなった。京唄子の元夫にして漫才コンビの相方だった鳳啓介はさらに早く、1994年に71歳で亡くなっていた。

正直言って故人の芸能人としての業績はよくわからないのだけれど、故人のご冥福をお祈りします。